森秀人 「笑う魚 釣魚大全以後」 読了
著者はアイザック・ウオルトンの「釣魚大全」の翻訳者として有名な人だ。
僕が知らないだけかもしれないが、釣技だけにこだわらないエッセイというのはなかなか見なくなった。ましてやその文体にすごさを感じるものはもっと少ない。
著者はこの本の中で師のことを、畏友と呼んでいるが、この世代までの人でないと魚釣りに関しては文学というものを生み出せないのだろうか。
この本も残念ながらうなるほどの文章ではなかったがやはりこれは釣り文学だ。(おこがましいが・・・)
ただの技術書か文学かははやり釣果にこだわるかどうかだ。「食い渋って、エサが目の前にあっても、エサに飛びつかない魚を、何が何でも釣ろうというのは愚かなことだ。」と著者は語っている。
本当に魚釣りが好きかどうかということにも共通することではないのだろうか。
年末に見た映画の登場人物のセリフに、「勝つか負けるかではない、大切なのは好きかどうかだ。」というのがあったが、それでいくと、僕は本当に魚釣りが好きなのだろうかと自分を訝かしんでしまう。
僕は釣りに行っても魚が釣れなければ面白くはない。だから釣れないとすぐに帰りたくなる。風情とか感慨とかいうのもはそこにはない。
なぜだかそんなことを考える1冊であった。
著者はアイザック・ウオルトンの「釣魚大全」の翻訳者として有名な人だ。
僕が知らないだけかもしれないが、釣技だけにこだわらないエッセイというのはなかなか見なくなった。ましてやその文体にすごさを感じるものはもっと少ない。
著者はこの本の中で師のことを、畏友と呼んでいるが、この世代までの人でないと魚釣りに関しては文学というものを生み出せないのだろうか。
この本も残念ながらうなるほどの文章ではなかったがやはりこれは釣り文学だ。(おこがましいが・・・)
ただの技術書か文学かははやり釣果にこだわるかどうかだ。「食い渋って、エサが目の前にあっても、エサに飛びつかない魚を、何が何でも釣ろうというのは愚かなことだ。」と著者は語っている。
本当に魚釣りが好きかどうかということにも共通することではないのだろうか。
年末に見た映画の登場人物のセリフに、「勝つか負けるかではない、大切なのは好きかどうかだ。」というのがあったが、それでいくと、僕は本当に魚釣りが好きなのだろうかと自分を訝かしんでしまう。
僕は釣りに行っても魚が釣れなければ面白くはない。だから釣れないとすぐに帰りたくなる。風情とか感慨とかいうのもはそこにはない。
なぜだかそんなことを考える1冊であった。