イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「海の武士団 水軍と海賊のあいだ」読了

2019年02月09日 | 2019読書
黒嶋敏 「海の武士団 水軍と海賊のあいだ」読了

歴史に詳しい人が読んだらよくわかる内容なのかもしれないが、日本史が赤点だったぼくにはまったくの支離滅裂な内容にしか思えなかった。
タイトルから想像するとなにか、戦国時代の全国の海賊と言われた人たちの武勇伝と栄枯盛衰を描いたものかと思ったのであるが、武勇伝が出てこなくてその成り立ちと消滅を書いている。ひょっとして我が故郷の雑賀一族の物語なども期待したのだがそこはまったく出て来なかった。
そういう意味では栄枯盛衰なのだが、海を舞台に活動していた人々に関する資料というものはほとんど残っていないということでかなりの部分が著者や他の研究者の想像を引用したものになっている。おまけにその事例が全国あちこちに行ったり来たりするので支離滅裂な印象を受けてしまう。

なんとかその中から自分なりにその成り立ちから消滅してゆくまでを追いかけてまとめてみるとこんな感じだろうか。

・鎌倉以前、海の難所では船の遭難は頻繁に起こる。残念ながら乗組員がいなくなり船だけが岸にやって来たものはそれを見つけた在所の人たちのものになるというのが当時の習慣だった。それを「寄船」というのだそうであるが、積み荷はその土地の神社やお寺の維持費や供物になったそうだ。福岡県の宗像大社の沖ノ島には古い時代からの奉献品がたくさんみつかるのも、そんな寄船から得たものが多かったそうだ。
・寄船の解釈が勝手に発展すると、人が乗っていても在所(ナワバリ)に近づいてくる船の荷物は俺たちのものだということになって海賊行為が始まる。
・船に乗っている人もそれは困るので「関銭」を収めるようになる。そして代わりに海賊たちは水先案内人として危険な海域を安全に航行させてやる。
・戦国時代になるとその技術を利用される。
・平和な時代になると、関銭をとる行為は物流の邪魔になる。秀吉や家康の強大な権力には抗うことはできずに漁師になったり、海運業に生きたりというようになり、大名として残った家系はわずかしかない。
というようになる。

そういう意味ではかなり冷遇された人々であったという感じなのだが、それは一体どうしてだったのだろう。僕なりに考えると、ひとつは領地を持っていなかったということが大きかったのではないだろうかと思う。はっぱり、日本はどれだけの土地を持っているかというのが武将としての尺度になっていたのではないだろうか。どれだけの海域をナワバリにしていたとしても土地を持っていないやつは大したことがないとされてしまっていたのではないだろうか。
もうひとつは、海で生きる人は無頼であってほしい。(これは僕の願望でしかないかもしれないが・・)もともと誰かに仕えるということを嫌い、そこが大名たちに敬遠され便利に使われるだけになってしまったとは考えられないだろうか。
それはそれでカッコいい生き方ではなかったかと思うのである。



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