梶井基次郎「檸檬」読了。
この前、戸坂へ釣りに行ったときにひらったブイが檸檬に似ていたもので、ふと、この本を読んでみようと思った。
こんな本はきっと学生時代に読んでおくものなのだろうが、まったく文学を理解することのできる脳みそがかけらも存在しないので遅ればせながら呼んでみた。
一時、「檸檬」の舞台になった本屋さんが閉店するというので話題になったが、それもすでに5年ほど前のことだったらしい。
各篇には生きることに対する無常観というか、絶望感が漂っている。作家は結核をわずらっていたことで思うどおりの生き方ができなかったことから出てくるものであるのだろうが、今のこの時代にも共通することが多々あるような気がする。
ましてや僕の今の心境にも似たようなところがあるので読みながら痛くなってきた。
大規模なリストラがって業界も疲弊している中にありながら、別会社に出向してしまったものだからその苦労を経験せずにこの1年半をすごしてしまった。いずれはもとに戻りたいとは思っているが苦しい時代を知らずに帰ってくる人間を受け入れてくれる余地はあるのか、それよりもこれからさき、会社は維持されるのか、などなど。
そんなことを思っているからか、会社にいてもそれほど仕事に身が入らない。もちろん会社に対しては何かの貢献をしなければならないはずなのだがそれが何なのかがわからない。
焦りからか、よく見る夢が、走っても走っても前に進めない夢だ。まるでプールの中で走っているように。
魚釣りを思い切り楽しむためには後顧の憂いがないように会社の仕事をきちんとしておかなければならないとわかっているつもりだが、それができない。通勤時間があまりにも長く、朝も早く起きないと出勤時間に間に合わないのでつい会社を早く出てしまう。回りの人たちとのギャップが開くばかりだ。それも自分に対する矛盾感を大きくする。
ずっと、ずっと、僕はこのままでいいのかと自問を続ける毎日だ。
この前、戸坂へ釣りに行ったときにひらったブイが檸檬に似ていたもので、ふと、この本を読んでみようと思った。
こんな本はきっと学生時代に読んでおくものなのだろうが、まったく文学を理解することのできる脳みそがかけらも存在しないので遅ればせながら呼んでみた。
一時、「檸檬」の舞台になった本屋さんが閉店するというので話題になったが、それもすでに5年ほど前のことだったらしい。
各篇には生きることに対する無常観というか、絶望感が漂っている。作家は結核をわずらっていたことで思うどおりの生き方ができなかったことから出てくるものであるのだろうが、今のこの時代にも共通することが多々あるような気がする。
ましてや僕の今の心境にも似たようなところがあるので読みながら痛くなってきた。
大規模なリストラがって業界も疲弊している中にありながら、別会社に出向してしまったものだからその苦労を経験せずにこの1年半をすごしてしまった。いずれはもとに戻りたいとは思っているが苦しい時代を知らずに帰ってくる人間を受け入れてくれる余地はあるのか、それよりもこれからさき、会社は維持されるのか、などなど。
そんなことを思っているからか、会社にいてもそれほど仕事に身が入らない。もちろん会社に対しては何かの貢献をしなければならないはずなのだがそれが何なのかがわからない。
焦りからか、よく見る夢が、走っても走っても前に進めない夢だ。まるでプールの中で走っているように。
魚釣りを思い切り楽しむためには後顧の憂いがないように会社の仕事をきちんとしておかなければならないとわかっているつもりだが、それができない。通勤時間があまりにも長く、朝も早く起きないと出勤時間に間に合わないのでつい会社を早く出てしまう。回りの人たちとのギャップが開くばかりだ。それも自分に対する矛盾感を大きくする。
ずっと、ずっと、僕はこのままでいいのかと自問を続ける毎日だ。