読書。
『キャバ嬢の社会学』 北条かや
を読んだ。
大学院生だった当時の著者自らがキャバ嬢となって
キャバクラ業界に潜入し、そしてそこで見知ったり経験した
キャバ嬢たちとその仕事にスポットをあてて、
社会学的に分析した本です。
キャバクラではないけれど、若い女の子が接客してくれる飲み屋に
連れて行かれたことはあります。
そのときは女の子がいて、だからなんだっていうんだよ、
っていう醒めたアタマだったので、
そこで過ごすのが非生産的な時間だと思ったし、
割り切って楽しくしようとすると寂しい気持ちにもなったものです。
いまやもう、無理にでもお酒は飲まないので、
そういうお店に行くことって無いでしょうね。
そこは連れて行った人にいわせると「パブ」というらしいのですが、
そこの女の子よりも派手な衣装とメイクと髪型で接客してくれるのが
キャバ嬢ですよね。
本書を読んでいると、中盤まではその分析の怜悧さによって
メカニズムが暴かれているので、絶対に楽しめないなと
思えてしまうのですが終盤にかけて、
割り切れない彼女らのスタンスを知るにあたって、
面白いかもしれないな、と意を新たにしたりもして。
彼女らにしてみると、どうやらこれはゲーム性の強い労働のようです。
黒服側もそう演出している。
どれだけ巧みにお客を取れるか、そしてつかずはなれずのような関係を維持し続けるか。
さまざまなテクニックがあり、さまざまな葛藤があるようですね。
キャバクラという地盤は、キャバ嬢にしてみれば、
抗争的な場であり自分を信じて一人でやっていく世界。
しかし、そこで相手にするオトコ共とのやりとりには、
抗争的な「断絶するやり方」とは真逆の「繋がりを作るやり方」がなされる。
非常にダイナミックな心理をかきたてていくお仕事です。
それにしても、キャバ嬢を扱っていた雑誌「小悪魔ageha」の、
そのネーミングは絶妙だと思いましたね。
女の子の魔性の部分を私生活で存分に発揮すれば、それこそ村八分だし、
それ以上のリスクすらあるでしょう。
しかし、女の子のその魔性の部分こそが女の子の大きな特性のひとつであって、
それを埋もれさせたまま一生を終えるのは、開花せずに枯れるようなものかもしれない。
そんな女の子の性質を発揮させる手だてであり場所であるのが
キャバクラなんでしょう。
ルールを整えて、女の子の誰しもが持つ小悪魔性を解放できる仕事。
そしてそこに魔性の魅力があるんだと思います。
それは女の子のポテンシャルとも言えるんじゃないか。
ポテンシャルを発揮したいから、
キャバ嬢になりたい女の子が大勢いるんじゃないだろうか。
しかし、本書に書かれていますが、
闇金だとかオレオレ詐欺だとかで儲けた若い男がその違法に手に入れた
巨額のお金を使うその使い途にキャバクラをおおいに選んでいたみたいです。
そういうふうにお金は流れていっていたんだな。
労働基準法、風営法もなんのそので営業しているみたいで、
まさに人の欲望を扱う無法地帯的な業種なんだなぁと思いましたね。
AKB48だとかを応援する人たちの気持ちも、
キャバ嬢を応援する人たちとそんなに変わらないように思えました。
お金の使い方も似てますよね。
僕も、ぱるるレベルの女の子だと疑似恋愛しちゃいそうで、
おっかないですねぇ。くわばら。