梅原 猛 「日常の思想」読了
哲学というのは簡単に解釈すると、「世界・人生の根本原理を追及する学問」である。と広辞苑には書いてある。言い換えれば、人間とはいったい何者なのか、人間とはどこから来てどこへ行くのか。となるのだろうか。
著者は、近代文明が信じる、「人類は無限に進歩する。」という信仰を捨てなければならないと説いている。この本の文章はそのほとんどが1970年前後に書かれたものであるが、原発事故と大きな津波を経験したこの時代、とくにその意識は強くなっているのだろう。人間らしさを失ってまで生きている価値があるのか、自然の世界を破壊し、改造し、自らが生まれ出てきた場所をその面影を消滅させてしまって本当に生きて行けると思っているのかそう問いかけている。
しかし、一方で、3Dプリンターや人口光合成、iPS細胞のニュースを見ていると、無限の進歩を推し進めてゆくような内容だ。
太陽はあと30億年もすると赤色巨星となって地球の軌道を飲み込んでしまうらしい。そうなると、人類がこの地球上のみで生きている限り間違いなく息絶えるだろうが、これらの技術はまさしく宇宙で生きていゆく技術のように思える。宇宙船の中で機械を生産し、食料を生産し、全自動で病気や怪我を治す。宇宙に飛び出した人類は永遠に滅びることなく生きながらえてゆくのだろうか。
形あるものはすべて滅びるというのが世の理なのか、それとも人間だけがその運命から逃れられる特別なものなのか、多分、哲学者でもわからなくなっているのが今の世の中なのかもしれない。著者も結局わからないから表紙に鳴門巻きをあしらって、これを食べられる世の中であったら、それでいいのではないのか?と問いかけているのかもしれない。
経営者は会社の50年後の繁栄を予測し、政治家は100年先の国の姿を予測し、宗教家は56億7千万年後の人間の生きる道を考えて日々行動するなかで、アホな管理職は次の休みの海の波の高さだけを心配して生きていればいいのではあるが、哲学というOSをとおして人間の行く末を考えるということは、アホな管理職でもあほな思考なりに限りある人生を永遠の時間へと変換することができるツールなのではないかと思うのである。
哲学というのは簡単に解釈すると、「世界・人生の根本原理を追及する学問」である。と広辞苑には書いてある。言い換えれば、人間とはいったい何者なのか、人間とはどこから来てどこへ行くのか。となるのだろうか。
著者は、近代文明が信じる、「人類は無限に進歩する。」という信仰を捨てなければならないと説いている。この本の文章はそのほとんどが1970年前後に書かれたものであるが、原発事故と大きな津波を経験したこの時代、とくにその意識は強くなっているのだろう。人間らしさを失ってまで生きている価値があるのか、自然の世界を破壊し、改造し、自らが生まれ出てきた場所をその面影を消滅させてしまって本当に生きて行けると思っているのかそう問いかけている。
しかし、一方で、3Dプリンターや人口光合成、iPS細胞のニュースを見ていると、無限の進歩を推し進めてゆくような内容だ。
太陽はあと30億年もすると赤色巨星となって地球の軌道を飲み込んでしまうらしい。そうなると、人類がこの地球上のみで生きている限り間違いなく息絶えるだろうが、これらの技術はまさしく宇宙で生きていゆく技術のように思える。宇宙船の中で機械を生産し、食料を生産し、全自動で病気や怪我を治す。宇宙に飛び出した人類は永遠に滅びることなく生きながらえてゆくのだろうか。
形あるものはすべて滅びるというのが世の理なのか、それとも人間だけがその運命から逃れられる特別なものなのか、多分、哲学者でもわからなくなっているのが今の世の中なのかもしれない。著者も結局わからないから表紙に鳴門巻きをあしらって、これを食べられる世の中であったら、それでいいのではないのか?と問いかけているのかもしれない。
経営者は会社の50年後の繁栄を予測し、政治家は100年先の国の姿を予測し、宗教家は56億7千万年後の人間の生きる道を考えて日々行動するなかで、アホな管理職は次の休みの海の波の高さだけを心配して生きていればいいのではあるが、哲学というOSをとおして人間の行く末を考えるということは、アホな管理職でもあほな思考なりに限りある人生を永遠の時間へと変換することができるツールなのではないかと思うのである。