イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

タラノメ採り2回目

2016年03月21日 | Weblog
去年のブログを見ていると、タラノメは3日ほどあれば一気に大きくなるようだ。今日は休日にもかかわらず出勤しなければならないが早朝からいつものポイントを巡ってみた。
案の定、どちらのポイントもかなり大きくなっていた。第1ポイントも森の奥のほうは誰にも入られた様子はない。藪の中を進みながらヤッケのポケットに獲物を放り込んでゆき、一通り巡り終えると一杯になった。



今年もなんとか春を味わえる。

気になることがひとつ。今のところ独占状態の第2ポイントだが、ポイントの周りがえらく刈り取られてしまっている。ここは山奥というより住宅地に近いようなところなのでこれではタラの木の存在が公にさらされてしまう。いつまで独占できるのか・・・。それにこの続きでタラの木まで刈り取られてしまったらどうしよう。



ほかのポイントを見つけておけばいいのだろうがそれもままならない。なんとか1年でも長く温存してもらいたいものだ。


予定では午後2時過ぎからどうでもよいようなよくないような研修が2時間半ほどある。それのために往復4時間あまりかけて行かなければならないのはかなり辛い。前の勤務先なら加太まで出ても間に合ったのに・・・。
救いがあるとすれば、今日は晴天にもかかわらず北風が強く吹いている。ワカメ採りも、ましてや加太への釣行も無理だということだろうか。



ただ会社に行って研修を受けて帰ってくるだけではもったいないので少し早めに家を出て、今流行の真田幸村関連のスポットを訪ねてきた。

今の勤務地は大阪城と冬の陣で家康が拠点にした茶臼山のちょうど真ん中あたりにあるのでそれなりにゆかりの場所があるのだ。
そのひとつ、会社のひと駅ほど北側に三光神社というところがある。



真偽のほどはよく知らないが、ここがかつての真田丸があった場所らしい。大阪城までつながっているという抜け穴の入り口まであるのだ。

 

まあ、こんなのはそんなはずもなく、そういえば九度山にはもっと壮大な抜け穴があってこれも大阪城までつながっていたというのだから和歌山県はやっぱりえらいのだ。

(これは九度山にある真田の抜け穴。)



駅前の商店街は幸村一色だ。



商魂がたくましいと言えば格好がいいが、使えるものは何でも使ってやろうという浅ましさがなんだかむなしくなる。これは人のことをとやかく言える立場でもないのだが・・・。

会社に向かって歩いてゆくと真田信繁の墓があるというお寺があった。



墓石っぽくない股らしい石碑がひとつ。これは本物なのだろうか。ひょとしてブームにのってのにわかこしらえだったら幸村もうかばれまい。




いまどき、真田幸村などというとかなりミーハーに思われるかもしれないが、ぼくはそんなことはない。7年前には幸村が討ち死にしたという安居神社も訪ねている。そんじょそこらのにわかファンなどでは決してないのだ。
大して詳しくもないが、幸村の生き方にはすごい潔さを感じてしまうのだ。

会社への道すがら、もうひとつ思い出したことがある。この辺りは師が生まれた場所でもあるのだ。たしか5歳くらいまですごしていたはずだ。エッセイにも僕が勤務しているこの店に父親と買い物だか食事だかに来たというようなことが書かれていたことを思い出した。
この店は今年80周年を迎える。師の年齢を考えると、まさしくオープン当初にこの店を訪れていたことになる。昭和46年くらいに建て替えられたそうだからずばりこの床を歩いたわけではないだろうが、まさしくこの場所の空気を吸っていたかと思うと、長い通勤時間には辟易するもののなにか感慨にふけるものもある。
会社の波に流されながらここまでやってきたが、師に引き寄せられてきたのだと思えばそれはそれでなんとか通勤を続けられそうな気もしてこようかという感じだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする