イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ファーストスター 宇宙最初の星の光」読了

2022年09月09日 | 2022読書
エマ・チャップマン/著 熊谷玲美/訳 「ファーストスター 宇宙最初の星の光」読了

NHKBSで、「コズミックフロント」という番組が放送されている。けっこう凝ったCGが登場するので面白かった。「面白かった。」という過去形なのは、最近は、宇宙の番組なのになぜだか恐竜の話が出てきたり、地球の地質学の話が多くなったり、再放送ばかりになってしまって今では全く見なくなってしまったからだ。
放送当初はビッグバンの謎であったり、恒星の寿命、超新星爆発、銀河の生まれ方など、宇宙規模の壮大な話が多く、それがきれいなCGで解説されていた。
そんなトピックスの中に、この本のタイトルになっている「ファーストスター」も取り上げられていたことがあった。ファーストスターというのは、ビッグバンから始まった宇宙の歴史の中で最初に生まれた星のことだ。星は永遠に輝き続けるものではない。星も生まれては死んでゆく。星はその死んだ残骸からまた生まれてくる。じゃ、星がまったくなかった最初の星はどうやって生まれたか、ファーストスターが生まれた時の宇宙の環境はどんなものであったか、そしてその時代の光景を発見することはできるのか。そういった謎を研究しているのが著者である。しかし、その痕跡なり事実はいまだ正確には観測されていない。

ファーストスターが生まれたのは宇宙が始まって2億年ごろだったと言われている。その星がどんなものであったかということを知るにはその当時の宇宙を知る必要がある。だから、この本は宇宙の始まり、すなわちビッグバンの直後から始まる。
ビッグバンの直前、おそらく無限大に小さくて無限大に質量が高かった時というのは今の宇宙での物理法則が適用されないので知ることはできない。しかし、その直後からは研究で明らかにされている。ビッグバンは空間だけではなく時間の始まりでもあるのだが、直後の膨張速度は指数関数的であり、1秒後には100兆×1兆倍という大きさにまで広がったと言われている。インフレーション膨張期と呼ばれている。
この時から約38万年間、物質はプラズマ状態にあり、物質と同時に生まれた光子(光)はそのプラズマに邪魔されてまっすぐ進むことができなかった。38万年後、やっと光がまっすぐ進むことができるようになり、その時に観測者がいれば、景色を見ることができるようになった。これを「宇宙の晴れあがり」と呼ぶ。
物質はどうであったかというと、ビッグバンから3分46秒後に水素とヘリウムの原子核までが合成される。それより大きな原子核は飛び回っている光子が邪魔をするので大きくなれない。ヘリウム4の原子核が約25%、水素の原子核が約75%、0.01%の重水素の原子核、少量のリチウムとヘリウム3の原子核がその構成比率であったとされる。
そんな世界で生まれた最初の星は、金属を全く含まず、質量は太陽の100倍から1000倍の大きさがあったという。なぜこんなに大きな星になってしまうかというと、「ジーンズ質量」というものが決定をしている。
宇宙に漂っているガスが集まって収縮(星が生まれる)するとき、高温のガスよりも低温のガスのほうが少ない量で収縮できる。初期の宇宙は温度が高かったため、大量のガスを必要とし、星も大きくなる。この、ガスの温度と星が生まれるのに必要なガスの量の関係が「ジーンズ質量」なのである。
不思議なのは、星ができるきっかけを作るには、ガスの温度を下げてジーンズ質量を下げてやる必要があるのだが、それは高温の星ができるためには星を冷やす必要があるということである。そして、その役割をしているのが光子である。星が光子を発する、すなわち光り輝くということがエネルギーを運び去り、温度を下げるという効果を生む。なんとも不思議だ。
もうひとつ不思議というか、なんだかよくわからないものに、「オルバースのパラドックス」といものがある。これは、宇宙が有限であるということの証明なのだそうだが、こんな理屈だ。「宇宙の恒星の分布がほぼ一様で、恒星の大きさも平均的に場所によらないと仮定すると、空は全体が太陽面のように明るく光輝くはず」というのだが、なんとなくわかりそうで何となく騙されているような感じがする理屈なのだ。

話はもとに戻り、こんな巨大な星の寿命は短い。その寿命は数百万年くらいだったのではないかと考えられている。そして、その残骸から次の世代の星が生まれるまでには1000万年から1億年という、宇宙のスケールではごく短い時間しか要しなかったという。
その数百万年の間に、ファーストスターの中では水素原子核やヘリウム原子核の核融合によってさまざまな金属(天体物理学では酸素や炭素も金属として取り扱われるらしいので、様々な元素といったほうがよい、)が生まれる。その星が爆発することによって様々な元素を含む次世代の恒星が生まれ、我々人類が生まれる素になっていくのである。

著者たちはそういう現象の痕跡を探す努力をしているのだが、そのために、鉄を含まない星の探索をしている。鉄のスペクトルというのが見つけやすく、それがない星がファーストスターの候補といえる。
宇宙が始まってわずかな時間しか経っていないときに生まれた星をどうやって見つけるのか。おまけにその星は生まれてから宇宙の歴史の中ではわずかな時間といえる期間しか輝かない。それにはふたつの方法がある。
ひとつは、ファーストスターの中で長寿な星をみつけること。もうひとつははるか遠くの空域を調査することである。

ファーストスターにも長寿な星があると考えられている。その質量は太陽の数百倍以上と言われているが、その大きさにはばらつきがある。たとえば、ファーストスターの質量が太陽の0.8倍くらいだと百億年以上は輝き続けることができる。しかし、こういった星は暗いので銀河系の近くでそんな星がないかどうかを探すのだ。銀河系の本体は若い星が多いが、その周辺、ハローと呼ばれる空域には古い星が存在している。そんな中から鉄のスペクトルが出ない星を探す。しかし、なかなかそういった星は見つかっていないらしい。
はるか遠くの空域では矮小銀河の中にある星が候補にあがる。銀河系やアンドロメダ銀河はきれいな渦巻き型をしているが、これはいくつもの銀河が繰り返して合体した末に出来上がったものだ。その元になった銀河のひとつが矮小銀河である。だから、今、観測することができる矮小銀河は、そういった合体を免れた銀河で、その中に存在する星々も古く、ファーストスターの生き残りが存在するかもしれないというのである。
今年の初めに稼働し始めたジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡はまさに光学的(といっても人間の目には見えない赤外線を見るのだが。)にファーストスターを探そうという望遠鏡なのである。



これらは光学的にファーストスターを探そうという考えだが、もうひとつ、電波でファーストスターを探そうという考えもある。これは、ファーストスターが生まれた頃に発せられた電波、正確には、当時に合成された水素が出す電波を電波望遠鏡(正確には複数の電波望遠鏡を組み合わせた電波干渉計というもの)で見つけようというものだ。
この分野の研究が著者の研究領域だそうだが、その研究はまだまだこれからの分野だそうだ。
原題は「First Light」というが、まさに宇宙が発した最初の光を見つける日はそう遠くないのかもしれない。


しかし、そこにファーストスターや最初の光がみつかったとしてもそこに行くこともできないし、おそらく近づくことさえもできない。それが何か新しいものを生み出すわけでもない。それでも莫大な資金をつぎ込んで見つけようとする原動力というのは一体何なのだろうかと、こういう本を読むたびに思う。
自分たちは一体何者なのだろうか、この宇宙に生きている意味とはなんだろうかという、ただそれだけを知りたいということだろうが、そういった欲望というか渇望がもたらした力が解明する事実には感嘆させられるのである。
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「地魚の文化誌: 魚食をめぐる人の営み」読了

2022年08月30日 | 2022読書
太田雅士 「地魚の文化誌: 魚食をめぐる人の営み」読了

著者は大阪市内の卸売市場で水産物の仕入れなどを40年ほどやっていた人だそうだ。魚の目利きのプロといったところだろうか。その人が備讃瀬戸~播磨灘~大阪湾~紀伊水道という、関西の海域で獲れる魚介類の様々なことについて書いている。僕にとっても身近な海で獲れる海産物について書かれているということがうれしい。そして、その情報量が凄い。本文は193ページで2段組み、無駄な文章はまったく入っておらず、そこで獲れる地魚についての蘊蓄をこれでもかというほど掲載している。その内容は、調理法、文化と風習、変容する環境、漁法、流通など、その範囲は広範囲に及ぶ。いくらかは知っている情報もあったが、改めて読んでみると、この海域の豊かさというものを改めて認識させられる。
あまりにも情報量が多いので、今回は、これは話のネタになりそうだと思ったことを箇条書きにしてまとめてみようと思う。

・大阪湾で水揚げされる魚介類は約225種類。魚種149種類、エビ・カニ類22種、イカ・タコ類12種、貝類26種、ウニ・ナマコなどが8種、海藻類も8種。そのうち、漁業の対象になっているものは160種ある。少し疑問だが、残りの65種類って何なのだろう?たまたま網に入ってきただけだけれども、食べられるから出荷しているという類のものなのだろうか?
・紀伊水道では、有用魚介類として約170種類が棲息している。
僕が釣ったり獲ったりしてくるのはこれの数十分の一ということだな・・。やっぱり海は広い。
・カマスゴはカマスの子供ではなく、イカナゴの親魚である。
・イカナゴのくぎ煮を自宅で炊いて親戚に配るという習慣は、30年ほど前からと歴史は浅いそうだ。これは阪神淡路大震災がきっかけで、震災から立ち直って元気にしているということを知らせるあいさつ代わりとして広まったらしい。
いとこの奥さんが神戸の出身で、やはりそういう習慣があったらしいが、いとこの実家では食べないというので我が家にそのまま回ってきていた。しかし、姑の家では全然食べないということがばれたのか、2年ほどでぷっつりと途絶えてしまった。けっこういける味だったので残念だった・・。まあ、不漁が続いていてくぎ煮を作ろうにも材料がないということもあったのだろうが・・。
・エソの皮を割りばしに巻いて塩焼きにすると美味しいらしい。ハンペンを作るときには捨ててしまう部分なので次回は絶対に作ってみようと思う。
・バッテラというのは、元々コノシロの幼魚(ツナシというらしい)を使った姿ずしで、尾がピンと張った姿がボートに似ているのでポルトガル語で小船という「バテイラ」という言葉がなまってバッテラになったという説がある。雀ずしも、元はイナを使って作られた姿ずしだったらしい。ヒレを張った姿が雀の飛ぶ姿に似ているので雀ずしという名前になったらしい。コノシロは漁獲が少なり、イナは泥臭いというのでサバと小鯛が使われるようになったそうだ。すし万というとちょっと有名なすし店だが、ここが小鯛を押しずしにした形を広めたらしい。
・縄文時代中期には釣り鉤以外にも網で魚を獲るという方法も生まれていた。ヤスで突く漁もあったし、弥生時代にはモンドリやイイダコ用の蛸壺などもあったらしい。この時点ですでに僕の漁獲法を超えてしまっている。
・住吉大社の夏祭りというのは、夏越祓神事(なつごしのはらいしんじ)という名前だそうだ。これがおこなわれる日というのが7月31日の夜半から8月1日にかけてだそうだ。僕の船を係留している地域の氏神様も住吉神なのだが、確かに祭りというとこの日だった。子供のころの僕にとっては神事などは関係なく、この日には夜店が出るのでそれだけが楽しみだったのだが、毎年7月31日に夜店が出るというのにはこういう意味があったのだということをこんな歳になって初めて知ったのである・・。
しかし、ここも少子化で的屋も来てくれなくなり、それでは淋しいと自治会の人たちがいろいろな催しをしていたらしいのだが、それもコロナ禍をきっかけに無くなってしまったらしい。これも時代なんだろうな・・。
本拠地である住吉大社では毎年同じ日に堺大魚夜市というものが開催されていたらしい元はこの時期によく取れるタコを売る市だったらしいが、祭礼の日は朝市だけでは間に合わないほど取り扱い量が増えるので夜の市が立ったということだ。
・船の生け簀のことを昔の人は「生け間」と言ったが、これは釣りをしている間だけ魚を生かしておくためのものではなく、消費地まで魚を生かしたまま運ぶ手段として生まれたものだそうだ。今でも加太の船などは生け簀に水が入ったまま港まで戻るそうだが、そんなにきれいな海水がある港がうらやましい。僕の船が係留されている港でそれをやってしまったらその魚を食べることができなくなるほど汚い水質だ。少しはきれいになったとはいえ、そこで魚を生かしておくということはできない・・。
・落語家に「桂ざこば」という人がいるが、「ざこば」というのは魚市場のことであるというのは知っていたけれども、もうひとり、「桂塩鯛」というひとがいて、これは変わった名前だと思っていたが、その語源と言えるものもこの本に載っていた。
それは正月のにらみ鯛からだそうだ。今では焼いた鯛を準備するが、最初は塩をした生の鯛がお膳に出されていたそうだ。だから、「塩鯛」というのは縁起のいい言葉だったのである。
ちなみに「ざこば」という字は「雑喉場」と書く。これは古代から魚は鰓に藁の紐を通し、一喉(こん)、二喉と数えたとされ、多様な魚、雑喉が集まる場所ということで「ざこば」という言葉ができたという。これも、人が集まってにぎやかな場所であるとか、食べるものに困らないとかいう、縁起を担ぐ名前だったかもしれない。
・節分というとヒイラギの枝にイワシの頭を指して門口に飾るものだが、昔はボラの幼魚(ナヨシ=イナ)を使っていたそうだ。ボラは出世魚なので縁起が良いとされていたらしく、ナヨシも「名吉」というのが語源だそうだ。これ以外にいろいろな縁起物に使われてきたというのは、ボラ釣りが釣りのルーツのひとつである僕にとってはうれしい限りだ。バッテラの元祖もボラだし。
・節分に食べる恵方巻だが、これが本格的に始まったのは昭和40年代とかなり新しい。大阪海苔問屋協同組合と大阪鮓商組合が連携してキャンペーンをし始めたことが発端だそうだ。バレンタインデーにチョコを贈る習慣が広がったのが昭和30年代の後半らしいので、それよりも新しい。だから、別にこの日に巻きずしを食べなくても全然問題はないのである。
・瀬戸内海の海水の9割が入れ替わるためには約1.4年かかるそうだ。海水の平均滞留期間は6か月とかなり長い間漂い続けている。
・瀬戸内海の海水温についてだが、1994年頃から上昇に転じ、50年前に比べて1~1.5度上昇しているそうだ。特に秋から冬にかけての水温上昇が著しい。春から秋に産卵する魚は暖海性の魚(真鯛、クロダイ、ヒラメ、タチウオ、キス)だが、こういった魚は特に影響を受けないが、冬に産卵する冷海性の魚(ボラ、キビレ、スズキ、カレイ、メバル、イカナゴ)などは大きな影響を受ける。
アイナメはほとんど姿を消し、紀伊水道のアワビ、サザエ、テングサも極端に減少しているそうだ。個人的には水温が下がらないと生育が悪いというワカメが採れない年があるのでこれは確かなことなのかもしれない。
・海底に溜まった生物の排泄物を「デトリタス」と呼び、そこに生活する底生生物をベントスと呼ぶ。どちらも食物連鎖の最下層にいる生物の重要な食料となる。デトリタスが堆積する要因は海洋生物の排泄物だけではなく、河川を通して流れてくる生活排水や、昔でいえばし尿などがその源になったのだが、1990年代からの栄養塩流入の規制がかえって貧栄養化の問題が起きている。イカナゴの不漁や海苔の黄変などはこういったことが原因だと考えられている。
もうひとつ、海洋汚染についてだが、僕は紀ノ川河口を通るたびにここは汚いと思っていたのだが、あの褐色の水というのは、たっぷりと栄養を含んだ水らしい。その栄養が植物プランクトンを養い、あの海域の食物連鎖を支えている。そういえば、新々波止の南ではタチウオはほとんど釣れないが、北側ではたくさん釣れる。少しの場所の違いだが海水が栄養を含んでいるかいないかであれほどの差が出るのだ。紀ノ川が汚いと思っていたことに対しては紀ノ川の神様に詫びなければならないと思ったのである・・。



しかし、地魚を囲む環境は相当厳しいらしい。海洋プラスチック、環境ホルモンなどの海洋汚染物質はもとより、水温の上昇により、卵を産めない魚も出てきている。先に揚げたように、冷海性の魚たちがその被害を被っている。また流通や外食の世界でも規格品を安定的に供給されなければならないという原則が水揚げが不安定な地魚の流通を阻むし、セルフ方式のスーパーマーケットでは調理法を教えてもらえる機会もなく店頭に置いても売れることはない。僕が行くスーパーマーケットはディスカウントスーパーばかりなのでよけいにそうかもしれないが、鮮魚コーナーといっても並んでいるのはアジ、サバ、イワシ、サケくらいで、今が時期なのか、それにウボゼが加わっているくらいだ。あとは種類が分からないイカとゆでだことバナメイエビくらいだ。それ以外の魚はたまたま店頭にあったとしてもけっこう値段が高い。魚の可食部というのは全体の4割くらいと言われているらしいから切り身になっている以外だと割高になるし、切り身になっていてもタチウオなんかもかなりの値段がする。だからタチウオはたくさん釣ってきてもいくらでも貰い手があるのだ。
地魚というと思い出すのは子供の頃、リヤカーにトロ箱を積んで魚を売りに来るおじさんだ。「トウロウさん」、「アンニャン」というふたりのひとが何日かに1回、近所の家の軒先にトロ箱を並べて売っていた。今思うと、確かにいろんな種類の魚が売られていた。僕の母親も、それが好物だったのか、単に安かっただけだったのか、トラギスやゴンズイを買っては煮て食べていた。今ではまず買うことのできない魚だろう。
漁獲が少なく、種類の多い地魚はこういった個人が少量ずつを商いすることで流通が成り立っていた。カンカン部隊などと言われていたそうだが、漁師の家族が電車や船を乗り継いで大都市圏の消費者や飲食店まで届けていたという。僕も以前に鶴橋の駅で目撃したことがあったが、こういった人々を運ぶ専用の列車も各地にあったそうだ。



携わっていた人たちの高齢化や保存技術の発達から今ではほとんど廃れてしまっているようだが、今ではそれに代わって、ちょっと目的は違うのかもしれないが、各地で地魚を扱うマーケットができている。「浜のうたせ」や古くは「とれとれ市場」などもそうなのだと思うが、和歌山県だけでなく、大阪府はもとより兵庫、岡山、香川、徳島と、この本が取り上げている地域でもたくさんの施設があるそうだ。なんだかちょっと夢がある話だなと思ったりもする。

肉というと、ジビエは別にすると、牛と鶏と豚しかない。それに比べると魚介類というのははるかにたくさんの種類がある。それぞれの素材に合わせた調理法を考えると肉に比べるとはるかに多くの食べ方があるのだから、新しい流通法を考えて再び地魚の時代が戻ってくればいいのだがと思うのである。

そうは言っても、僕は自分で釣ってくる魚以外はほぼ食べないというのは変わりないであろうが・・。その理由は、半分偏見が入っているのかもしれないが、魚についてはどんな場所でも、店頭に並んだ時点ですでに鮮度が落ちていると思い込んでいるからなのである・・。


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「天上の歌―岡潔の生涯」読了

2022年08月22日 | 2022読書
帯金充利 「天上の歌―岡潔の生涯」読了

岡潔という人を知っているだろうか・・。数学者で「多変数複素函数論」というまったく意味が分からない論理を解明した人だそうだ。
どうしてそんな人に興味を持ったかというと、和歌山にゆかりのある人で、この人の書いたエッセイというのはものすごく評価されていたということを知ったからなのである。
1901年、生まれは大阪市だが、父親の実家が紀見峠にあり、父親が本家を継ぐために幼くして和歌山に住むようになる。
京都帝大に進学するまでは和歌山で暮らし、卒業後は京大の講師になり途中、フランスへ留学。そこで中谷宇吉郎やその弟で考古学者であった中谷治宇二郎と親交を結ぶ。
帰国後、広島文理科大学助教授となり、6年後に休職し和歌山に戻る。
その後は無職のまま和歌山で研究生活を送り、「多変数複素函数論」というものをまとめあげたそうだ。この問題はものすごく難題で普通ならひとりの力では成し遂げられないような偉業なので外国の数学者たちは岡潔というのは数学者の集団のペンネームだと思ったくらいだそうだ。
この業績が認められ1960年に文化勲章を受けたことで一躍日本でも有名な学者となったらしい。元々が難解で一般人受けしない業績だったのでそれまではまったくの無名だった。
その後、毎日新聞に連載されたエッセイ「春宵十話」が話題になり、一般にも知られる学者となっていたそうだ。

研究のために助教授の食を休職し収入が途絶え、親から相続した田畑を売りながら生活していたというのだからストイックというか、ちょっと変わったひとであったようである。
助教授でありながら、自分の研究優先で教育には身が入らず、評判は悪く、さらに、後にはすごい論文を発表することになるのだが自分の研究はまだまだこんなものではないと、当時はまったく論文を発表することもなかったらしい。しかし、そんなことは偉人伝にはよくあることで、この伝記を読んでいる限りにおいては、僕自身はそんなに大変人であるというような感じは受けなかったのであるが、文化勲章を受けた直後はその業績よりも奇行のほうに注目されたというようなことが書かれていた。その象徴が表紙の写真である。これは編集者に望まれて撮った写真だそうだが、世間が見る岡潔はこんな感じの人であると編集者も思っていたということだろう。一緒に写っている子犬は近所の野良犬で飼い主がおらず、誰かれなくもらえる餌で暮らしていたそうだが、この写真をきっかけにきちんとした飼い主が決まったというので、岡潔は変な写真を撮った甲斐があったと言ったそうだが、この人は世間が思うほどの変人でもなかったということだろう。
こういうのはなんとも日本の国らしいと思う。しかし、年月が過ぎても未だにそういうところは変わっていないというのは面白いというか呆れる。

収入の面では、手を差し伸べてくれる友人たちがおり、中谷宇吉郎は北海道帝国大学理学部研の究補助嘱託の職を紹介し、秋月康夫という京大時代からの友人は奈良女子大学理家政学部教授の職を紹介してもらったということだ。母校の京大からも学位を得ることができた。
広島時代はともかく、奈良女子大学時代にはちゃんと教育者としての仕事もこなし、女性に数学を教えるためにはどうすればよいかということに真剣に取り組んだそうだ。
また、宗教や東洋思想にも非常に興味があったらしく、取り組んだ難題の解明法のひらめきはそういった思想からヒントを得ることができたとも語っている。
そういうところがさすがに非凡なところで、『僕は論理も計算もない数学をやってみたい』という言葉にも繋がっているのだと思う。
そういうところから案じたのが日本という国の行く末だった。
この人の人生の後半は数学よりもこういった行動がクローズアップされ、また、最後に教鞭をとった京都産業大学では数学の講義ではなく、「日本民族」の講義をおこなったらしい。

岡潔の生き方としては宗教的な部分が強く、僕が期待していた科学と哲学の関連のようなものはあまり見られなかった。宗教的な面でも公明主義という新興宗教に帰依したということで、新興宗教がどうのとかは言うつもりはないがどうも思想が偏っているような気もする。エッセイについても書かれた時期が1960年代までとなってくると、これから先、読んでみようと思うようになるかというとちょっとそれはないかなと思うのである。

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「宇宙・肉体・悪魔【新版】 理性的精神の敵について」読了

2022年08月21日 | 2022読書
J・D・バナール/著 鎮目恭夫/訳 「宇宙・肉体・悪魔【新版】 理性的精神の敵について」読了

タイトルを見てみると、なんだか落語の三題噺のようにも思える。“悪魔”という言葉が気になり、こういう言葉がタイトルに入っているとなるとおそらくは科学と哲学に関するような内容だろうと読み始めたのだが、そういうものではなく、人類社会の未来予想というような内容であった。
著者は、X線による結晶構造解析の第一人者であり、この本は1929年に書かれたものだそうだ。日本語訳が最初に出版されたのは1972年、そしてこの本は復刻版として新たに2020年に出版されたものだ。1929年というと、相対性理論や量子論はすでに発表されていたが、著者の研究がタンパク質やDNAの分子構造を解明するのに貢献するのはもっと先のことになる。
そんなに古い本を復刻する意味があるのだろうかと思うのだが、これには多分、二つの意義があるのだろうなと思った。
ひとつは、この本に書かれている未来というものが今の時代になってそれが実現しそうな時代にいよいよ入ってきている。その時に人類はどういう心構えをしておくべきなのかという問いかけをするためではないかということ。もうひとつは、この本に書かれていることが数々のSF小説や映画、アニメのネタ元になっていたのではないかということをもう一度知らしめたいという、出版を企画したひとの意思があったのではないかということである。

この本の主な内容は、人類の新しい活動拠点として宇宙を取り上げ、そのためには人体その物の改変が必然となってくるというものだ。そして、その進化の妨げになるものは何かということを示している。
地上以外の活動拠点として地底都市や海底都市を提示するのではなく、空気と重力のない宇宙にスペースコロニーを建造して生活拠点とするということをこの時代に提案しているというのが現実の流れに合致している。これが著者の科学に対する合理的な見方の正しさを示しているし、そういった環境に適応するためには肉体も変わっていかざるを得ないという考えも長く無重力で生活してゆくと筋肉などさまざまな部分に重力下では見られない変化が短時間で現れるという事実とも合致している。
そしてそれは自然な進化の過程を待つのではなく人間自らが肉体改造しなければならないというのだが、さすがに、宇宙開発のために肉体改造をするというところまではいかないが、人間の寿命を延ばすために臓器の一部を作ったり、欠損部分を補うための、例えば聴覚や視覚を肩代わりするシステムなどは実用化されつつある。
究極は円筒に入った脳みそだそうだ。目や耳などの感覚器官や手足などの触覚器官はすべて機械化され、脳と分離される。すべての外部情報は電気信号として筒の中に入っている脳に送られ知覚として認識されるというのだ。宇宙で暮らすにはこの形がもっとも合理的で太陽圏も越えていけるのだという。
また、知性の進化としては複合頭脳、群体頭脳といった名前のものが想像されているが、これなどもインターネットがその一部を担い始め、メタバースが進化すると本当に意識や知性が、それが他人のものなのか自分のものなのかの区別がつかなくなってくるのかもしれない。

そんな時代を目の前にして、人類はどう考えるべきかというヒントは「悪魔」や「敵」という部分に隠されている。この本でいう「悪魔」という言葉の使われ方は、こういった人類の進歩と進化を阻むもの、それが「悪魔」であり、「敵」だと書かれている。
著者は科学者であるので、基本的には科学の進歩はよいことだと思っているのであろうから、その進歩を阻むものは、『創造的な知的思考を維持する能力の喪失か、または創造的な思考を人類の進歩に適用する願望の欠如、もしくはこの二つの両方の合わさったものである。』とかなり手厳しい書き方をしている。
そして、具体的には、専門分化、自然界の複雑さ、化学への幻滅、天才と大衆との軋轢、政治的要因と歴史の循環、田園牧歌か、知的進化かといったことがその阻害要因として挙げられると書いている。
科学知識が増大すると専門分化が避けられないが、他の分野に無知でいるようになるとその進化が妨げられ、人間の心理的、社会的な部分、今のままでいいのだという考え、進歩的な考えに対するアレルギーや権威主義もその妨げとなる。そういったことから最悪の場合、進化に乗る人と乗らない人の二極化が起こるかもしれないとまで予言している。
この辺もなんだか当たっているような気がする。ちょっと意味が違うかもしれないが、時代の波に乗れる人と乗れなかった人の間では貧富や情報の格差が起こり、そういったことから降りて田舎暮らしを楽しむというのもひとつのトレンドとなっている。そういった人たちは肉体改造やましてや宇宙への進出など考えたこともないだろうし、寿命がくればそこで終わるのが人間らしいのだと思うだろう。
『一つの時代が創造的であるか否かを真に決定するのは希望である。ところが、どんな時代にも社会における希望の存在そのものは、まだ探られていない多くの心理的、経済的および政治的な要因に依存する。』のである。
そして、そのどちらもが選択としては間違っていないのだろうと言えるのであるから難しい。
ひとつ、著者の考えとして興味があったというか、きっとそうなんだろうなというものは、こういった進化をけん引しやすい社会体制は社会主義国家であると書いていることだ。そしてその先には統治者が科学者に引き継がれることが望ましいというのだ。
なるほど、自由主義の世界では必ずラディカルなことには反対する勢力が存在し、それが進化の障害となる。社会主義では方向性が決まればそれがどんなことであれすべての人がそれに従わねばならないから資本はすべてそこに注ぎ込まれる。習近平が科学に理解のある人かどうかは知らないが、はやり宇宙を制するのも中国なのかもしれない。
しかし、重力のない世界で進化の仕方を間違うと、頭だけが大きくて胴体と腕と足がヒョロヒョロのクラゲみたいな見た目になってしまうのではないかと考えると、僕は自由主義の社会で生きていることに感謝したいと思うのだ。

様々なSFのネタ元としてはどうだろう。僕はSFのネタというのは哲学の世界から取り出したものと思っていたけれども、宇宙への進出や肉体改造、複合頭脳や群体頭脳といったキーワードはガンダムやエヴァンゲリオンのプロットそのままのように思える。マトリックスも攻殻機動隊もしかりだ。また、進化と現状維持との間に揺れる心理はArcの中に出てくる考え方に一致する。
指導者が科学者というのは「未来少年コナン」の世界だ。宮崎駿もこの本を読んだことがあったのかもしれない。
もちろん、様々な情報を総合するとこういった考え方というものは浮かび上がってくるだろうとも考えられるが、それは先行者利得というもの。1929年に先にこんな本が書かれていたという事実があると、原作者たちはみんなこの本の存在を知っていたと言われても違いますとは言えないような気がする。

たった100ページの本文だが、確かに科学史の中ではエポック的な1冊であったのかもしれない。

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「糧は野に在り:現代に息づく縄文的生活技術」読了

2022年08月17日 | 2022読書
かくまつとむ 「糧は野に在り:現代に息づく縄文的生活技術」読了

この著者もずっと前に読んでいたアウトドア雑誌に連載を持っていた人だ。書架の前をぶらぶら歩いていてこの本を見つけた。けっこう歳の人だと思っていたが、1960年生まれだそうで、僕とは4歳しか違わない。学年ではおそらく3学年上というほぼ同世代と言ってもいい年齢差だ。

この本のタイトルのとおり、海や山や川から食べられるものを捕ってくるということは大好きだ。このブログも書いている内容の大半はそんな内容になっている。こういう嗜好というのは相当マイノリティな部類に入るのか、それともほぼすべての人は本能的にそんな嗜好を持っているのか、そこのところを知ってみたいといつも思っていた。
仕事というか、勤務している会社はこういうこととは真逆のことをやっている会社で、一緒に働いている人たちの中でそんな趣味を持っている人にはほぼ出会ったことがない。釣りが好きという人に出会ったのは30数年の間で4、5人というくらいだったのではないだろうか。だから、実際、会社の仕事というものに前のめりになれることもなく、また、そんな中にいるのだから、浮いた存在となってしまうのは仕方がないと思っていたのだが、そんな人たちも何かのきっかけでスーパーマーケット以外から食材を調達したくなる人になったりするのだろうか・・。そんなことをいつも思っていたのである。
まあ、そうはいっても、僕はなんちゃって糧拾いでしかない。農業や漁業に従事している人を含めて、自らが直接的に自然界から食料を得ることができる人たちとは越えたくても絶対に越えられない大きな隔たりがあるようにいつも感じている。

この本に登場する人たちも、生きるためのすべての糧を狩猟や採集で得ているわけではないけれども、その濃さは半端ではない。特に奄美大島に暮らす老人の生き方というのはかなりそれに近そうだった。
著者のあとがきには、『持続的な生き方について考えていたとき、今なお自然の中から糧を得て暮らす人々を取材する機会を得た。漁労や採集、狩猟を楽しみ、なりわいにもしている日本人の記録である。』と書かれているが、さすがに現代社会ではそれだけに頼って生きていけるわけではない。しかし、『いずれの人も自然に対する深い洞察力を備え、現代人離れした技術を持ち、質素だが無理のない暮らしを送っていたのが印象的だった。ひと言でいえば「縄文を見た」。』と述べている。僕が目指したかったところもきっとこういうところだったのかもしれない。そうなってくると、生きるための糧を得ている今の職業とその目指しているところのギャップがあまりにも開きすぎていた。そこからは何の応用も生まれてはこなかった。そんなことを思いながら就職活動をやっていたわけでもないので当然といえば当然だが、もう少し考え方を変えていればもっと楽しい生き方になっていたのかもしれないと思うと今更だけれども残念にも思うのだ。

登場している人々の生き方が僕の理想と思う人たちばかりなのでそういった思いのほうが強くなってしまった。願わくば、定年退職後は生きる糧を得るというところまでもいかなくても、こういった自然の世界にかかわりながらいくばくかの糧を得られるような生き方をしたいものだと妄想が湧いてくる。

著者は1960年の生まれだというのは先に書いたが、取材対象になった人たちは全員1920年代の後半から30年代の人たちだ。著者からすると、父親の世代の人たちということになるだろうか。この時代の人たちはその子供たちの世代に比べるとはるかに濃厚に自然と接してきたのは確かだろう。戦争を体験し、日々食べるものさえない時代に山、川、海からなんでもいいから食べられるものを取ってくるというのは生きることに直結もしていた。僕の父親もそうであったから何でもよく知っていたし、手も体もよく動いた。こういった記録は文章だけに残したところで後世に伝わるものは何もないのかもしれないが、彼らの子供の世代の著者としてはこういう人たちがいたのだということをどうしても残したかったのだとは思う。この本は、2003年と2007年に取材されたものを2015年に1冊の本としてまとめたものだが、今書いておかなければそれこそ何も残らないという焦りもあったのかもしれない。2022年の現時点では現役で同じことを続けることができている人はほとんどいないのではないだろうか。
そして、奄美大島の老人を取材した章では、『子供のころの濃密な自然体験は、今はどこでも昔語りの世界だ。奄美のタコ捕りの場合、それが郷愁でなく、70歳を過ぎた現在も同じ場所で同じ興奮が味わえるというのが驚きであり、新鮮でもある。こうした遊びをアウトドアレジャーと呼び、車を使って遠くまで追いかけて行かなければならない都会の休日は、じつはそれほど幸福な時間ではないことを教えられる。』と書いているが、今の時代、あなたたちは果たして本当に幸せなのかと問いかけたかったのかもしれない。
確かに今の僕の生活というのは、例えれば全然面白くない民放テレビを見ているのと同じである。そのココロは、楽しみは本編ではなくてコマーシャルの方だけである。というものだが、僕も休みだけが楽しみで本編の仕事という部分には何の魅力も感じられない。これが少しでも仕事と自分の楽しみに関連があればそこに光明を見出せるのかもしれないが、それがまったくないのでは絶望的なのである。僕の人生の残り時間を切り売りしているだけなのである。

ひとつおもしろいエピソードが書かれていた。これも奄美大島での習慣だそうだが、『山の神様を拝んだあとは、今日はたくさん撃ってくるとまわりに触れ回る。ヤマウーバといって、山へ猟に出るときはどれだけ大きなことを吹いて回ってもかまわん。そのほうがシシは捕れると昔から言ってね。反対に海の漁はイショムツカといって、人に黙って出かけたほうが獲物があるといわれる。』そうだ。僕もそういった経験がよくあって、前の日に、明日釣りに行くんですよと人にいうとその日は魚が釣れない。ああ、これは日本全国どこでも同じだと思ったのである。
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「三人孫市」読了

2022年08月14日 | 2022読書
谷津矢車 「三人孫市」読了

著者のプロフィールを調べてみると、時代小説の世界ではいくつかの賞を取ったりしている人のようだ。雑賀孫市が主人公の小説を何冊か読んだが、いままでは調べても出てこない人ばかりであったことと比べると、司馬遼太郎や津本陽まではいかなくてもけっこう有名な人のようだ。

雑賀孫市は謎の多い人物なので様々な空想の世界の中で物語が作られるが、今回は複数の孫市が一度に存在したという設定のもとに書かれている。これは元々、「雑賀孫市」という名前は名跡として存在し、雑賀一族の統領が代々受け継いできたものだということをヒントにしているのだと思う。
雑賀一族は傭兵集団という側面を持っているので、雇われれば敵と味方に分かれて戦うこともあったらしい。(どこまで史実かは知らないが。)そういった真逆の立場に立つようなことが、複数の人格があってもいいだろうとなり、それなら同じ名前を名乗る人物が複数いてもいいだろうという想像の膨らみにつながっていったのかもしれない。
物語の中では、長男と次男のふたりが同じ名前を名乗ることで武勲が大きくなり、自分たちを利することになるというのでそんな名乗り方をしたということになっている。

主人公は3人の兄弟である。雑賀一族の統領のひとり、鈴木佐大夫の息子たちという設定である。長男の秀方は聡明ながら病弱、次男の重秀は体躯も大きく勇敢、三男の重朝は神秘的で他人を寄せ付けない雰囲気だが銃の名手という設定になっている。次男の重秀という名前は実在した名前のようだ。
雑賀一族は自分たちの生き残りを懸け、時には一丸となり、時には敵と味方に分かれながらも自分たちのための戦いを展開するという内容である。ちなみに、孫市が愛用したとされる「愛山護法」という銘の銃も3丁に分かれて登場する。

主人公たちはいつもながらのスーパースターでぶりで、長男は戦略立案の名手であり、その策はいつもズバリと当たる。愛機は銃身が2本ある「愛山護法・海」。連射ができるということが特徴である。次男の重秀は屈強で、ひとたび金砕棒を振り回すと敵兵が5人、10人と血まみれになって死んでゆく。普通の人間ではそこまでの力は出せないだろう。愛機は「愛山護法・陸」。銃身の直径は通常の倍以上。命中精度は低いがその破壊力は強力である。三男の重朝はまだ、7、8歳のころ、初めて銃を見たそのとき、何かに憑りつかれたように銃を扱い見事に鴉を打ち落とす。そしてその鴉には三本の足が生えていた。そこにこの三人の兄弟の運命が暗示されているのである。愛機は「愛山護法・空」。銃身の長さが通常の倍あり、射程距離と命中精度が高い。その後も腕を上げ、1発の銃弾で3匹のスズメを一度に打ち落とせるほどにまでなるのだが、まず、そんな芸当はスズメが立方体の箱の中に詰め込まれているような状況でも作らないかぎり無理だろう。しかしながらその腕前は数度にわたって信長の命を脅かすことになり、後に兄弟同士戦いという悲劇を生む。

雑賀庄の統領の使命として、長男の秀方はまずは領地を守ることこそが一番であると考える。病弱であるがゆえに戦場での働きはできないものだと悟り、戦術書を読み漁り、名高い軍師に教えを乞うことで軍略家として成長する。そのきっかけとなるのが、刀月斎という本願寺から流れてきた老人である。ボロを纏ってはいたが、腕利きの鉄砲鍛冶であった。刀月斎は雑賀庄に鉄砲と阿弥陀信仰をもたらしたことで雑賀庄に波乱が巻き起こる。「愛山護法」を造ったのも刀月斎である。
次男の秀重は秀方が考案した鉄砲の運用術を使いこなして名うての戦術家となる。生き残るために織田、羽柴の軍門に降った雑賀庄と本願寺との間に悩みながらも武士としての本分を全うすべく自分の信じた道を行こうとする。三男の重朝はそんな次男に付き従いながら自分の技術をさらに高める道を進むのだが、本願寺と織田家の軋轢から生まれた悲劇により二人の兄と争うことになる。

その悲劇とは、こんな内容である。
雑賀一族は織田信長と雑賀庄での合戦の和議の条件として本願寺には与しないという約定を飲む。しかし、統領のひとりである土橋平次はその約定を破り本願寺へ物資を流していた。雑賀庄を守るため、重方はやむなく平次を斬る。そして、その娘であり、鴉の巫である娘のさやの命も奪ってしまう。
秀方は非情なまでの決意で雑賀庄を守ろうとし、秀重はなりゆき上本願寺派を守るため信長、秀吉軍に戦いを挑む。そして、重朝は心に秘めた思いから悲しい復讐に燃えるというかたちで物語は進行してゆく。その思いとは、さやに対して、鴉の巫という窮屈な立場からいつかは自由にしてやると約束をしていたことであった。重朝はその死を知って怒りに震え、兄を仇として討つことを誓う。そしてそれは手段を択ばぬものであった。この、悲しい復讐劇が物語のクライマックスとなる。重朝は羽柴方に寝返り本願寺に味方する秀重を討ち、そしてまたさやを殺した長兄の秀方さえも狙うのである。

信長や秀吉にとっては雑賀一族などというのは地方の小さな豪族に過ぎず、たとえ戦場で苦杯をなめさせられたとしてもそれは一時のものであり世の中のすう勢を決するようなものでもない。今までの孫市が主人公の小説というと領地を守るための戦いと信長、秀吉に一矢報いるというような流れで書かれているが、この小説は3人の兄弟を登場させることでもっと小さな世界での戦い、すなわち、自分の名誉であったり恋焦がれる人への思いであったりのための戦いを書いているというのが大きな違いだ。
きっと、この時代でも、もっと時代が進んだ昭和の時代の戦争でも、大多数の人たちは大局などは別の世界のこととして、もっと小さな世界で自分たちのための戦いをしていたんだろうなとあらためて思わせる内容であった。戦争などというものは結局、政府なり、幕府なり、大名なりの欲望やエゴだけで始められるものだ。前線で戦っている人たちにはそんなことは関係ない。もしそれが正義の戦争だと信じているのであればそれはただ洗脳されているだけである。もし、そういう人たちに大義があるとすればその大義はもっともっと身近で小さなものである。そういうところを重朝というキャラクターを使ってうまく書いているなと思うのである。


最近「ちむどんどん」では、ここはおかしいとか、こんな展開はあり得ないと、「#ちむどんどん反省会」などと称していろいろ突っ込まれているように、主人公たちの射撃の腕や武勇伝を別にしてもこの小説にも細かな点でこれはおかしいのではないかというところがいくつかある。僕もそういったところを突っ込んでみようと思う。
まずひとつ目だが、この物語が動き始めるきっかけになる部分だ。先に書いた通り、秀方は長男ではあるが、病弱であるがゆえに戦場に出ることもままならず、家督を継ぐことを諦めているのだが、そこに本願寺から流れてきた刀月斎という老人が現れる。その登場シーンというのが、八咫烏の従者として巫の役割をしているさやにボロをまとった汚い姿で取りすがったところを捕らえられるという感じなのだが、その時は祭りの最中だということで手討ちにされるのを免れる。この領地には牢屋がない(ここも、戦国時代の傭兵集団の里に牢屋がないというのはおかしい・・)というので監視役として秀方が指名されるのだが、場面は変わって一応、体はきれいに洗われてそれなりの着物に着替えさせられている。そこで、「お前は力が欲しくないか。」と2丁の鉄砲を包みから取り出すのだが、ボロをまとった姿から着替えさせられているのだから、その時に持ち物も検査されているはずで、普通なら鉄と木でできた見たこともないような怪しいものは一体何かと尋問をされていてもおかしくないはずなのに、何故、そうはならずにその後に路上で秀方に見せることができたのか・・。この場面がなければ雑賀一族が鉄砲隊として戦国の世に名を上げることができなかったのだが、相当無理がある設定のように思うのだ。
ふたつ目は、いわゆる「雑賀川の戦い」だ。川底に壺を埋めて騎馬武者をパニックに陥れるという奇策が有名だが、この小説では普通の落とし穴となっている。空想は空想でよいのだが、この戦いは雑賀一族の知略の象徴だと僕は思っているのでやはりここはそのストーリーで書いてほしかった・・。
三つ目は、雑賀庄の秀方は織田方、弟の重秀は本願寺方に分かれた後のことだが、本願寺は降伏して顕如上人は鷺ノ森別院に隠れ、そこに重秀も同行するのだが、信長は執拗にその行方を追っている。しかし、雑賀庄と鷺ノ森というのは目と鼻の先というか、鷺ノ森も雑賀庄の一部であるにも関わらず、重方たちはその存在にまったく気が付いていない様子なのだ。これだけの高僧と屈強な武士が一緒のところにいれば、すぐに噂が広がって見つかってしまうと思うのだが・・。
と、もちろん、この小説は100%空想で書かれているのでそれはそうなっているのだからそう読んでおけばいいのだが、ひねくれた性格の僕はどうしてもそういうところを突っ込みたくなるのである・・。
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「魚食から文化を知る ユダヤ教、キリスト教、イスラム文化と日本」読了

2022年08月10日 | 2022読書
平川敬治 「魚食から文化を知る ユダヤ教、キリスト教、イスラム文化と日本」読了

タイトルのとおり、この本はユダヤ教系の宗教と魚食の習慣、それが日本にどう根付いてきたかということを書いている。

こ三つの宗教はユダヤ教の旧約聖書が元になっているのは周知の事実だ。
本の始まりは旧約聖書のモーゼの物語からである。エジプト軍に追われて万事休すというとき、モーゼが杖で海岸を叩くと海が割れて道ができたというエピソードは有名だが、その時、海が割れた時に逃げ遅れて体も半分になってしまった魚がいたというのである。その魚は、ボウズガレイという名前の魚だということだが、カレイというのは確かに平べったくて縦に半分に割れたような感じもするが、よく見なくても目玉がふたつ残っているからちょっと話に矛盾がありそうだ。真っ二つに割れたのなら目もひとつだけのはずではないのだろうか・・。まあ、伝説なのだから多少の矛盾には目をつむれということだろうが・・・。

新約聖書の時代になるとガリラヤ湖の魚が登場する。この湖はイスラエルのヨルダン大峡谷帯に位置するが、キリストが布教活動を始めた場所でもある。新約聖書は少しだけ読んだことがあるが、そこには漁師の兄弟が登場する。シモン(ペトロ)、アンデレという兄弟でキリストの一番弟子だ。多分この湖の畔で漁をしていたのだろう。漁師は網で魚を獲るから人々を苦境から救い出す人たちであるという意味も持っていたらしい。
この湖で獲れる魚の主力はティラピアとキレネット・サーディンという魚だ。ティラピアという魚は日本でも外来魚として九州の方では迷惑がられているらしいが、この地方では「ペトロの魚」と呼ばれている。
ペトロが釣り上げたこの魚の口から銀貨が出てきたとか、イエスが5,000人の群集にパンと魚を与える奇跡をおこした時の魚もティラピアだったという。
キレネット・サーディンの漁獲はマグダラというところが有名だが、ここはまた、「マグダラのマリア」が暮らした地としても有名である。
キリスト教徒のシンボルというと、十字架だが、その前は魚の図がそのシンボルだったそうだ。
ギリシャ語で、「イエス・キリスト、神の子、救い主(ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ)」の頭文字を並べたΙΧΘΥΣ(Ichthys)という言葉は、魚という意味からだそうだ。迷えるのは子羊ではなく魚であったらしい。



ユダヤ教では魚はどんな扱いを受けていたかというと、戒律ではヒレやウロコがない魚や這いまわる生物(エビやカニなど)を食べてはいけないということで、うなぎやナマズは食べてはいけなかったらしい。これはもったいない話だが、これがヨーロッパに行くと、うなぎは大人気の魚らしい。
うなぎというと日本人だけが蒲焼きで食べるというイメージだが、イタリアなんかではかなりポピュラーな魚で、イタリアでは塩コショウでシンプルに、ベルギーには煮込み料理もあるらしい。
レオナルド・ダヴィンチが描いた「最後の晩餐」の食事風景の中で食べていたのはうなぎであったというのが一般的な解釈となっているそうだ。「最後の晩餐」の舞台はエルサレムだが、描いたのがイタリア人というのでうなぎが登場とするというほどポピュラーな魚であったらしい。
ちなみにその料理の名前は、グーグルで見てみると、「ウナギのオレンジスライス添え」という名前がでてきたのだが、確かに美味そうな料理名である。

同じヌルヌル系でいくと、これはもっと以外で、ウツボもよく食べられていたそうだ。新約聖書の時代を少し遡ったローマ時代、ユリウス・カエサルが市民を招いておこなって宴会では6000匹のウツボが使われたという記録が残っているらしい。ポンペイの遺跡のモザイク画にもウツボが描かれているという。
かなり獰猛な魚だというので、兵士はその強さにあやかろうという気持ちもあったのではないかと著者は想像している。

イスラム教もけっこう食べるものに制限があるが魚に関しては以外にも食べてはいけない魚というものがないらしく、どうやって処理をしたかということだけだそうだ。

また少し時代をさかのぼり、聖書の前のギリシャ神話の時代。ポセイドンが持っている三又の槍だが、あれは武器ではなく、魚を獲る銛なのだそうだ。
マグロやイルカなど、銛で突くのは大型の魚類などだが、マグロは女神アルテミスへの捧げものとされ、当時から人気のある魚であったらしい。

再び新約聖書の時代の時代に戻ると、イエスが十字架に架けられた金曜日は質素な食事を摂るというのがキリスト教の習慣だそうだ。その時には何を食べているかというと、これが魚らしい。ということは、やはり西洋ではどちらかというと肉はハレの食べ物で魚はケの食べ物という認識ができているようである。
そこはちょっと残念には思うのだ。
イースターの前は特に質素な食事になるという。そしてイースターの時にはカタツムリを食べる習慣がある。これは、春のこの時期、カタツムリが土の中からどんどん這い出してくるという季節と重なっているということもあるらしいが、カタツムリは多産で縁起を担ぐという意味も込められているらしい。こういう縁起かつぎは世界中どこに行っても同じらしい。
貝類についていうと、ホタテ貝は巡礼者が食器の代わりに持ち歩いていたということで「ヤコブの貝」と呼ばれその象徴となっている一方で、ビーナスが誕生したときに乗っていたというのでエロスの象徴ともなっている。まあ、それだけ人々の身近にこういたものがあったということだろう。

魚はケの食べ物だと言われながらも、ヨーロッパ、特に地中海沿岸では多彩な海産物が食べられている。干しダラ、サバサンド、エイ、サメ、タチウオ、ウニなどなど。日本とそん色ないほどの多彩ぶりだ。やはり海産物というのは食材としては貴重なものであったに違いない。

そして、日本に渡ったキリスト教と魚の関係はどうだろう。
禁教となった後も最後まで信仰を守り抜いた人々は長崎の漁村の人たちであったのだが、最初の弟子が漁師であったということが関連しているのか、生活の辛さの癒しをどこかに求めなければならないほど過酷な生活だったのだろうか・・。

日本でのキリスト教と魚介類の関係はフランシスコ・ザビエルとカニが有名だそうだ。シマイシガニというカニだが、茹でると甲羅に十字架の文様が浮かび上がってくるそうだ。
ザビエルがマラッカに到着し、艀にのって上陸しようとしたとき岩礁に乗り上げてしまい、船に孔が開いてしまった。そうしたら、一匹のカニが現れて甲羅を孔に押し当て浸水を防いだという。カニはあえなく絶命したが、ザビエルが感謝して祈ったら、この辺りで獲れるカニの甲羅には十字架が浮かんで見えるようになったというのである。別名、ザビエルガニと呼ばれているそうだ。平家ガニも同じような謂れを持っているが、カニはなんだか霊的なものでも持っているのだろか・・。
ザビエルとカニにはもうひとつエピソードがあって、航海途上に嵐に出くわし、十字架を掲げて祈ったが波にさらわれてしまう。無事に嵐を切り抜け、翌朝海岸を歩いていたらカニがその十字架を届けてくれたという。それ以来カニはザビエルの象徴となった。というお話だ。

それ以外はさすがにネタがないようで、逆に日本という国は宗教的な制約がなく様々なかたちで魚介類が食べられる特異的で素晴らしい国だということになっている。
しかし、世界中にあるそういった制約は季節に応じて旬のものを一番美味しい時に食べようという気持ちから始まったものではないのかと思う。今、この国ではそういった季節感がまったくなくなっているは確かだ。宗教的な儀式に応じて食べるものというのも無くなってしまっている。はたしてそれが幸せなのかどうか、僕は疑問に思うのだ。



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「Arc アーク ベスト・オブ・ケン・リュウ」読了

2022年08月09日 | 2022読書
ケン・リュウ/著 古沢嘉通/訳 「Arc アーク ベスト・オブ・ケン・リュウ」読了

著者の名前を知ったのは「三体」を読んだ時だった。この本を英訳した人がこの人であったのだが、小説家でもあるということはその時に知り、以前に読んだ本にも著者の短編が収録されていた。
何気なく図書館の書架を眺めているとこの本が目に入り、ああ、「三体」に関係する人だなと思い、読みたい本もないので借りてみた。
東洋人とSFというのはなんとなく似合わないように思ったりするのだが、もとも西洋人の書いたSFを読むような習慣もなく、「三体」の出来が僕にとってはすごくよかったということでSFを読むときは中国人が書いたものばかりを読むということになった。同じ東洋人ということで思考がよく似ていて読みやすいのかもしれない。著者自身は、中国系アメリカ人ということで純粋な東洋人ということではないのだが・・。

この本には、9編の短編が収録されているが、いずれも科学の進歩により距離や時間の隔たりが克服されたことにより人の生と死、肉親との関係がどう変化し、そのときそれぞれの人はどんな思いを抱くかということが描かれている。そして、そこまでの進歩をまだ見せていない現代に生きる自分たちはその場面に人への思いの真実を知る・・・。のかな?という感じである。

それぞれの短編のあらすじは以下の通りだ。

タイトルにもなっている「Arc」は不老不死が実現した社会が始まろうとする中、17歳で子供を産み、捨てた女性がその後、新たな夫と共に不老不死を選ぶが、遺伝子異常で夫が死亡したことで、自分だけが生き残り、人類ではじめて不老不死を選んだ人物となる。その後、見た目では自分の年齢を追い越してしまった最初の子供と出会い、人生とは一体何かということを見つめ直すという物語だ。死体を腐敗させることなく標本化するプラスティネーション技術をからめて物語が進んでゆくのが興味深い。
Arcという言葉は「環」という意味だが、収録されているすべての短編に共通する、生きるということが完結する=環として閉じる。ということには何が必要なのか、そういうことを象徴する言葉として使われているような気がする。

この短編は去年、日本で映画化されていて、偶然だが、来週BSで放送されるということを知った。ストーリーはかなり手を加えられているようだが、ぜひ観てみたいと思っている。

「紙の動物園」は、中国からカタログで選ばれアメリカに嫁いだ女性と息子の物語だ。中国が貧困にあえいでいた時代にはよくあった話のようだが、英語が話せない母親の息子との唯一のコミュニケーションが魔法にかけられて生きているようにふるまう動物の折り紙たちであった。中国人である母親になじめず冷たい態度をとり続けた息子は、母親が亡くなったのち老虎の中に書かれていた母親の手紙で母親の本当の気持ちを知る。
この短編は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞という、SFの世界では権威のある賞を複数受賞している。子供の頃、中国からアメリカに移住した著者の体験と重なっている部分が多いのだと思う。

「母の記憶に」は、余命2年となった母親は娘の成長を見続けたいという願いから高速で移動する宇宙船に乗ることで生まれる時間の経過の遅延を利用するのだが、娘と会えるのは7年に一度になる。娘はそんな母親に恨みと違和感を覚えるのであるが、見た目の年齢ではすでに母親を追い越してしまった娘は、母親が宇宙船の中での2年間の時間をすごしたのちに語った言葉に母親の愛を知るのである。

「もののあはれ」は、小惑星が地球に衝突し、すべての生命が死滅するとわかったとき、わずかな人数だけ地球から人を脱出させることができると知った日本人の化学者夫婦は、アメリカ人の科学者の伝手を頼って自分たちの息子だけを脱出させる。
18年の後、おとめ座61番星を目指していたソーラーセイルシップのセイルに穴が空くという事故が発生した。その修理のために船外活動に出るのがその息子であった。
72時間の不眠の作業の中で、子供の頃、父親が教えてくれた芭蕉の句を思い出す。
自己犠牲というのは、「もののあはれ」と同義ではないと思うのだが、そこはちょっと日本人的ではなさそうな気がする。芭蕉の句自体は確かにもののあはれなのだが・・。

「存在(プレゼンス)」は、中国とアメリカ、遠く離れた母と息子が遠隔操作の介護ロボットを通して最後を過ごすという物語だ。テクノロジーは物理的な距離を感じなくさせることができるが、心の距離までは縮めることができるのだろうかということが主題のような気がした。遠隔操作で母親の爪を切るシーンと、娘の爪を自分自身の手で切ってやるというシーンの対比が印象的である。

「結縄」は、結縄文字のパターンをタンパク質の分子結合に例えた物語だ。
東アジアの山奥に伝わる結縄文字を伝える老人が、新薬開発のため、結縄文字の結び目と縄のヨレが作り出す折りたたみパターンの解析に協力する。その見返りは、飢饉に強いイネの種籾なのだが、その種籾は遺伝子操作によって自家採種できない品種であり、毎年その種籾を購入しなればならなくなってしまう。
最先端の科学への手助けをしたにも関わらず、その最先端の科学によって自分たちが縛られるという矛盾が表現されている。縄の折りたたみパターンがDNAの折りたたみパターンにも例えられ、それも記憶の一部として縄文字に残すのだというのが皮肉である。

「ランニング・シューズ」は、生活のため、過酷な労働を強いられているベトナムの製靴工場の労働者の少女が主人公である。
その状況から抜け出したいと夢見ていた少女は事故に巻き込まれ、体を裁断されランニングシューズに加工されてしまう。アメリカに輸出され、少年と共に駆け回るが、古くなり、少年は靴紐を結わえて遠くに放り投げてしまう。シューズは電線に引っかかり、はじめて鳥のように遠くを見渡せるところに行くことができたというシュールな物語である。

「草を結びて環を銜えん」は中国故事にヒントを得た物語だ。
漢民族が攻め込んできた揚州。全員皆殺しにしろという指令が出ている中、美人娼婦は色仕掛けで仲間や同胞を救おうとする。司令官の自尊心をくすぐり、あなたは彼女たちを殺さないという命令を出すことができるはずだと迫り、大富豪たちは秘密の場所に財宝を隠している。殺してしまえばそれがわからなくなるから殺してはいけないと。しかし、心ない他人たちは自分だけが助かりたいのだろうと罵る。
そして散歩の途中、揚州の落ち武者に見つかり彼女は命を落とすことになる。
従者として付き従っていた娼婦はのちに琵琶の音色と共に彼女の徳をたたえる。その周りにはいつも彼女の生まれ変わりのようなマヒワが飛んでいたという物語である。
いかにも中国風なストーリーだ。

「よい狩りを」は、「幸運を祈る」という意味も含まれたタイトルだ。
妖術がまだ生きている時代、妖怪ハンターの親子は富豪の息子にとりついた妖狐を退治するために古寺まで追い込む。親狐は退治したが狐には娘がいた。娘狐と息子は心惹かれあう。しかし、文明が浸透した時代になり、妖術は効力を失う。娘狐も人間の姿から戻れなくなり、息子も妖怪退治の仕事がなくなり技術者として生きる道を選ぶ。
年月が過ぎ、時代は蒸気機関が支配する時代になる。息子と娘狐は再開するもののその体の半分は悪意を持った異常な性癖の男によって機械の体にされてしまっていた。息子は自分の技術をつぎ込んで娘を金属光沢の機械の体を持った狐の姿に変えてやる。動力源は超小型の蒸気機関だ。
娘狐は再び妖力を得たかのように街の中を駆け抜けてゆく。

翻訳をした人のアレンジなのか、元の文章からしてそういう雰囲気があるのか、文体のすべては落ち着いていてすべてを達観したかのように感じる。その文体がまた、人の命は環を閉じてこそ命なのだと言っているかのようである。
ハードなSFというのも引き込まれていく部分はあるが、こういった、SFなのかファンタジーなのかよくわからないがひとつテーマを持っている物語というのもいいものだ。

若返るための治療や人体のサイボーグ化というのはSFではなくなってきているらしい。「Arc」や「母の記憶に」という物語は同じ時代を生きてきた人たちが肉体的にギャップを持つようになったとき、人はどんな思いを抱くのかということをつくづくと考えさせられる。
また、そういう恩恵を受けることができるのは経済的に豊かな人たちのみであるという事実がある。社会の中で大きなギャップが生まれる時、はたして社会は平静を保つことができるのだろうかと、ひょっとしたら、僕が生きている間にも実現するかもしれない若返りの治療におそれおののいているのである。
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「入門・行動科学と公共政策: ナッジからはじまる自由論と幸福論」読了

2022年08月05日 | 2022読書
キャス・サンスティーン/著 吉良 貴之/訳 「入門・行動科学と公共政策: ナッジからはじまる自由論と幸福論」読了


行動科学というものに興味を持ったのは、駐輪禁止の看板に目のイラストを描き込んだら不法駐輪が激減するだとか、



バスケットゴールを取り付けたゴミ箱を置くとポイ捨てが減るというような現象があり、



これはある種、人間が持っている”癖”がそうさせるのだといい、そういう人間の”癖”を利用した施策が様々なところでおこなわれており、ナッジと言われているということを知ったからだ。
以前にもそれらしい本を読んだが、ちょっと意味合いが違ったので他にもそんな本がないかと思って探してみるとこんな本があった。
ちなみに、「ナッジ」という英語は、「(合図のために)肘で小突く」、「そっと突く」というような意味で、行動科学では、「相手に選択の自由を残しつつ、より良い選択を気分良く選べるように促すこと」と定義されている。
行動科学の一分野である行動経済学について、ダニエル・カーネマンという学者はノーベル賞を受賞したというのだから、人類の発展についても重要な分野であるのは間違いがないのだろう。
人間は経済的な問題に対しては合理的な行動をするものだと考えられているが、様々な”癖”によりその合理性が妨げられる。この本は公共サービスが行動科学を利用してどうすればサービスを効率よく提供していけるかということが主に語られている。僕は公共サービスについては特に興味はないけれども、公共サービスを含めて様々なサービスを選択する際、そういったものにどれだけ誘導されてしまっているのか、もしくは勝手に誘導されないためにはどうすればいいかというようなことを知ることができるかもしれないとこの本を読み始めた。
どんな”癖”によって合理的な判断がゆがめられるかというと、注意力不足、惰性、現在バイアス、楽観主義、といったものがその原因として挙げられる。「現在バイアス」だけが特殊な言葉に思えるが、これは、人間が現実に気にかけるのはせいぜい今日と明日だけでそれより未来のことに対しては無頓着であるということらしい。

こういった癖を利用して公共事業では選択肢の提示やどういったデータを見せるかで住民を有効と思われる方向に動かそうとしているというのである。ここで重要なのは、選ぶ方はそれを選ばないことも含めて選択の自由が与えられているということである。これが保障されていることで民主的といえるのである。まあ、無意識のうちに相手の思うところに誘導されてしまっているのかもしれないという気持ちの悪さは残るのであるが・・。
病院や公共施設にある誘導マークや、コロナウイルス蔓延時によく見たソーシャルディスタンスの表示などもナッジだという。
こういった取り組みは、「FEAST」という頭文字の組み合わせで表現される。Fan(面白い)、Easy(簡単)、Attractive(魅力的)、Social(ソーシャル)、Timely(タイムリー)という五つの理念である。
ハロウィンの渋谷で有名になったDJポリスなどもFanとAttractiveを組み合わせたナッジであったのかもしれない。
公共サービスではないが、スマホの1年間だけ割安というのはこういった癖を利用していると言っていいのだと思う。現在バイアスで目先のお得感に釣られて、1年後は惰性で契約を継続してしまうというのはまさにナッジのなせる業のように見える。

サブタイトルには、「自由論と幸福論」となっているが、ナッジを提示することで、選択の自由と幸福を両立させることができるのだと著者は言うのである。
そして、「幸福」というものが一体何なのかということについても行動科学の面から言及している。この本では、「幸福」は「厚生」という言葉と同等であると考えている。人がよりよい生を送るならば、より多くの厚生を得る。経済学で理解されているような資源配分効率と厚生は同等ではなく、「生のあり方」とはまた別であるという。
それはどうしてかというと、ひとつはピーク・エンドの法則と言われるもの、もうひとつは、ひとは人生の変化に対しては驚くほどよく適応するということ、そして三つ目は、自分自身に対する幸福度の基準と他人に対する幸福度の基準がまったく異なるということからである。

ピーク・エンドの法則とは、ある事柄に対して記憶や印象に残っているのは感情が最も高ぶったピークの出来事と、その終わりごろの出来事だけで、それらが全体的な影響を決定づけるという法則のこと。加えて、ピークが変化せず、エンドがそれよりも悪くない場合、この法則によるとたとえそれが苦痛を伴うものであってもピークよりも痛くない苦痛が長時間エンドに向かって続くほうが記憶に残る痛みは小さくなるというものだ。
幸福の基準について、人はこんな考え方をするそうだ。自分自身の幸福度を報告するように求められたときは、人は通常、健康や人間関係など、人生の中心的な側面に焦点を当てるが、異なる場所に住む人の幸せを想像するときには気候など、場所によって異なる点が大きくクローズアップされる。他人との比較をするとき、自分はこんなに人間関係に悩んでいるのに、彼はあんなに気候のいい場所に住んでいてうらやましいなどという比較になってしまうという。
人生の変化に対する適応度ではこんな例が書かれている。テニュア(終身在職権)を得た大学教員と得られなかった大学教員の幸福度を比較した場合、得られなかった場合は当然かなり悲惨な気分になるが、5年後の実際の反応はよい方もそうでない方も予想されたよりもずっと穏やかであったという。
こういった研究から得られる結論は、人は自分の幸福を増減させる人生の状況についての期待を、ほとんど決まったやり方で系統的に間違えるということであり、これが意味するのは、人々は幸福を追い求めて行う人生選択であっても同様に間違えがちであるということだ。
著者は、幸福が重要なことのすべてではないというのだが、その根拠は、幸福は人々にとって重要な要素であるにもかかわらず、何によって幸福になったりならなかったりするのかという判断を間違えるほどなのだからということになる。
人が幸福であるというとき、それはどの時点をもって幸福であるというのかということが非常にあやふやでありそれを決定づけることができないというのである。量子物理学でいう、不確定性原理のようなものであろうか。僕自身にも心当たりがある。けっこうというか、かなり細かい性格であり、何かを選択したとき、本当にこれでよかったかといつも心を悩ませる。ものすごく小さいことだが、アマゾンで買い物をするとき、ある値段で買ったものとそっくりであるものがもっと安い値段で出ていたりするとものすごく落ち込む。たった5円の違いでもである。磯釣りに行って、違う島のほうがよく釣れたと知ると、ああ、朝一の判断は完全に間違っていたと1週間は悔やむのである。自分の腕前は棚に上げておいて・・。
結局、この本は、幸福論という部分では、そういうことは気にするなと言っているのだろうと思う。少なくとも、ナッジとして提示されている選択肢を選んでいる間は結果としてはそんなに大差のない結果に落ち着くのだからそんなわずかな違いにくよくよしているほうがよほど不幸であるということなのだろう。それに、今、不幸だと思っていても時間が経てばそれも不幸に感じなくなるというのが人間の癖であるのだから、それも念頭に入れて今を不幸と思っておく程度でよいというのである。科学というよりもなんだか哲学のようでもある。

著者は最後に、『最終的には、最も重要なのは人がどのような生を送ることができるかであり、選択の自由はよい生の重要な部分をなすという主張をもって、選択の自由を支持するような推定を採用するのがよいだろう。行動経済学はせいぜいのところ、私たちの選択の自由を真正にする、そして単に長生きするというだけでなく、真によりよい生活を送るのに役立つのである。』と締めくくっている。
結局のところ、自分で選んだことだし、結果はそんなに大して変わりはないからそんなにくよくよするなと言っているのだろうな・・・。

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「少年時代 飛行機雲はるか」読了

2022年08月01日 | 2022読書
塩野米松 /著  松岡達英 /イラスト 「少年時代 飛行機雲はるか」読了


図書館の新着図書の書架を眺めていると懐かしい作家の名前を見つけた。この本の著者である塩野米松のことであるが、大分昔、月刊のアウトドア雑誌を購読していた頃この人の連載があった。BE-PALであったか、OUTDOORであったかどちらかは忘れてしまっていたが、読んでいる途中に奥付を見てみたら、この本自体が、BE-PALに連載されていた、「藤の木砦の三銃士」という小説の復刻版だったそうだ。
内容はどんなものだったかということはすっかり忘れてしまったが、そういえばこんなタイトルの連載があったということを思い出した。

3人の小学5年生と、そのうちのひとりの弟の4人が主人公で、春から冬にかけての1年間の物語である。舞台は具体的には書かれていないが、多分、戦後の昭和時代の初めのころならどこにでもあった地方の風景なのだと思う。冬は雪のシーンが多くなっていたので山陰か北陸、東北辺りなのだろう。
天体望遠鏡、竹ひごで作る飛行機、顕微鏡、僕と憧れるものは同じであったようだ。少し違うのは、これに加えて特撮ヒーローものに登場する様々なギミックのおもちゃが加わることだろうか。だから、舞台は僕の子供時代よりも10年くらいは遡った時代かもしれない。

もう、僕の子供時代では見られなくなっていたのだろうが、中学生以下、世代を超えて同じ地区の子供たちが一緒に遊び、別の地区と戦いっこをやったりと、いわゆるガキ大将(というか、親分?指導者?)というものがいた時代が舞台である。

昨日、芋拾いをした中にはそんな人がいて、多分僕より3、4歳上で同級生の兄だ。主人公たちが上級生を見る目と同じく、当時はものすごく大人に見えた人であったが、もう、その人たちについて回って遊ぶというような時代ではなかった。
だから物語には、共感というにはすこしほど遠いものがあるし、もともとそんなにたくさんの自然が残っている場所で育ったわけでもなく、そういう意味でも少し別の世界の話なのだが、なぜだか、遠い昔に感じる郷愁であったり、淡い思い出が蘇るようである。

さすがに、木の枝を切って作った刀を腰に差して遊びまわるということはなかったけれども、僕が育った時代は、高度経済成長期の真っ只中であったとはいえ、なんでも欲しいものが手に入る時代でもなかった。一体何をして遊んでいたのか・・。海は近くにあったのでその辺りが遊び場だった。昔は広い砂浜があったらしいのだけれども、物心ついたころにはすでに貯木場に変わってしまっていた。大きな水門があり、その中が貯木場になっていて、浮かんでいる筏に乗り移ったり護岸の石の間でカニを獲ったりしたことはよく覚えている。何も持たず、持っていたとしても半分壊れかけたたも網だけであった。護岸から筏に乗り移るのに失敗したら海の中に落っこちてしまうのが恐ろしかった。
何も持っていなかったというと、小学校の近くの高校の正門の前の噴水で文房具屋で買ったつり仕掛けセットを使って鮒と金魚を釣っていて追いかけられたこともあった。釣具もそれくらいしか自分の物としては持ってはいなかった。
わずかに残った小さな砂浜にはハンミョウがいて必死になって追いかけていたこともあった。材木置き場はデコボコだらけで大きな水たまりができていて、そんな水たまりにはオタマジャクシやヤゴが泳いでいた。エンマコウロギもなぜかたくさんいた。いっぱい獲って飼育箱に入れておくとじきに死んで腐ってくる。かわいそうなことをしたものだ。サソリがいるという噂もあってそんなものを探していたこともあった。サソリは見つからなかったが別の場所でだが、アリジゴクを見つけて興奮したこともあった。

小学6年の秋にはここから引っ越していってしまったので、まともな記憶あるというのはおそらく小学3年くらいからだとして、おそらく3、4年間くらいの思い出だろう。たったそれだけの期間だがなんだか永遠に続いていた時間のようにも思える。
夏には氏神様、通称お宮さんの祭りがある。まさに昨日がその祭りの日だったのだが、7月30日と31日には夜店が出る。昨日、サツマイモを洗いながらそんな話をしていたら、鳥居の横は必ず輪投げだったのだよと教えてくれたが、そういえばそうだったかと当時のことを思い出していた。とくに7月31日は多くの夜店が出るので朝からわくわくして夕方を待っていた。これなども何十回と経験したことのように記憶の中には残っているが3、4回のことだ。それが少年時代というものなのだろう。

そんなことを思いながらこの本を読んでいた。
たくさんのルビが振られているので一応は子供向けの図書ということになってはいるのだろうが、これは大人が読んで遠い昔を懐かしむための本であるような気がする。


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