イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

高野山と串柿

2014年11月06日 | Weblog
今日は海のほうはうねりがあるので高野山へ紅葉を観に行った。



目的は高野山のあちこちで紅葉を眺めるのはもちろん、弘法大師にささげる毎日のご飯を運ぶ姿を眺めることと麓に下りて串柿を干しているところをみることだ。

紅葉は一番いい頃なのだろうか、寺院の屋根や青い空、杉の緑とのコントラストはなかなかきれいなものだ。

   

お昼ごはんの午前10時半の行事を見物させていただいた。これは正式には御生身供(おしょうじんぐ)というそうで、1200年間(正確には1199年間)毎日かかさずおこなわれているそうだ。真言宗では弘法大師は今でも奥の院の霊廟で生き続けており、禅定を続けていると信じられているので毎日ご飯を届けているのだ。
なんとも歴史を感じる。



時間を待つ間、母親がたまたま声をかけた男性は昨日四国遍路を結願してその足で高野山までやってこられたそうだ。ほとんどの行程を歩き通したそうだ。御歳67歳、すごい。
そしてこの方はこの少し前、母親がお賽銭をボトボト落としてしまったところを拾っていただいた方であったというのをザックにくくりつけた菅笠で気がついた。小さなご縁ではあるが、帰りにバス停で待っておられるところを声をかけ、金剛峯寺まで同乗していただいたのだが、「最後にいいお接待をいただきました。」と言ってきただき、恐縮するとともに、ぼくもお遍路さんにお接待をさせていただいたのだと気がついた。

金剛峯寺から内部を公開中の徳川家康と秀忠の霊廟を見学し、こっちが松方弘樹でこっちが向井理かと下世話なことしか思い浮かばす護摩壇山に向かったが、あんなによかった天気が一転霧が立ちこめ何も見えない状態になってしまった。



これは残念。来年に持ち越しだ。

高野山に戻る途中、少しだけ晴れた霧の隙間から見えた稜線の紅葉だが、本当は数倍のパノラマを拝めたはずなのだ。




紀ノ川方面へ下り串柿の里へ。

観光地ではないらしく、狭い生活道路を散策することになる。柿干し場は農家ごとに点在しているらしく、車で行けたところには1軒だけだった。

 

しかし、大量に干されたオレンジ色の柿はきれいなものだ。


帰りは京奈和自動車道を初めて走ったのだが、果たしてこれは本当に必要なのか・・・。いったいいくらかかったのか?人口が19年連続して減っている県にして誰が使うのか・・・。と、これも弘法大師の魅力だけで高野山は十分名声があるわけで別にいなくてもいいんじゃないの?と思うゆるキャラとともに和歌山県には無駄なものが多いのではないかと少しだけすばらしい景色に汚点を感じてしまった1日であった。

 
コメント
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