夫がよく口にする言葉がある。
それは「幸せだなぁ〜」
昔「幸せだなぁ〜僕は君といる時が一番幸せなんだ」という言葉が入った歌が流行ったが、夫の場合は「幸せだなぁ」というだけで、そのあとの「僕は君と、、」という続きは無い。
今そんな事を言われたら、頭は大丈夫かと心配になるので、逆に無かったことにホッとしているが、それにしても以前は、そんな言葉は言ったことがなかったのに、どうしたのだろうと思う。
例えばどんな時に「幸せだなぁ」と言うのかというと、食事をしている時に「毎日ごはんが食べられて幸せだなぁ」と言い、窓からきれいな夕陽を見た時に「きれいな景色が見られて幸せだなぁ」と言う。
歯科検診に行って「きれいな歯です」と褒めたれた時に「歯が丈夫で幸せだなぁ」と言い、朝起きてきて「よく眠れた、幸せだなぁ」と言う。
更にトイレから出てきて「今日も気持ち良くうんちが出て幸せだなぁ」などと言う。
このように夫は、日々のささやかな出来事に幸せを感じているようだ。
毎日忙しく働いている時は、そのようなことを言うのは聞いたことがなかった。
どちらかと言うと何か考え込んでいて、声をかけにくい事がよくあったが、定年退職して三年が過ぎ、その様なことは無くなった。
毎日のんびりと暮らすうちに、何か心に変化があったのだろうか。
それにしても日常の細やかなことに幸せを感じることができて、それを口にできるなんて、ずいぶん変わったと思う。
ところで夫の友人たちはまだ働いている人が多く、忙しく飛びまわっていると聞いた。
すでに企業のトップの方の地位についている友人たちから、セレブ?な話を聞いても、夫はにこにこと笑っている。
友人たちが、どれほど苦労したのかわかっているから、友人の経済的な成功を喜んでも羨むことはない。
これは、私もよくわかる。
幸せとは何だろうと、10年以上前になるが、よく考えていたことがある。
実は十数年も前にブログを始めたのも、それが知りたかったということがあった。(ブログ記事を書くことは、自分の内面を探ることができると思う)
今はもうそのブログは消してしまったが、当時のブログタイトルには「幸せ」という言葉を入れた。
若い頃は裕福な暮らしをしているとか、子どもの出来がいいとか、そんなことが幸せの基準のように思っていたが、それらは全部、自分以外のことばかりだと気づいたのは、いつの頃だっただろう。
幸せとは自分の中にあること、自分がそれに気づくこと。
他人と同じように成る必要はなく、幸せは他人と比べることでもない。
自分が幸せだと想れば、それが幸せなのだ、と今は思う。
ところで夫からピアノを弾きたい、教えてほしいと頼まれた。
夫はまったくのピアノ初心者で、最初は片手で弾くのもたどたどしかったが、今は両手を使って、まだたどたどしくはあるものの、短い曲を弾けるようになった。
毎日、暇を見つけては、ピアノの練習をしていることに感心する。
「ピアノが弾けて幸せだなぁ」
いつか夫の口から、その言葉を聞くことができるかな?