阿刀田 高 「旧約聖書を知っていますか 」読了
とてもじゃないが本物を読むような実力がないので入門書の初歩の初歩のような本を読んでみた。
著者が旧約聖書のあらすじを優しく解説しながら進むエッセイだ。
読めもしないものを一体なにを好んで知ろうとしているのかというと、もうそろそろ先が見えてきてほぼこれからの生活に大きな変化がなくなってくると悟ってしまうと過去にさかのぼりたくなる。いったい人間はいままでどんなことを考えてきたのだろうということを知りたいと思うようになる。壇ノ浦に散った平知盛のように、「見るべき程の事をば見つ。」と言って死んでいきたいではないか。
創世記のアダムとイヴ、ノアの箱舟、アブラハムの家系の物語、その子孫のモーセ、もっと下ってダビデ、ソロモン。きっとどこかで聞いたことがある名前や物語だが、どんなつながりで進んでいくのかは意外と知らなかったりする。それを知りたいと思うのだ。
ダビデが戦った相手はゴリアテという巨人だそうだが、これなんか「天空の城 ラピュタ」に出てくる大型飛行戦闘機の名前だったりする。ついでに言うとかつてラピュタが滅ぼしたというエピソードで語られるソドムとゴモラという地名も旧約聖書に出てくる。ソドムの町の人々は男色趣味の人が多くてそれを怒った神様に滅ぼされたらしい。
ダビデに戻ると、ゴリアテと戦ったときに使った武器が石だったそうで、ミケランジェロのダビデ像もその時の物語に沿って右手に石を左手にそれを投げる投石機をもっている。左手に持っているのタオルではないのだ。
イスラエルという言葉はアブラハムの孫、ヤコブが神と戦って勝ったことにより、「イスラ・エル」と名乗りなさいと告げられた。意味は“神と戦って不屈なるもの”という意味を持っている。この人の子孫が今のイスラエルの国民。
モーセはその子孫だがどうしてエジプトからイスラエル(カナン)の地を目指すことになったか。
こんな話も知っているようで知らなかったりする。
古事記も似たような日本の建国の物語だが、どこの国でも同じような物語を作るようだ。日本は幸運にも滅びることはなく古事記もずっと読まれ続けた。しかし、イスラエルは一度滅びた。滅びた国の物語がどうして現代まで受け継がれたのか、しかもキリスト教もイスラム教も当然ユダヤ教もだが、この聖書を基礎にしている。やはりこれも聖書の奇跡なのだろうか。そう思うとやはりすごい書物なのだ。
そして、それを理解することがヨーロッパ、中東の国々を理解するためには必ず必要なことではないのかと思う。
また読み物としても面白そうだ。もちろん神とのかかわりがその根本だが、愛憎劇、色気、葛藤、様々な人間模様が織り込まれている。師は長い旅には必ず聖書を持っていったそうだ。多分、こんな人間模様がその魅力であったのだろう。
しかしながら、全39巻、韻語、詩歌、など普通の小説ではないそうで、凡人では何を書いているかよく理解できないものも多数あるそうだ。師だから読めるというところだろうが、「見るべき程の事をば見つ。」ために僕もそんな実力を身につけたいものだ。
とてもじゃないが本物を読むような実力がないので入門書の初歩の初歩のような本を読んでみた。
著者が旧約聖書のあらすじを優しく解説しながら進むエッセイだ。
読めもしないものを一体なにを好んで知ろうとしているのかというと、もうそろそろ先が見えてきてほぼこれからの生活に大きな変化がなくなってくると悟ってしまうと過去にさかのぼりたくなる。いったい人間はいままでどんなことを考えてきたのだろうということを知りたいと思うようになる。壇ノ浦に散った平知盛のように、「見るべき程の事をば見つ。」と言って死んでいきたいではないか。
創世記のアダムとイヴ、ノアの箱舟、アブラハムの家系の物語、その子孫のモーセ、もっと下ってダビデ、ソロモン。きっとどこかで聞いたことがある名前や物語だが、どんなつながりで進んでいくのかは意外と知らなかったりする。それを知りたいと思うのだ。
ダビデが戦った相手はゴリアテという巨人だそうだが、これなんか「天空の城 ラピュタ」に出てくる大型飛行戦闘機の名前だったりする。ついでに言うとかつてラピュタが滅ぼしたというエピソードで語られるソドムとゴモラという地名も旧約聖書に出てくる。ソドムの町の人々は男色趣味の人が多くてそれを怒った神様に滅ぼされたらしい。
ダビデに戻ると、ゴリアテと戦ったときに使った武器が石だったそうで、ミケランジェロのダビデ像もその時の物語に沿って右手に石を左手にそれを投げる投石機をもっている。左手に持っているのタオルではないのだ。
イスラエルという言葉はアブラハムの孫、ヤコブが神と戦って勝ったことにより、「イスラ・エル」と名乗りなさいと告げられた。意味は“神と戦って不屈なるもの”という意味を持っている。この人の子孫が今のイスラエルの国民。
モーセはその子孫だがどうしてエジプトからイスラエル(カナン)の地を目指すことになったか。
こんな話も知っているようで知らなかったりする。
古事記も似たような日本の建国の物語だが、どこの国でも同じような物語を作るようだ。日本は幸運にも滅びることはなく古事記もずっと読まれ続けた。しかし、イスラエルは一度滅びた。滅びた国の物語がどうして現代まで受け継がれたのか、しかもキリスト教もイスラム教も当然ユダヤ教もだが、この聖書を基礎にしている。やはりこれも聖書の奇跡なのだろうか。そう思うとやはりすごい書物なのだ。
そして、それを理解することがヨーロッパ、中東の国々を理解するためには必ず必要なことではないのかと思う。
また読み物としても面白そうだ。もちろん神とのかかわりがその根本だが、愛憎劇、色気、葛藤、様々な人間模様が織り込まれている。師は長い旅には必ず聖書を持っていったそうだ。多分、こんな人間模様がその魅力であったのだろう。
しかしながら、全39巻、韻語、詩歌、など普通の小説ではないそうで、凡人では何を書いているかよく理解できないものも多数あるそうだ。師だから読めるというところだろうが、「見るべき程の事をば見つ。」ために僕もそんな実力を身につけたいものだ。