Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

Mask555's Library

2014-12-10 12:24:39 | days
僕が99年~03年を中心につくった音楽のライブラリーが
YouTubeに完成しました。

Mask555's Library

全30曲あります。
いまの時期ならば、gajuさん作曲でぼくがアレンジした
Holy Chime In White Christmas Night
というクリスマスソングのインストがおすすめです。

けっこう楽しめるので、
みなさん遊びにきてください。

初めてちゃんと作った曲も公開しました。
発展の道のりもみえてくるようになっていますし、
最初の作品にこそ、
その人のすべてが込められているとも言われますので、
僕を知るためにも聴いていただけたら嬉しいです。

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なぞ!

2014-12-09 20:24:42 | days
こんばんは。

大した更新ではないのですけれど、
はっと気付いてからちょっと気になったままなので、
一言書きます。

うちのブログに来てくれる方々、
それも常連さんって、何人くらいいらっしゃるのだろう?

一応、このブログにはアクセス解析がついていて、
アクセス数もわかりますが、
ブックマークしてくれていたり、
RSS登録してくれていたりする方たちの総数って、
ぜんぜん掴めません。

すんごい謎です。

あと、ここに来て下さる方たちの趣味だとか嗜好も
よくわかりません。
やっぱり本は好きですか?

僕が小説を書いてアップしたときに、
それも第一作目なんかかなりのアクセスがあったんですが、
そのあたりは興味をもってくださっているんでしょうか?

世の中を生きやすく生きていきたい人ですか?

ということは、社会学や心理学に興味がありますか?

あんまりリターンの無いブログなので、
「わからんちん」なんですよね。

それはそれとして、
ブログの自分の過去記事を読みなおして、
妙に難解だなぁという感想を持ってしまって、
すこしへこみました。
書いている時は、全能のように、
すべての言葉に責任を負えていて、
意味も説明できるのですが、
それが過去の記事になってみると、
もう書いた時のアタマではないので、
何を主張したいのか、さっぱりはっきりしない感じがします。

やぁ、ここを訪れてくれる方々は、
そういう文章に四苦八苦したり、読み飛ばしたり
されていることだろうと思います。
書いている僕に悪気はないんですが。

いま書き終わってあとは送るだけの小説があります。
それも、客観的なアタマになってみたら
妙に難解だったっていう種類の文章だったら困ったな。
アタマをリセットしてから読みなおしても
大丈夫だったから、難解ではないと思うのだけど。

第一作と第二作も読みなおしてみて、
自分を見つめ直そうかと考えていたりもしています。

ご質問やご意見にはちゃんと応えますので、
なにかありましたら、気軽に書き込みしてください。
どういう人たちがいらしているか、
どうにも謎なもので。

誰もここにきてないよ、お化けだよ、botだけだよ、
っていうことなら、ずいぶん寂しいです。
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『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』

2014-12-08 22:58:05 | 読書。
読書。
『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』 小林弘人
を読んだ。

MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏が、
帯に「激変するウェブとテクノロジーが向かう先は?
本書にその答えがある」という推薦文を寄せています。

そうなんですよね、激変していくウェブ世界のこれまでと今を
深く見つめてのその現状の紹介と、現実的に分析している論考とが
本書全5章のうちの4章まで繰り広げられています。
最後の章では、それではどうしていけばいいのか、という
著者なりのあまり細かくないハウツー的な、
スタンスの取り方の説明があります。
そして、ビジネスについてページ数を多く割いている、
ビジネス本の種類のものです。

この本の中でよく述べられていたのが、
「オープン」と「シェア」という概念でした。
そのなかでも、「オープン」では、
まず社内でオープンにしないといけない、と書かれている。
そうしないと生き残れないのが今という世界なんだということでした。
10年前にぼくはナレッジマネジメントを
自分の働いている会社でやろうとしていたのですが、
その方針はまったく的外れでなかったのだなと知ることになりました。
暗黙知や分散しているナレッジをまとめてみんなで共有していこうという
プランを練っていました。
まったく、理にかなった現実的なやり方じゃないですか。
なかなかやるじゃないか、ぼく。

また、クリアには書かれていませんでしたが、
ストーリーマーケティング的なやりかた、
モースの『贈与論』のアニミズム的な感覚というものが、
これからのビジネスに生きてくる可能性があることも
示されていました。
合理性や効率ではない、その反対のもののもつ物語や体験が
「笑ゥせぇるすまん」じゃないけれど、
こころの隙間を埋めるんじゃないかって思いましたよ。
ここで重要なのは、ただ一面的に、ビジネスが生まれるだけじゃなしに、
人と人との連帯感みたいなものが出来あがってくるし、
働き手は自分がアウトプットしているものに見合うかそれ以上のリターンを
感じることにもなるだろうし、
社会的包摂にもどうやら役立ちそうだということが見えてくる点にあります。

それと、検索できないものをみつけていく、
っていうのは良いなぁと思いました。
そうやって見つけたものは、言語化できるものならば
ネット世界がより深く構築されるきっかけになるし、
言語化できな様なものであっても、
それゆえに、大切なものなので人生を深くするのに
役立つんじゃないかと思えました。

それにしても、本書は本当に、IT世界の現状を細かく網羅して
いるように、ぼくなんかには見えますので、
現状認識のためにも一読の価値があります。

こういう本を読むおかげで、ぼくにしてみると、
たとえば3年前のITの現状よりも、今の現状のほうが、
より複雑になっているであろうけれども、
比較的知っていると言えます。
情報世界についての情報を知ることは、
いま大事だと言われる、プラットフォームという「システム」・「考え」を
知ることに繋がります。
まぁ、何をするってわけじゃないけれど、
踏まえておいて損はないなあと思っています。

いろいろ知らないような言葉が出てきて、
簡単な本とは違いますが、
読み応えがあるので、おすすめです。


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一様な価値観が、人を排除する。

2014-12-04 23:34:01 | 考えの切れ端
このあいだ読んだ、
為末大さんの『負けを生かす技術』から
ヒントを得ているのですが、
たとえば、僕が高校生くらいだった20年くらい前の、
僕の家庭や周囲の幸せへの価値観、
そしてもっと広げると日本全体の幸せへの価値観って、
大きく見れば、三つくらいしかなかったんじゃないかって思えるんです。

一つは、いい大学を出て、いい企業にはいって、
そこにしがみついてお金をたくさんもらうこと。

二つ目に、安定した国の仕事(公務員)について、
それなりのお金をもらって、高望みせずに安定した暮らしをすること。

三つ目に、自分の本当にやりたいことをみつけて、
それで稼いで暮らしていくこと。

大体は、この三つじゃないでしょうか。
ほか、この三つに近い価値観でそれにならったかたちのもの、
たとえば、三流大学をでても、出来る限りのいい会社にはいって、
出来る限り稼いでいく、というような種類。

単純にいえば、そこには「出来るだけ多くのお金を」
という志向しかないわけです。
それは、幸せというのは、お金の豊かさで、
不自由せずに食べていけることだ、とするような考え方である。
これはなにも大間違いではないですが、
そこには強迫観念めいたものがあったり、
この価値観から外れようものならば、嘲笑したり愚弄したり、
もっと言えば、そんな、道を外れた人など面倒も何もみてやらない、
「のたれ死んだって構うものか」というような姿勢があったと思います。
この最後のところなんかは、日本人の冷たさとも言われるところに
繋がるのですが、これって、ベースには食べられるか食べられないか
の瀬戸際で苦しんでいた時代の名残でもあるんじゃないでしょうか。
ただ当時との違いは、当時の「のたれ死んだって構うものか」
というセリフに、その話者の心の痛みを感じるのと違って、
現代ではそのセリフに傲慢さと残酷さが感じられるということです。
現代人は、昔の人のセリフのその形式にのみ、あぐらをかいているのです。

戦後、民主主義になっても生きずらいのには、
ひとつにこのような、人生に少ない選択肢を迫る、
お金を中心にしすぎる価値観が暗黙のうちに
幅を利かせてしまっていることがあげられると思います。
それで、僕はこう違う人生を生きたい、こんな道から外れたい、
そういう無意識に近い意識を持つ人の多さが世相にも反映して、
尾崎豊やMr.Childrenなどのようなミュージシャンを
生んだような気さえします。

社会的排除についても、ここまで言えば理解できるのではないでしょうか。
前にも書いたことがありますが、社会的排除の例としては

失業した→
親戚や友人に会うのが恥ずかしくなり一人でいることが多くなる→
頼れる人がいなくなる。

というのがまずあげられます。
そうやって、社会の一人一人とのつながりが希薄になり失われ、
ひとりぼっちになっていくのが社会的排除です。

どうして社会的に孤立して排除されてしまうのかといえば、
世の中の価値観が一様だからなんじゃないでしょうか。
幸せの形が、前述のように大きく三つしかない社会だから、
つまり、多様な幸せのかたちが無い、あるいは
多様な幸せの形を認められない社会だから、
社会的排除って起こるのでしょう。
多様な幸せの形があって、それぞれに認められる社会であれば、
チンピラだとかそういう類の人でなければ、
排除されないようにイメージできないでしょうか。
多様な人々の生き方を認めて、敬意を持てる社会、
それこそが成熟した社会なのだと思います。

それでですが、僕は最初に20年前くらいなら
こんな三つの価値観に支配されていた、
というように書き始めましたが、
では、今は違うのかと言えば、違うと思うのです。
物心ついてからずっとデフレ社会で生きてきた人たちが、
もう成人している時代です。
「デフレカルチャー」なんていう言葉があるようで、
詳しくは知らないのでそこに夢をみるということなのですが、
節約して、お金そのものを目的としないで、
そしてネットの日進月歩の発展を享受してきた人たちが
今の若者だと思いますが、
そういった人たちの価値観の形成に、
先にあげたお金を豊かさとしすぎる価値観が
説得力を弱めてしまっているというのがあると思うのです。
そういった若者は自然に、価値観を多様に形成しているのではないかと、
僕は楽観的に推測するのですが、
そういったフィールドワークの本かなにかがあれば読みたいですね。

だけれども、政治家だとか、既得権益にしがみつく人たちは
それをよしとはしないでしょう。国力が落ちるだとか、
自分の権力が弱まるだとか、あるからです。
そんなに無理をしてまで世界のリーダーになりたいでしょうか。
それは見栄なのではないかとさえ邪推してしまいます。

豊かさというものは、
ヒエラルキーのピラミッドの頂点に立つことだけなのか、
今一度、問い直していく必要があるように思います。
競争のための競争ではなく、人の幸せのための競争であるべきで、
そうやって発展するのならば、
誰も騙されているようには感じないでしょう。

デフレによって、社会的排除が軽減されるようになるならば、
もっとデフレは続いてやればいい。
多くの人がハッと気づくまで、デフレは続けばいいのかもしれない。
多様な価値観を認め合い敬意を持ちあえる社会こそ、
到来が待たれる社会なのだと思います。

と、締めくくりはちょっと過激になりましたね。

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『キャバ嬢の社会学』

2014-12-03 21:42:00 | 読書。
読書。
『キャバ嬢の社会学』 北条かや
を読んだ。

大学院生だった当時の著者自らがキャバ嬢となって
キャバクラ業界に潜入し、そしてそこで見知ったり経験した
キャバ嬢たちとその仕事にスポットをあてて、
社会学的に分析した本です。

キャバクラではないけれど、若い女の子が接客してくれる飲み屋に
連れて行かれたことはあります。
そのときは女の子がいて、だからなんだっていうんだよ、
っていう醒めたアタマだったので、
そこで過ごすのが非生産的な時間だと思ったし、
割り切って楽しくしようとすると寂しい気持ちにもなったものです。
いまやもう、無理にでもお酒は飲まないので、
そういうお店に行くことって無いでしょうね。

そこは連れて行った人にいわせると「パブ」というらしいのですが、
そこの女の子よりも派手な衣装とメイクと髪型で接客してくれるのが
キャバ嬢ですよね。

本書を読んでいると、中盤まではその分析の怜悧さによって
メカニズムが暴かれているので、絶対に楽しめないなと
思えてしまうのですが終盤にかけて、
割り切れない彼女らのスタンスを知るにあたって、
面白いかもしれないな、と意を新たにしたりもして。

彼女らにしてみると、どうやらこれはゲーム性の強い労働のようです。
黒服側もそう演出している。
どれだけ巧みにお客を取れるか、そしてつかずはなれずのような関係を維持し続けるか。
さまざまなテクニックがあり、さまざまな葛藤があるようですね。
キャバクラという地盤は、キャバ嬢にしてみれば、
抗争的な場であり自分を信じて一人でやっていく世界。
しかし、そこで相手にするオトコ共とのやりとりには、
抗争的な「断絶するやり方」とは真逆の「繋がりを作るやり方」がなされる。
非常にダイナミックな心理をかきたてていくお仕事です。

それにしても、キャバ嬢を扱っていた雑誌「小悪魔ageha」の、
そのネーミングは絶妙だと思いましたね。
女の子の魔性の部分を私生活で存分に発揮すれば、それこそ村八分だし、
それ以上のリスクすらあるでしょう。
しかし、女の子のその魔性の部分こそが女の子の大きな特性のひとつであって、
それを埋もれさせたまま一生を終えるのは、開花せずに枯れるようなものかもしれない。
そんな女の子の性質を発揮させる手だてであり場所であるのが
キャバクラなんでしょう。
ルールを整えて、女の子の誰しもが持つ小悪魔性を解放できる仕事。
そしてそこに魔性の魅力があるんだと思います。
それは女の子のポテンシャルとも言えるんじゃないか。
ポテンシャルを発揮したいから、
キャバ嬢になりたい女の子が大勢いるんじゃないだろうか。

しかし、本書に書かれていますが、
闇金だとかオレオレ詐欺だとかで儲けた若い男がその違法に手に入れた
巨額のお金を使うその使い途にキャバクラをおおいに選んでいたみたいです。
そういうふうにお金は流れていっていたんだな。
労働基準法、風営法もなんのそので営業しているみたいで、
まさに人の欲望を扱う無法地帯的な業種なんだなぁと思いましたね。

AKB48だとかを応援する人たちの気持ちも、
キャバ嬢を応援する人たちとそんなに変わらないように思えました。
お金の使い方も似てますよね。
僕も、ぱるるレベルの女の子だと疑似恋愛しちゃいそうで、
おっかないですねぇ。くわばら。


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『大人のための「恐竜学」』

2014-12-02 22:23:24 | 読書。
読書。
『大人のための「恐竜学」』 小林快次 監修 土屋健 著
を読んだ。

子ども時代に恐竜が好きだった人は多いと思います。
僕も御多分にもれず恐竜が好きで、30ページくらいだったか、
それでもハードカバーの子供向け図鑑を持っていて、
ウミユリとか三葉虫くらいから始まって恐竜が載っていたのを
楽しんで読んでいたものでした。
だけれど、中学生くらいになるともう飽きていた。
『ジュラシックパーク』にすら興味をもたないくらいに、
アンチテーゼじゃないけれど、関心はほかのものに移っていて、
「古いもの」だとして片付けていた。

そうやって20年以上が過ぎてみると、
恐竜学の世界で、恐竜についてわかってきたこと、
常識となったことが、様変わりに近いくらいに
新しくなっているのを本書を読んで知りました。
まぁ、この本を手に取ったときに、
帯に「こんなに変わった!恐竜学の最新事情」
なんて書かれていて、それで「大人のための」と
タイトルにあるものですから、それじゃ久しぶりに、
なんて気持ちになったんです。

人によっては、息子や娘がいままさに恐竜にぞっこんだ、
っていう状況もあるでしょう。
そんな子どもたちが子ども向け図鑑で手にする情報は最新のもので、
親たちが子どもだった時にちょっとかじった情報は
まさに化石のような古めかしいものになり果てていて、
まったく子どもと話が合わないどころか教えられるだとか、
子どもに怒られる、だとかというケースが目に浮かぶところです。

それで読んでみて。
簡潔に、質問に答える形式で書かれているので、
読みやすさは抜群ですし、端的に恐竜の知識に触れることができます。
もっと難しい情報、たとえば恐竜の骨格のひとつひとつの
骨の意味だとかを知りたいというような、深い探求心のある人には
軽すぎる読みものに感じられるとは思いますが、
とっかかりとしては非常に基礎的部分をおぎなってくれるタイプの
本になっていると言えるでしょう。

もう、当たり前のように、恐竜の進化したものが鳥だって言いきってますし、
恐竜には羽毛が生えていたのもいるだとか、
恐竜の寿命は、とか、いろいろな角度の、
誰もがするような質問をベースに語られています。
子どもと肩をならべられなくても、より話にのってあげることが
できるようになる本です。
ま、自分の興味もむくむくと起き上がりもするでしょうね。

僕はほんとに恐竜が好きな子どもだったので、
図鑑でえた情報と絵だとかから逞しい想像力でイメージするんです、
ティラノサウルスが実際にいたらどんなか、だとか。
だから、その後、博物館でティラノサウルスの骨格標本をみたときには、
全然驚かなかったし、想定の範囲内どころか想定通りで、
別に珍しくも感じなかったくらいでした。
可愛げがないけど、それくらい想像してたんですね。

ただ、これだけはこの本を読んでもわからなかったです。
強大な30mくらいもあるアパトサウルス(旧名:ブロントサウルス)みたいな
竜脚類と呼ばれる恐竜たちはどうやって交尾していたんだろう、ということです。
すっごい不思議じゃないですか?
逞しい想像力でも、これは想像できないです。無念。


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