この地図の北は、通常の上が北です。
唐糸草子という昔話があり、万寿姫が鎌倉に母の唐糸を訪ね府中方面から星谷寺(座間市)へ詣でて藤沢市の砥上河原に行く道が有る事を書いています、、、
読む人が共感を得る物語に公表できる程、一般的に使われた道と考えられます。
この間、町田と座間の間には、後世の人が奥州古道と呼んだ道が有るそうです。
座間より、藤沢への最短距離をツナグのが、この東山道武蔵路という訳です。
それを裏付ける様に、奥州征伐に先立ち義経の首実験の為、奥州より首が送られた。
しかし鎌倉に入る事を許されず、藤沢の白旗神社の近くで首を洗い、首実験をされた。
首はそのまま川に流したとされ、この場所に源義経を祭る白旗神社が建てられた。
この時点で、東山道相模路は既に鎌倉に直行せずに、江ノ島に向けて道が変えられていたと、私は考えています。
其の分岐点となるのが、疑惑のクランク道に有るのです。
江ノ島に向けて作られた道は緑のマークを付けた切通しで、白旗神社に向けて現在も存在しますが、、、一般人は入れない聖園女学院の通用口と成っています。
機会が有れば、、覗きたい! 他意はありません!
そのまま、遊行寺前を通り、地図の下の紫のマークの道を行くと、唐糸草子に書かれた砥上河原に出ます。(現在江の電石上駅の名前や、石上神社等が残っていますが、川は改修され、付近に川は有りません。)