鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

昭和初期の水道道路地図

2006年09月13日 | 東山道~鎌倉
詳細な年代は記録忘れです。
水道路が作られ、小田急が開通し、赤マークの直線道路が途切れた処に軍の通信基地が作られました。
座間飛行場の為の通信基地で、現在のイスズ工場です。
緑のラインが小田急線。
紫の丸マークは、海老名の国分寺と国分尼寺です。

赤丸をした処が写真の場所です。
注目して欲しいのは、いったん川を渡る為に直線を外れた道は、次の台地の水道路に再び合致するのです。
直線を意識した道は、この様に地形に影響されると言う訳です。
これが、単なる直線ではなく、「直線の程度を知る必要がある」と言うことです。

描写が荒いのですが、細かい画像のリクエストが有れば、コメントしてください。
このブログにディスプレイをはみ出す画像を載せます。
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水道道路(明治の地図)その1

2006年09月13日 | 東山道~鎌倉
明治15年頃に陸軍で作られた迅速測図という地図です。
小田急も未開通、横須賀水道も無し。
目立つのは、
黄色で書いた戸塚から大山に向けた大山街道と茅ヶ崎から川崎に向けた中原街道です。
赤いマークが想定伝路水道路と言われた直線道路ですが、
赤マークが途切れ曲がって川に向かうのが私の写真に有る道です。

「古代道路は、直線で無ければ駄目!」っと考えたら見つからないでしょうね!
それが、机上の理論で終わり、想定伝路とした理由でしょう。
一応は現地調査をした様ですが、、、
実際に周囲を調べ「川に降りて次の台地に行く行くには何処を通るのが合理的か?」っと言う観点で探した差です。
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