イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

虐待事件に思う・・・

2019年02月06日 | Weblog
千葉県の虐待問題でも逮捕された両親に非難が集まるのは当然としてまたもや児童相談所への批判も高まっている。たしかに10歳の女の子を最後まで守ることができなかったというのは残念なことだが、僕は児相の担当者たちにいくらかの同情の気持ちを隠せない。

犯人の父親は児相の担当者に何度も罵声を浴びせるような対応をしていたそうだ。保護が解除されてから計8回も面談しその上で少女が書いたアンケート用紙のコピーを渡してしまったとニュースで報じられていた。少女が父親からそのコピーを見せられたときの失望感はいかほどのものであったろうかと考えるとあまりにも悲しくなる。
記者会見では児相の担当者の上司と思しき人がすべては言い訳になってしまうと答えており、マスコミも児相は何をしているのだと強い論調で報じているが、そう言っている人たちと同感だと考えている人たちのなかで、一体何人のひとたちが、自分に非がないのに、もし非があったとしても、その代償をはるかに超えるような罵声を赤の他人から浴びせられた経験を持っているだろうか。

ひとりの人を死に追いやるような暴力を振るう人間の口から出る言葉は明石市長の比ではあるまい。それに耐えられるタフな人というのはそうざらにはいないはずだ。
児童相談所自体が地方自治体の中では完全に独立した機関らしく、自治体のどの局に所属しているというのではないようだ。そしてかなりの職員は自治体からの人事異動で配属され専門的な知識もないまま、誰にも相談できないままこんな輩と対峙しなければならないようになっている。
かりに教育委員会や厚生局に相談に行っても、多分、「そんなものそっちの責任できちんとやってくれ、それが現場というものだろう。」と言われるのがおちで、専門家も嘱託で勤務しているのかもしれないが、ほとんどの場合は何を決断する権限もなくアドバイスをするだけだったに違いない。
そんな中、孤立無援で対応していれば最後は相手の言いなりにならざるをえなくなるのも無理はない。僕も一度、2件の問題を抱えて右往左往したことがあるけれどもたった2件だけでもあんな思いをしたのだから、人員不足で年間50~60件の案件を受け持っている人たちの苦労は並大抵ではないと思う。これは許容量の3倍を超えているという言うことだ。赤い彗星でもあるまいし・・・。

こういう輩というのは恫喝と優しい言葉を繰り返してそれも同じ事を何度も何度も繰り返して相手の思考を麻痺させてしまうのだ。かぶせて、裁判沙汰にするとか、SNSに流すとかそういうことを必ず言うのだ。何度も会っているうちに、次に会うともっとひどいことを言われる。それなら今のうちに言うことを聞いておこう。必ずそうなってくるのだ。それに対して、どうぞ、勝手にやってくれと自身の判断で言える人は多分皆無だ。それに、一般人の考えでは、まさか自分の子供に手をかけて死に追いやるなんていう残酷なことが現実にが目の前で起こるとはなかなか想像しにくい。「今までは間違いでした。」なんて言われるとそっちの答えを信用してしまうのももっともだ。

そんなものを相手に素人が戦えるはずがない。やはりそういう組織しか作れなかった行政に問題があるのではないかと僕は思うのだ。担当者を責めるのはあまりにも酷であるような気がしてならないのだ。今回の例でも、現実に犯罪者を相手にしているのだから、警察の一部門にでもしたほうがいいのではないだろうか。
これは民間企業でも同じだ。小売、サービス業界では7割の人が何がしかの恫喝や謂れのないクレームに遭遇したことがあるそうだが、おそらく20数年前と比較してもこういう輩というのはどんどん悪質化し、執拗になってきて一般人の常識ではすでに考えららないレベルにまでなってきているのは間違いがない。バブルの前はまだまだ日本人も素朴ではなかったのだろうか。べつに替わりに対応してくれとは言わないが、「こうやれ、これで法的に問題はないから。」そう言ってくれるだけでいい。もう少し望むなら、「骨は拾ってやるから行ってこい。」と言ってくれればどんな怖い相手にでも立ち向かえる。そんな立場の人がどうして児相にいなかったのか・・。

しかしながら現実はこうだ。これは僕の友人から聞いた話だが、彼のボスがある取引先のことに対して取引条件の改定を申し入れろという指示を出し、その際に、「取引先と条件交渉するときはネチネチと攻めて相手が苦しんでいる姿を見るときが一番嬉しいんだ。」というようなことを言っていたそうだ。新聞記事に業績がいいらしいと載っていたから条件交渉しろと言われてもおかしなものだが・・。
まあ、これも言葉のあやで、それくらいの覚悟で取引交渉に臨めという意味も含まれているのかもしれないが、いつものそのボスの部下に対する言動から想像すると心底そう考えているのかもしれないと言っていた。“人は心の中で思っていないことは絶対に口に出せない。”と言うではないか。人のこころとは多かれ少なかれこんなものなのかもしれないと悲しくなってしまう。
彼も僕と同じ年代なのでもうすぐ役職定年で今の部署を離れることができると思うと清々するらしい。その前にこの人の人格を垣間見ることができたのは以外と幸運ではなかったのだろうか。

多分、千葉の児童相談所もこんな考えの人たちがトップにいた結果がこんなことになってしまったのではないだろうか。人が苦しむところを見るのが嬉しいと考えるひとは人を手助けできるはずがなかろう。
惜しむらくは、直接担当した相談員が、「こいつと刺し違えてでもあの子を守ってあげるんだ。」という破れかぶれでもいいからそういう心持を持って欲しかったけれども、数十件も似たような案件を抱えていれば毎度毎度そんなことを考えることはできまい。
役所も会社も学校もすべて組織がおかしくなっているのだ。こんなトラブルを現場だけにいつまでも押し続けるような体勢はすぐに改革してもらいたい。
いつもこんなニュースを見るたびに同じようなことを思うのだ。
コメント
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