片田珠美 「他人を攻撃せずにはいられない人」読了
僕のところにやってくるクレーマーの何人かの中には、明らかに「僕たちをいじめてやろう。」もしくは、「僕たちを弄んでやろう。」としか思っていなくてしかもそれを楽しんでいるとしか思えない人々がいる。
まさしく本書のタイトルのような人だ。
こういう人々というのはどうして多大な労力と時間を割いてこんなことをするのだろうと常々考えるのだが、ここ2、3年でなんとなく自分なりに答えが出てきた。
結局、ものすごく寂しい人々であるこということではないのかと思い至ったのだ。
まあ、こんなことをねちねち言っているようではまともなご近所付き合いはできるわけもなく、友人がいたとしてもこれまたまともにお付き合いをしてくれるわけがない。
どうして孤立しているのかわからなくなってくる人たちの何割かは、「世間が私を理解してくれない。そんな世間が悪い。」となってくる。そこへもって、まずは絶対に何の抵抗も見せない僕たちの業界は彼らにとってものすごくおいしい世界なのかもしれない。
役所や学校というところも同じような感じのようだが、僕たちの世界は高級品に囲まれてさぞやみんな優雅な生活をしているんじゃなかろうかと妬みの度合いが高いのかもしれない。現実はまったく逆で、僕の給料ではそんなものを購入することは絶対にできることはなく、せいぜい通用口で売っている半額になったサンドイッチを週に1回買えるくらいだ。言葉はおかしいが、まったくの濡れ衣なんだ。
僕たちというのは、どれだけ罵倒しても絶対に反撃してこない相手なのだからやたらとスッキリする。誰も文句を言わないのだからやっぱり私が正しいのだ、私を理解しない世間のほうが間違っているのだということを再認識できるんだから気持ちがいい。そこからは世の中の間違ったことを正しているんだという正義感まで生まれるようだ。
この本にも書かれていたが、人はそうやって自分を正当化しないとやっていけないらしい。僕も、「私はあなたたちにもっと良くなってもらいたいと思って必死で言っているの!」と言われてひっくり返りそうになったことがある。このひとは自分の家に見ず知らずの人を上げて夕食も食べずに夜中の11時過ぎまで大声をあげて僕たちのために相当な労力を使ってくれている・・。
それが理解できない。いったいこれがこのひとにとって何の得になるのか・・。僕は人間がわからなくなった。それとも人は損得を超越した使命を持っているものなのか・・・。
こういう人はとにかく何時間でも話したがる。それも向こうがしゃべる時間のほうがはるかに長い。本当に疲れないのかと心配になるほどだ。だからそれを楽しんでいるとしか思えないのだ。
そうしなければ気持ちが治まらない哀れな性格なのか、それともこんなことにしか楽しみを見出せない哀れな生き方しかできないのか、同情もしてやりたいような気持ちもするのだが、ただ罵倒され続けるこちらもはやり哀れだ。
この本は対処法として、逃げろとか反撃しろとかもっともらしく書いているが、会社の看板を背負ってそれはできない。会社がそうしろと判断してくれれば僕はいくらでも戦う覚悟あるが、はしごを外されて家族を路頭に迷わせることはできない。そんな判断をしてくれる上司などはいない。どれだけ個人攻撃をされていてもまったく知らない振りされてしまうのが現実だ。やるなら自分の責任で、相手と刺し違える覚悟がいる。
だから、結局、今までどおりこんなテロリストのような相手からは多大な罵倒を受け続けるよりほかはないのだというのが結論だ。
一度でいいから言ってみたい。「それがどうした。」と・・・。
そして他山の石として自分は歳をとってもこんな人間にはならないでいたいものだと思うのである。
この本もその他の新書と同じく、センセーショナルなタイトルのわりにはまったく中身のないものであった。僕でさえ、こんなことはすでに悟っている。
本当に最近の新書はどうなっているのだ・・・。
僕のところにやってくるクレーマーの何人かの中には、明らかに「僕たちをいじめてやろう。」もしくは、「僕たちを弄んでやろう。」としか思っていなくてしかもそれを楽しんでいるとしか思えない人々がいる。
まさしく本書のタイトルのような人だ。
こういう人々というのはどうして多大な労力と時間を割いてこんなことをするのだろうと常々考えるのだが、ここ2、3年でなんとなく自分なりに答えが出てきた。
結局、ものすごく寂しい人々であるこということではないのかと思い至ったのだ。
まあ、こんなことをねちねち言っているようではまともなご近所付き合いはできるわけもなく、友人がいたとしてもこれまたまともにお付き合いをしてくれるわけがない。
どうして孤立しているのかわからなくなってくる人たちの何割かは、「世間が私を理解してくれない。そんな世間が悪い。」となってくる。そこへもって、まずは絶対に何の抵抗も見せない僕たちの業界は彼らにとってものすごくおいしい世界なのかもしれない。
役所や学校というところも同じような感じのようだが、僕たちの世界は高級品に囲まれてさぞやみんな優雅な生活をしているんじゃなかろうかと妬みの度合いが高いのかもしれない。現実はまったく逆で、僕の給料ではそんなものを購入することは絶対にできることはなく、せいぜい通用口で売っている半額になったサンドイッチを週に1回買えるくらいだ。言葉はおかしいが、まったくの濡れ衣なんだ。
僕たちというのは、どれだけ罵倒しても絶対に反撃してこない相手なのだからやたらとスッキリする。誰も文句を言わないのだからやっぱり私が正しいのだ、私を理解しない世間のほうが間違っているのだということを再認識できるんだから気持ちがいい。そこからは世の中の間違ったことを正しているんだという正義感まで生まれるようだ。
この本にも書かれていたが、人はそうやって自分を正当化しないとやっていけないらしい。僕も、「私はあなたたちにもっと良くなってもらいたいと思って必死で言っているの!」と言われてひっくり返りそうになったことがある。このひとは自分の家に見ず知らずの人を上げて夕食も食べずに夜中の11時過ぎまで大声をあげて僕たちのために相当な労力を使ってくれている・・。
それが理解できない。いったいこれがこのひとにとって何の得になるのか・・。僕は人間がわからなくなった。それとも人は損得を超越した使命を持っているものなのか・・・。
こういう人はとにかく何時間でも話したがる。それも向こうがしゃべる時間のほうがはるかに長い。本当に疲れないのかと心配になるほどだ。だからそれを楽しんでいるとしか思えないのだ。
そうしなければ気持ちが治まらない哀れな性格なのか、それともこんなことにしか楽しみを見出せない哀れな生き方しかできないのか、同情もしてやりたいような気持ちもするのだが、ただ罵倒され続けるこちらもはやり哀れだ。
この本は対処法として、逃げろとか反撃しろとかもっともらしく書いているが、会社の看板を背負ってそれはできない。会社がそうしろと判断してくれれば僕はいくらでも戦う覚悟あるが、はしごを外されて家族を路頭に迷わせることはできない。そんな判断をしてくれる上司などはいない。どれだけ個人攻撃をされていてもまったく知らない振りされてしまうのが現実だ。やるなら自分の責任で、相手と刺し違える覚悟がいる。
だから、結局、今までどおりこんなテロリストのような相手からは多大な罵倒を受け続けるよりほかはないのだというのが結論だ。
一度でいいから言ってみたい。「それがどうした。」と・・・。
そして他山の石として自分は歳をとってもこんな人間にはならないでいたいものだと思うのである。
この本もその他の新書と同じく、センセーショナルなタイトルのわりにはまったく中身のないものであった。僕でさえ、こんなことはすでに悟っている。
本当に最近の新書はどうなっているのだ・・・。