イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

 「AIにはできない  人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性」読了

2025年01月23日 | 2025読書
栗原聡 「AIにはできない  人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性」読了

この本は、日本のAI研究の最先端を行っている研究者がAIの過去、現在、未来について語っている。
著者は手塚治虫の「ブラックジャック」の新作をAIを使って作り上げたプロジェクトのメンバーのひとりだそうだ。
本業は慶応大学の教授で専門は人工知能、複雑ネットワーク科学、計算社会科学だと著者紹介で書かれている。ここからすでにわからない・・。


AIの開発の歴史はけっこう古く、1950年代にコンピューターが開発されたときから、その基礎はできていた。現代のコンピューターはノイマン型と呼ばれる形式の構造をしているが、すでにこのコンピューターには「自己再生機械」という構想があり、この、生物だけが持つ機能を持たせることで名前として残っている、フォン・ノイマンは人が持つような知能を備えた機械の実現を夢見ていたようである。
そして、1956年AI(人工知能)という言葉が生まれる。ジョン・マッカーシーという計算機科学者が十数人という少人数による「ダートマス会議」と呼ばれる勉強会で初めてこの言葉が提唱された。
AIが注目されたことは今まで3回あった。「ダートマス会議」の後、「推論問題」「パズル」「迷路」という、人ならではの能力でしか解けない問題を解く技術が生まれた。
この時がAIの第1次ブームであった。ただ、その技術力はあまりにも弱く、実用としてはまったく役に立ちそうもなく次第に注目されなくなった。しかし、このときすでに、ディープラーニングという、現代のAI技術の基礎になっているニューラルネットワークの技術も考案されていた。
次のブームは1980年頃、人が持つ専門的な知識を教え込み、その分野の専門家でなければ解けない難問をコンピューターで解決させる「エキスパートシステム」という発想が生まれた。しかし、ここで、教え込む知識の「質と量」の壁にぶち当たる。それは、専門知識に加えて常識も教え込まなければ正しい答えが導き出せないというのである。
そしてその常識の量が膨大過ぎて当時のコンピューターのスペックをはるかに超えていた。ここでも実用に耐えられるような能力を確保することができないとわかりブームは下火になってゆく。
そして、2010年頃から、第3次のブームが訪れる。2011年、人工知能分野の音声認識に関する著名な国際会議でおこなわれる音声認識の性能を競う競技会で、「ニューラルネットワーク型の音声認識プログラム」が2位に大きな差をつけて優勝したことに始まる。
この手法こそがディープラーニングであり、初めて著名な舞台に登場した瞬間であった。
このブームは現在まで続いているのだが、その到達点のひとつがOpenAI が創り出したChatGPTであったのだ。その大きな特徴は、学術分野で生まれたのではなく、産業側から生まれたことであった。
ここで、ディープラーニングとは何かということを少しだけ説明しておくと、AIが学ぶのは情報だけではない。それよりも、単語のつながりを学ぶということが重要だそうだ。
この技術をTransformerというが、ひとつひとつの単語(データ)が、その単語の前後に位置する膨大な数の単語とどれくらい関係しているかの度合いを学習しているのだという。文章を作るには文法がわかれば作れると思うが、どうもそうではないらしい。それよりもひたすら単語と単語のつながり方を学習するほうがよい。ただ、そのためには膨大なデータを取り扱える手法が必要であった。それがTransformerであった。

ただ、AIの未来はこんなものではないと著者は考えている。著者が想像するAIの未来は自律型のAIと人間の共存である。“自律型”とは目標を与えるだけでそのためには何をするのが最適かということをAI自身が考えて行動するということだが、AIが人間に奉仕する存在であるということを前提にすると、それは、“おもてなし”の行動ができる能力を備えているというのが未来のAIの姿だと著者は考えている。
著者はさらに、AIのゆりかごの中で生きてゆくのが人間にとって最善の生き方であると語る。この頃のAIはすでにAIを超えて、ASI(Artificial Super Intelligence:超人工知能)まで進化し、すでに人間が理解できるレベルを超えていて人間が生み出すデータで学習するAIの延長線には存在しないものとなる。当然人間の知能をはるかに超越している。いってみれば神のような存在だ。それは政治、経済、資源管理、インフラ、すべてを最適に配分してくれる。
こういう発想が生まれるというのはAIの未来を信じて研究している科学者だからこそだろうが、例えば、その目標設定が、「地球を人が住むために最適な環境にせよ。」とされたとき、そのためには人間自身がこの地球上から抹殺されなければならないとAIが考えてしまわないかと僕は考えてしまう。

その前に、AIのゆりかごとはどんなものなのだろうかと想像してしまう。身の回りのことはAIロボットがすべてやってくれて、人間はボ~っとしているだけの生活を続けるのか、もしくは、AIが示した選択肢の範囲のみでしか生きられないのか、どちらにしてもあまり面白くはなさそうである・・。

現代のAIはまだ“おもてなし”には程遠い性能だ。著者が、“壁打ち”と表現しているが、利用者が求める答えを得るために、何度もAIとやり取りをしなければならない。そのためには当然ながらAIをあやつる専門知識が必要になってくる。

すでにAIは一般企業でも活用されているそうだが、一体どんな使い方がされているのかというのが想像がつかない。自分がかつて在籍した会社を思い出してもどんな場面でどんな答えをAIから引き出せたのかがわからない。しかし、今日の新聞には孫正義のグループがアメリカに対してAI開発に78兆円も投資をするのだと記事が出ていた。



日本株もアメリカ株も価格けん引しているのはAI関連だ。投資の世界ではすでにAIが主役に躍り出ている。
好むと好まざるとにかかわらず、AIと関わらずには生きていけない世の中になってしまってきたようである・・。

最後に直前に読んだ本の追加を書いておく。
同じく今日の新聞に「転んでもいい主義のあゆみ  日本のプラグマティズム入門」に登場していた哲学者の、鶴見俊輔の名前が出ていた。このコラムを読んでみると、プラグマティズムとは何かということの一端が見えるような気がする。もう少し色々な本を読んでみようという気になってきた。



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