鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

水道道路(明治の地図)その2

2006年09月14日 | 東山道~鎌倉
水道道路(明治の地図)その1の引地川を渡った処から重複してその続きです。
注目点は、赤丸で示したクランク状に道が曲がる道です。
赤マークの道を北から南へ(画面左より右へ)行くと、赤丸印の処がクランクに折れ曲がっています。
このクランク状態を無視して直進すると、そこには「緊急事態!」の道路遺構と道幅、坂の傾斜、等が似た谷に成ります。
違う処は、1200年の経過を感じる自然に埋もれた雰囲気の景観です。
更に下ると、、、そこは湧き水で谷がエグレタ状態!
自然の湧き水でそうなったのか?
ハタマタ鎌倉幕府が仕組んだモノか?
今と成っては検証の材料がありません。

問題は緑のマークで示した谷の脇の道です。
鎌倉街道の特徴を持つ、ヤゲン掘状で直線的な、馬一頭が駆け抜けるのに都合が良い道があり、更にその先には立派な切通しが待ち受ける。
さて、この切通しですが、、
立派な割りに「鎌倉街道?これは、東山道武蔵路では?」より道幅が狭い!
その様な訳で、東山道相模路とは異質なモノを感じるのです。
鎌倉時代と、奈良時代が交錯している場所と思っています。
その様な訳で疑惑のクランク道です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする