ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

ジャパン

2015-05-29 17:25:23 | 日記
「今、やきもの市がやっているから一緒に行かない?」と妹に誘われて「やきもの市」へ行ってきた。

全国各地から集まった焼き物が、手ごろな価格で売られていると新聞で紹介されていた。

会場は大きなテントが張り巡らされ、その中でたくさんの陶器や漆器などが売られていた。

それらを一つずつゆっくりと見て歩くのは、なかなか楽しかった。

ところで妹が「漆器のお椀がほしい」と言う。

ちょうど漆器のお椀を集めたコーナーがあったので、そこでいろいろと手にとって眺めていると「根来塗り」と書かれたお椀があった。

持つと手の中にちょうどいい塩梅に納まる。

こんな器に入れたら、さぞ料理も美味しそうに見えるだろう。

「これは何て読むのだろうね、コンライ塗り?それともネキ塗り?」
そう妹と話をしていると、お店の方がやって来て「それはねごろ塗りです」と教えてくれた。

このお店の方(以下、根来のおじさんと呼びます)が、まったく知識のない私たちに根来塗りについてレクチャーをしてくれた。

なんでも元々は鎌倉時代に紀州(今の和歌山県)根来寺の僧侶達によって作られた漆器で、下地に黒い漆を塗り、その上に重ねて朱漆を塗るのだそうだ。

それが使い込まれていくうちに、朱漆が剥げて下地の黒が現われてきて、だんだん味のある器になっていくという。

根来のおじさん曰く「漆器のことを外国ではジャパ~ンと言いますけど、ジャパ~ンと言われる漆器はこの根来塗りのことなんです!」

「へえ~そうなんですか。漆器といえば輪島塗だと思っていました」と言うと、おじさんは顔色を変えて「ちがう、ちがう!輪島塗じゃなくて根来塗りがジャパ~ンなの!こっちの方が古いんだから・・・
しかも輪島塗は手入れが大変だけど、根来塗りは日常でどんどん使える実用的な漆器なの。
洗剤とスポンジでゴシゴシ洗っても大丈夫だよ」

輪島塗に対抗意識を燃やしている?おじさんは、根来塗りの地元、和歌山の方だそうで、根来おじさんのお話はだんだん熱を帯びていき、根来塗りの話は戦国時代にまでさかのぼり、豊臣秀吉の紀州征伐の話しにまでなっていった。

歴史好きで、夫の実家がある大阪に行った時に、何回か和歌山にも行ったことがあるという妹は目を輝かせて、根来おじさんの話に耳を傾けていた。

それにしても、すごい・・・

なにがすごいって、歴史の教科書に載っている有名な人物が本当に存在した場所に、今も人が住んで生活しているってことがすごいと思う。

生まれも育ちも北海道だと、歴史の教科書に出てくるような古い建物などほとんど見ることはできない。

まして鎌倉時代なんて、どんな状態だったのか・・・たぶんどこもかしこも原始林だったのだろう。

和人が来る前までアイヌの方々が自然と共に住んでいたのはよく知っている。
(のちにアイヌの方々を差別して排除していったことを思うと心が苦しい)

さらに大昔、縄文人が住んでいたという縄文遺跡は見ることができるが、見ても地面にただ穴の跡があるだけなので「ここにはどんな小屋が建っていたのかな~」と想像を膨らませるしかない。

大阪から妹のお義母さんが遊びに来られた時に車で案内したら「ここは日本じゃないみたい。まるでヨーロッパのようやわ~」と感激してくれたが、逆に私は歴史のある古き日本を感じる場所へ行くとすごく感動する。

・・というわけで、おじさんから日本の歴史を聞いているうちに、だんだん根来塗りの器が欲しくなって4つほど買ってしまいました。



「使えば使うほどにツヤがでて良くなっていくよ!」

そのようにおじさんから教えてもらったとおり、毎日どんどん使おうと思っている。

根来おじさんの言う「ジャパ~ン」が、これからどんな風に変わっていくのか楽しみです・・・




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