イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

船底塗装

2011年09月09日 | Weblog
毎年恒例の船底塗装。
僕は体力と技術力がないのですべて工場におまかせだ。
天気予報では雨が降るとか、南部では大雨だとかでドックまでたどり着けるかと危うんでいたが朝からは快晴、無風でよかったよかった。
今年は塗料を変えてもらったせいか、それとも冬が寒かったせいかあまりフジツボの付着はなかったが、ほんの少しかきとっただけでフラフラになってしまった。やっぱり自分ではできない作業だ。

エンジンの整備もしてもらってリフレッシュ。
いよいよ秋の釣りが始まる。

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「三教指帰」読了

2011年09月06日 | Weblog
空海 著 加藤純隆/訳 加藤精一/訳  「三教指帰」読了

あらすじは、富豪の放蕩息子を改心させるために儒教、道教、仏教の賢者が次々に説教をし、最後にみんな仏教のすばらしさに帰依するという物語だ。
空海が24歳の時に著したもので日本初の戯曲だと言われている。空海はまだ唐に渡る前で真言密教の奥義を授けられる前に書かれたものだ。四国の山中で修行しながら真言密教の経典のひとつである大日経を理解し始めたころということだ。
この本はその三教指帰をそのまま意訳したもので、解説らしきものはほとんどない。

冒頭に、「この書物は特に人に読んでもらおうと思ってかいたわけでもない。」という断わりがあるが、あえてそれを文章にしたためるというのは、今で言う、ブログみたいなものなのだろうか。自分の日記代わりに書いているのだけれども、ちょっとは誰かに見て欲しい・・・。そのまんまだ。

ところで、仏教というと釈迦が開祖で一番偉い人と思うところだが、真言密教ではちょっと違う。一番えらいのは大日如来で釈迦如来もその分身のひとりに成り下がってしまっている。大日如来はこの世、この宇宙のすべてをつかさどるものとして登場する。
ちなみに南無阿弥陀仏の阿弥陀如来もその分身だ。
ちょっといままで僕が認識していた世界はかなり間違いだらけだったようだ。

真言密教は仏教を超えていたのか・・・。

それはさておき、儒教、道教、仏教、そのうち、道教の祖のひとりの荘子の思想というのが面白い。
そのひとつが「みんなから尊敬を受けて窮屈に生きていくよりも、これからも見苦しくのた打ち回ってでも自分の好きなように生きていきたい。」というようなものだ。
僕は栄達を望めるほどの能力もないし会社の未来を担えるほどの能力もない。やっぱり会社に従順なふりをして自分の好きなように生きてゆくのだ。
これからも“おいやんスタイル”で魚釣りに精進するのだ。

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台風12号通過中

2011年09月03日 | Weblog
いよいよ台風12号が四国に上陸した。
えらい遅くてやきもきしたが早くとっととどこかへ行ってくれ。

今日も朝から私設パトロール員として海の状況を視察してきた。
ほぼ満潮時刻に近いので護岸は相当潮が来ている。
もう、錨のロープはパンパンに張っている。もっと太いロープで隣の船と繋いでおけばよかった。ロープが切れたら舳先が護岸に乗り上げて船がひっくり返ってしまうぞ。次からは気をつけよう。



続いていつもの定点観測場所へ。
台風6号の時に比べると波は大したことはないようだ。



今日は続いて雑賀崎灯台方面へパトロール域を広げてみた。
ここはなかなか景色がいい。もっと天気のいい日に来てみたいものだ。



こんな日に外をうろついている僕はたいがいバカだと思うが、この2箇所には僕のほかにも見物人がいた。この世にはバカがたくさんいるものだ。

朝早く出てきたので今日は和歌山マリーナシティにもパトロールを敢行。
浜の宮にはたくさんのサーファーが出ていた。あんまり波が来ないのか、みんな海の中でボードにつかまってボーっとしていた。雨の中、駐車場代をせしめている強欲ババア、がんばれ。



マリーナの中はさすがに和歌浦漁港の避難港に指定されているだけに静かなものだ。カニさんが一生懸命雨乞いをしていた。
あんまりたくさん雨を呼ばないでね。



ここでもうひとつ、バカなものを発見。
何が「恋人の聖地」だ。誰が決めたんだ!!。ここはただの埋立地じゃないか。地面の半分くらいは産業廃棄物だぞ。所詮、愛はさめるもの。そのときは産業廃棄物とともに埋めてしまえということだろうか?それなら話はわかるな。



今のところ、雨は激しいが大きな被害もなく時間が過ぎている。
次の満潮まであと6時間くらいだろうか。それを乗り切れれば平穏な状態に戻れそうだ。
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「垢石釣游記」読了

2011年09月01日 | Weblog
佐藤垢石 「垢石釣游記」読了
佐藤垢石といってもこの名前を知っている人などはほとんどいないだろう。一応、調べてみると明治21年に生まれて報知新聞の記者を経て雑誌「つり人」の創刊に携わった人ということだ。昭和31年死去。僕は井伏鱒二の釣りの師匠であるということで名前だけは知っていた。
まあ、小西和人のような人なんだろう。いいねぇ、釣りが好きでそのまま職業になっちゃってるなんて。

この本は著者が亡くなってから再編集して出版されたものらしいが、出てくる話からするとかなり古い。多分昭和の始めくらいから戦争が終わるころくらいの話なのではないだろうか。
仕掛けの説明は、糸の太さは厘や分、錘は匁、魚の重さも貫や匁で書かれている。もちろん糸は化学繊維などではなく本テグスとか人造テグスなどというものばかりが出てくる。竿もグラス竿さえ出てこない。もちろん、リールという言葉は全然出てこない。

ちなみに、テグスというのは漢字で書くと“天蚕子”と書く。カイコなどの繭を作る蛾の幼虫の体内にある絹糸腺を酢酸に漬けて伸ばして作るらしい。また、人造テグスとういうは植物繊維のセルロースを酸で加工したもらしい。昭和20年くらいまでは使われていたそうだ。
それを考えるとほとんどが昭和10年代くらいに書かれたもののような感じだ。この年代というのは僕の父親が小学生のころということになる。あの人も魚釣りをするときはこんなものを使っていたのだろうか。しかし、昔、僕の祖父から聞いた話では、この“テグス”というのはものすごく高価なものだったらしく、魚を釣りに行っても大きな魚が近くにやってくると切られては困るのでみんな道具を引き上げてしまっていたそうだ。
僕の生まれたところの近くには鷹ノ巣という名前がついた地磯があって、祖父たちもよくここで釣りをしたそうだ。そこでの話ということでこんな話をしてくれた。60センチくらいのチヌがうようよしていたと・・・。
僕の父親の実家もものすごい貧乏だったらしいから多分そんな高価なものは使わずに麻や綿の糸を使っていたのだろう。
しかし、魚の数たるやいまの時代の比ではなかったのだろうと思うとなんともうらやましい。
できることならタイムマシンで80年くらい前まで遡って今の釣具を持ち込んで、もう、へとへとになるまで魚を釣り続けたいものだ。

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台風12号接近中。

2011年09月01日 | Weblog
台風12号が接近中だ。
今回の台風は足が遅いうえに予定のコースを外れてどんどん近畿地方に近づいてきた。
朝からたった10分の仕事のために往復3時間の通勤時間を費やし午後から台風の迎撃のための準備をするために港へと急いだ。
その後は私設パトロール員としてその辺をうろつこうと思っていたが、いつもの定点観測場所に着いたとたんに雨が降ってきた。それもかなりひどい雨だ。僕は機動力優先で原チャリでうろついていたのでこれはたまらない。急いで現場写真を撮影して退散した。写真には雨雲の境目がくっきり見えている。海の方はうねりがあるといってもいまのところそれほどでもない。

あさってくらいが本格的なようだが、なんとか何事もなく終わってくれと祈るばかりだ。
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