梅原猛 「梅原猛の授業 仏教」読了
この本は京都の洛南中学で梅原猛が特別授業をおこなったものを編集したもので、中学生に教えている内容なので僕にもよくわかる内容だった。
人間と宗教のかかわり、仏教の歴史、日本人と仏教のかかわりなどなど、を簡潔に説明してくれている。
文明のあるところには必ず宗教がある。人が社会を保っていこうとすると宗教の力を借りた道徳が必須である。僕の学生の時代もそうだったが、学校の道徳の授業というのは何をやっていたのかまったく覚えていない。と、いうか、小学校の途中くらいからどうも無くなってしまっていたのではないだろうか。著者は日本の学校教育から宗教に根ざした道徳教育がなくなってしまったことが大きな問題だと言っている。
明治以降は古来の仏教的な思想から儒家思想をの解釈をまげてしまった修身が教育の中心になり、敗戦後はそれがまずいというのでまったく宗教に根付いた道徳教育がなくなった。そのうえ、ルネサンスから連綿と続く科学技術文明は日本の国でも仏教の心を駆逐してしまったと著者は主張している。
そして、その仏教の道徳、八正道と六波羅蜜を、その中でも特に、精進、禅定、正語、忍辱の実践がとくに大切だと学生に教えている。
これは学生だけではなくて、おじさんになってしまった僕たちの世代にも大切なものだと思う。
まあ、社会に出ると、嫌なことばかりにぶち当たる。しかしそれに耐え、常になにが正しいか、自分にだけ正しいのではなく道徳的に正しいのかを考え、それを一所懸命に考える。そうしていると、嫌な上司の前でもニコニコしていられるし、電車で隣に乗り合わせた狼藉千万のおばさんや若造にも腹が立たなくなる。
そこまでになれたら僕も禅定の域に達することができたということになるのだろう。
そしてその域に達するため、すべての仏教に共通する願に四弘誓願というのもがあるそうだ。
これは菩薩が仏道を求めるときに最初に願をかける言葉だそうだが、著者はことのほかこの言葉を、こういう気持ちで生きていってくださいと生徒たちに贈っている。
衆生無辺誓願度
煩悩無量誓願断
法門無尽誓願智
仏道無上誓願成
仏教の特徴は一神教のキリスト教やイスラム教と比較して多様性があるということが特徴だそうだ。一神教は基本的に人間中心主義であるが仏教は自然界すべての調和が基本である。
仏教の精神を基本にすえると他を理解して受け入れる心を得ることができる。その心こそいまの日本人もとより世界の人々に必要なのだというのが著者の願いである。
どちらにしても、僕も日本の国に生まれた日本人だ。
やっぱり、どんな仏教の教えでも納得するし、そうありたいと思う。
しかし、それがまた、難しい。
この本は京都の洛南中学で梅原猛が特別授業をおこなったものを編集したもので、中学生に教えている内容なので僕にもよくわかる内容だった。
人間と宗教のかかわり、仏教の歴史、日本人と仏教のかかわりなどなど、を簡潔に説明してくれている。
文明のあるところには必ず宗教がある。人が社会を保っていこうとすると宗教の力を借りた道徳が必須である。僕の学生の時代もそうだったが、学校の道徳の授業というのは何をやっていたのかまったく覚えていない。と、いうか、小学校の途中くらいからどうも無くなってしまっていたのではないだろうか。著者は日本の学校教育から宗教に根ざした道徳教育がなくなってしまったことが大きな問題だと言っている。
明治以降は古来の仏教的な思想から儒家思想をの解釈をまげてしまった修身が教育の中心になり、敗戦後はそれがまずいというのでまったく宗教に根付いた道徳教育がなくなった。そのうえ、ルネサンスから連綿と続く科学技術文明は日本の国でも仏教の心を駆逐してしまったと著者は主張している。
そして、その仏教の道徳、八正道と六波羅蜜を、その中でも特に、精進、禅定、正語、忍辱の実践がとくに大切だと学生に教えている。
これは学生だけではなくて、おじさんになってしまった僕たちの世代にも大切なものだと思う。
まあ、社会に出ると、嫌なことばかりにぶち当たる。しかしそれに耐え、常になにが正しいか、自分にだけ正しいのではなく道徳的に正しいのかを考え、それを一所懸命に考える。そうしていると、嫌な上司の前でもニコニコしていられるし、電車で隣に乗り合わせた狼藉千万のおばさんや若造にも腹が立たなくなる。
そこまでになれたら僕も禅定の域に達することができたということになるのだろう。
そしてその域に達するため、すべての仏教に共通する願に四弘誓願というのもがあるそうだ。
これは菩薩が仏道を求めるときに最初に願をかける言葉だそうだが、著者はことのほかこの言葉を、こういう気持ちで生きていってくださいと生徒たちに贈っている。
衆生無辺誓願度
煩悩無量誓願断
法門無尽誓願智
仏道無上誓願成
仏教の特徴は一神教のキリスト教やイスラム教と比較して多様性があるということが特徴だそうだ。一神教は基本的に人間中心主義であるが仏教は自然界すべての調和が基本である。
仏教の精神を基本にすえると他を理解して受け入れる心を得ることができる。その心こそいまの日本人もとより世界の人々に必要なのだというのが著者の願いである。
どちらにしても、僕も日本の国に生まれた日本人だ。
やっぱり、どんな仏教の教えでも納得するし、そうありたいと思う。
しかし、それがまた、難しい。