イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「カレー記念日」読了

2025年03月11日 | 2025読書
中央公論新社/編 「カレー記念日」読了

カレーをテーマにしたエッセイを集めたアンソロジーだ。収録されている作家のほとんどは僕よりも年上だというのが嬉しい。こういうアンソロジーに収録される作家というのはやはりある程度の貫禄と実績が必要だ。言ってみれば仮面ライダーV3に時々登場する1号、2号ライダーのようなものだ。安心して読めるのだ。そういった人たちの文章は構成がロジカルで安心して読めると思うのは僕の偏見だろうか・・。

冒頭のエッセイには、『なぜかカレーが嫌いで仕方がない、という人に出会ったことがない。』書かれているが、確かにその通りだ。カレーが嫌いだという人に僕も出会ったことがない。
もちろん僕自身も子供の頃からカレーは大好きであった。母がカレーを作ってくれる日は夕食が楽しみで仕方がなかった。最後の仕上げに入れる水溶き片栗粉を入れる姿を確認するといよいよカレーを食べることができる。ワクワクしてくるひと時であった。
それからすでに50年あまり。今でもカレーは大好きな料理である。作り手が母から奥さんに変わっても同じである。
しかし、この料理を外で食べたいと思ったことはほとんどない。まあ、外食自体ほとんどすることがないのだからカレーも外食することもないのであるが、カレー専門店に行きたいと思ったこともないし、たまに入るレストランでメニューにカレーがあったとしてもまず注文することはない。ホテルのバイキングにカレーが含まれていても同じで、わざわざ食べたいとは思わない。これも偏見なのかもしれないが、カレーは家で作っても外で食べてもそんなに味が変わるものではないと思っているのである。特にレトルトカレーとなるとこれはほぼ専門店の味じゃないのかと思うのでわざわざ家以外で食べなくていいと思うのである。
そうなってくると、カレーが好きと言いながらそれが本当なのかと怪しくはなってくる。
カレー記念日に参加する資格は僕にはないのかもしれない・・。

カレーにはひとつ悔いている思い出がある。サバカレーというと今では少し日常を離れたおしゃれなイメージ(30年くらい前にはそんなドラマもあったけれども、こういうイメージも遠い昔のことか・・。)があるが、小学生のころ、祖母がそんなのを作ってくれたことがあった。「今日は何が食べたい?」と聞かれたので、「カレー」というと、おそらくその日はあいにく祖母の家に豚肉がなかったのだろう、肉の代わりにサバが入ったカレーが出てきた。当時から癇癪持ちであった僕は、そんなもの食べられないと駄々をこねてひと匙も口にせず寝てしまった。今ではサバカレーを作るためにわざわざサバの水煮を作るくらいなのだが・・。作ってくれた祖母はおそらく悲しんだに違いない。申し訳ないことをした・・。
祖母との思い出というのは相当遠い彼方に行ってしまっていて何も思い出すものはないのだが、なぜだかこの思い出は消えることなく残っている。やはりきっとこの思い出はそれがカレーだったから残っているのだろう。これがサバピラフだったらとうの昔に記憶の彼方に消えてしまっていたはずだ。
やはりカレーは偉大であり、「ピラフ記念日」では本になっていなかったのだろう・・。
コメント
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