「人は死なないんだね。いや正確に言えば魂は死ぬことなく、ずっと生き続けるんだね」と夫が言った。
突然なにを言い出すのかと思ったら、あーた、そんなマニアックなことを・・・驚いた。
夫と言えば、結婚してからわかったことは超現実主義者だったということで、夫曰く「非科学的なことは一切信じられない。えっ?幽霊はいるかって?自分が見たことがあれば信じもするが、見たことも無いのだから信じられない」と言っていた。
それが年を追うごとに変わっていき「幽霊?いるかもしれないし、いないのかもしれない。あの世?あるのかもしれないし、ないのかもしれない」というように意識に変化が表れ始め、ついに昨日は「魂は生き続けるんだね」の発言になった。
ここまでの道のりは長かった(涙)
なーんてね、別に私が夫を洗脳しようと思ったことはないのだけれど、夫自身が科学では証明できないことを目の当たりにしたり、自分の父親の死に直面したりして意識が変わって行ったのだろう。
と言う私も、若い頃から魂は生き続けると思っていたのかと言えばそうではない。
そのような世界は私にはわからないことだったし、だからと言って自分で調べるほどの興味もなく、また幼い頃に不思議なことを言うと親に叱られるので、そんなことを口に出すのは恥ずかしいことだという刷り込みがあった。
それが少し変わったのは、母が亡くなってからで、母恋しさから神経が研ぎ澄まされると、母がそばにいることを感じることができるようになった。
母を想い出す時、どこからもなく漂ってくるお線香の良い香り。あぁ今そばにいるなと思った。
本当に困った時、これは実家の家族のことに限られるのだが、母が夢を使ってメッセージをくれた。
すると不思議なことに、その後すぐに問題が解決していった。
またさらに不思議な事では、第三者にもはっきりとわかる形で写真に映ったことがあって、この時は「これ、お母さんも頑張ったんだろうなぁ」と、写真にまで出てきてもらったことが申し訳なく思った。
写真に出てきたのは、やはり家族を心配してのことで、母を失い私たち残された家族の悲しみが、あまりにも大き過ぎることを心配して、「身体は無くなっても、ここにいるよ」という事を伝えるために渾身の力で?写真に映ってくれたのだと思う。
そして、それがさらに変わって行ったのは、やはり先祖供養をするようになってからだと思う。
自分にしかわからない気づきがたくさんあった。
供養を続けるうちに夫が言った「人は死なない。魂はずっと生き続ける」ということが、徐々に揺るぎのない確信になっていった。
(ちなみに夫も、信じられないことに昨年秋から先祖供養と神祀りをするようになった)
そう確信することで何かが変わるの?と聞かれたら、見た目は何も変わらないと思う。
見た目は何も変わらないが、人間としての深みや優しさが出てくる。
これは自分自身のことではなく、夫をずっと見てきて感じることだ。(ノロケではなく)
人間としての深みがある人は男女ともに魅力がある。
実際に会わなくてもブログなどに書かれた文章を読むと「この人は魅力的な人だな」と思うことがよくある。
逆に有名人のことをボロクソに言い合って、自分のストレスを解消するようなサイトなどを覗くと、まるで地獄のような雰囲気を感じる。
人間的魅力は微塵もなく、感じるのは悪意のある薄笑いをした顔、顔、顔。
まるで地獄の底からの阿鼻叫喚を想像してしまう。
魂は死なずに生き続けるものだと仮定すると、この方々は死後も同じような地獄世界で罵詈雑言を言い合っているのだろうと思う。
その方々には、なにか満たされない想いがあるのかもしれない。
なにか辛いことを抱えているのかもしれない。
かと言って、それを他の人間がなんとかしてあげることはできない。
自分で気づいて一歩一歩進んでいくしかないのだろうと思う。
まさに今、私も夫も一歩ずつ亀の歩みよりも遅く、ゆっくりと歩いている最中だから。
本当は別の事を書くつもりでいたのに、今日はなぜか途中で別の方向に行ってしまったような気がする。
まあいいか・・・
突然なにを言い出すのかと思ったら、あーた、そんなマニアックなことを・・・驚いた。
夫と言えば、結婚してからわかったことは超現実主義者だったということで、夫曰く「非科学的なことは一切信じられない。えっ?幽霊はいるかって?自分が見たことがあれば信じもするが、見たことも無いのだから信じられない」と言っていた。
それが年を追うごとに変わっていき「幽霊?いるかもしれないし、いないのかもしれない。あの世?あるのかもしれないし、ないのかもしれない」というように意識に変化が表れ始め、ついに昨日は「魂は生き続けるんだね」の発言になった。
ここまでの道のりは長かった(涙)
なーんてね、別に私が夫を洗脳しようと思ったことはないのだけれど、夫自身が科学では証明できないことを目の当たりにしたり、自分の父親の死に直面したりして意識が変わって行ったのだろう。
と言う私も、若い頃から魂は生き続けると思っていたのかと言えばそうではない。
そのような世界は私にはわからないことだったし、だからと言って自分で調べるほどの興味もなく、また幼い頃に不思議なことを言うと親に叱られるので、そんなことを口に出すのは恥ずかしいことだという刷り込みがあった。
それが少し変わったのは、母が亡くなってからで、母恋しさから神経が研ぎ澄まされると、母がそばにいることを感じることができるようになった。
母を想い出す時、どこからもなく漂ってくるお線香の良い香り。あぁ今そばにいるなと思った。
本当に困った時、これは実家の家族のことに限られるのだが、母が夢を使ってメッセージをくれた。
すると不思議なことに、その後すぐに問題が解決していった。
またさらに不思議な事では、第三者にもはっきりとわかる形で写真に映ったことがあって、この時は「これ、お母さんも頑張ったんだろうなぁ」と、写真にまで出てきてもらったことが申し訳なく思った。
写真に出てきたのは、やはり家族を心配してのことで、母を失い私たち残された家族の悲しみが、あまりにも大き過ぎることを心配して、「身体は無くなっても、ここにいるよ」という事を伝えるために渾身の力で?写真に映ってくれたのだと思う。
そして、それがさらに変わって行ったのは、やはり先祖供養をするようになってからだと思う。
自分にしかわからない気づきがたくさんあった。
供養を続けるうちに夫が言った「人は死なない。魂はずっと生き続ける」ということが、徐々に揺るぎのない確信になっていった。
(ちなみに夫も、信じられないことに昨年秋から先祖供養と神祀りをするようになった)
そう確信することで何かが変わるの?と聞かれたら、見た目は何も変わらないと思う。
見た目は何も変わらないが、人間としての深みや優しさが出てくる。
これは自分自身のことではなく、夫をずっと見てきて感じることだ。(ノロケではなく)
人間としての深みがある人は男女ともに魅力がある。
実際に会わなくてもブログなどに書かれた文章を読むと「この人は魅力的な人だな」と思うことがよくある。
逆に有名人のことをボロクソに言い合って、自分のストレスを解消するようなサイトなどを覗くと、まるで地獄のような雰囲気を感じる。
人間的魅力は微塵もなく、感じるのは悪意のある薄笑いをした顔、顔、顔。
まるで地獄の底からの阿鼻叫喚を想像してしまう。
魂は死なずに生き続けるものだと仮定すると、この方々は死後も同じような地獄世界で罵詈雑言を言い合っているのだろうと思う。
その方々には、なにか満たされない想いがあるのかもしれない。
なにか辛いことを抱えているのかもしれない。
かと言って、それを他の人間がなんとかしてあげることはできない。
自分で気づいて一歩一歩進んでいくしかないのだろうと思う。
まさに今、私も夫も一歩ずつ亀の歩みよりも遅く、ゆっくりと歩いている最中だから。
本当は別の事を書くつもりでいたのに、今日はなぜか途中で別の方向に行ってしまったような気がする。
まあいいか・・・