ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

確信したこと

2025-01-27 21:54:35 | 日記

旅行に行っている時を除いて毎日行う先祖供養だが、多くのご先祖たちが、私たち子孫を守るように背後にいらっしゃること、そしてこちらから話しかけることは、しっかり届いていることをとても感じる。

たとえば亡くなって三十年以上が経った母。

今はもうあまり存在を感じなくなってしまったが、前は亡くなった母に弟や妹のことを相談すると、数日後に二人から「お母さんが夢に出てきた」と言われることが何度かあった。

夢の中で、まさしく私が母に相談していたことを母から言われたという。

弟と妹には、亡き母に相談していたことはもちろん言っていなくて、「ヘェ〜そうなんだ」と言いながら、初めて知ったように平静を装っていたが、内心では「ホントに伝わってる!」と驚いていた。

それは母だけではなくて父も、それから血のつながりはなくても供養をしているご縁のある方々も、夢や気配や額に映る映像などを使って、言いたかった事を伝えてきた。

だから人は亡くなっても身体が無いだけで、生きている時と同じように伝え合うことができるのだと思えるようになった。

でもご先祖様というのは、自分の知っている方ばかりではない。

むしろ知らない方のほうが、大半を占めている。

直接は知らなくても、昔その人がたしかに存在していたことを知っているなら、こちらから意識を向けるとちゃんとそれを受け取ってもらえることを感じる。

そして自分がまったく知らない大勢の方々にも、もちろん供養はしっかり届いている。

私は自分のことを祈ることは、ほとんど無いのだけど、いざという時には背後に大勢の方々が、勢揃いして下さることを感じる。

だから病気に苦しむ知人が、少しでも楽になるように祈る。

知人に縁がある方が、力になってくれるように。

もしかすると、その病気は自身が選んできたものなのかもしれないが、現実に苦しんでいるのを聞くのは辛い。

ところで数日前に知人の家族から「病状が少し回復して食事が摂れるようになった」と連絡をもらった。

そして転院して面会ができるようになったと聞いて病院に行ってきた。

回復したと言っても病気が治るわけではないので、まだとても苦しそうに息をしていたが、「少し太ったの」と言って細い腕を見せてくれた。

少しであっても良くなって本当によかった。

自分の祈りが通じたからとは思わないが、知人にご縁のある方々が、力を貸してくださったのではないだろうかと思う。

私たちが子どもや孫を心配するように、ご先祖たちも同じような気持ちで見ていらっしゃる。

最近それをますます確信している。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の少ない日に

2025-01-22 14:38:10 | 日記

最近よく話題にのぼる事と言えば、雪の少なさについて。

こんなに雪が少ない年は、初めてじゃないかというくらい積雪量が少ない。

例年の一月と言えば、道の両脇に1メートルを越える雪が積まれ、三車線の道路は、雪によって二車線になっているのが当たり前だったが、今は三車線のままでアスファルトの路面まで出ている。

気温も高く、一月とは思えないプラスの気温になる日もあって、まるで春のようだ。

人に会えば「雪が少なくてありがたいねぇ」と、挨拶代わりに何回言っただろう。

そして「でもいつも帳尻が合うんだよね。またきっと大雪が来るんじゃないかい」と、何度聞いただろう。

北海道に住んでいるから、雪が降るのは当たり前。

だからいつ大雪が来てもいいように、朝晩の体操に腕立て伏せも加えてみたりして、、、

でもやっぱり、雪が少ないのは楽だなぁと思う。

ところで用事があって朝に出かけたら、歩道を車椅子に乗っていく若い娘さんに会った。

例年なら雪があって、車椅子で外を歩くというのは無理だが、今年は雪が少ないので、車椅子でも大丈夫なのだろう。

車椅子を押しているのはヘルパーさん?やはり若い女性が、黙々と押していた。

そして車椅子に乗っている女性の顔、、、なんて嬉しそうな顔をしているのだろうと思った。

身体は硬直しているのか、手を動かすのも大変そうだったが、お顔は朝の日差しを浴びて、キラキラ輝いて見えたほど、喜びに溢れたいいお顔をされていた。

「もしかすると身体の不自由な人は、こうしてたまに外出できることが、ものすごく嬉しいのかもしれないな」と、私と同じように娘さんが嬉しそうだと感じた家族が言った。

を歩くなんていつも当たり前のようにしているし、プラス気温とは言え、真冬は寒いからできるだけ外は歩きたくない。

これで「つまらない毎日だ」なんて文句まで言っていたら、バチが当たるかもしれない。

いろいろなことはあるが、こうして平和な日本で暮らせることに感謝したいと、あらためて思った出来事だった。

そして最近よく感じていることは、日常生活の中には、お手本や学びがたくさんあるのだということ。

どこへ行かなくても学ぶことはたくさんあると思う。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈る

2025-01-18 17:35:25 | 日記

間質性肺炎を患っている知人が、入院したと連絡をもらった。

間質性肺炎と診断されてから、あっという間に酸素ボンベなしでは暮らせなくなってしまった。

酸素を吸いながら、なんとか簡単な料理を作っていると聞いていたが、それがついにできなくなり、そして寝たきりになってしまった。

とても我慢強くて、苦しくてもそれを周囲に言わない知人が「息が苦しい」と、近くに住む家族に連絡したと言うから、余程だったのではないかと思う。

病院は今も面会ができないため、家族から病状を伝え聞いているだけだが、あまり良くないようだ。

まだ六十代。まだまだ平均寿命には時間があるのに、なんの治療もなくて徐々に苦しさが増していくのを耐えるだけ、ただ死が訪れるのを待つしかないとは、なんて残酷な病気なのだろう。

そして、それを近くで見守るしかできない家族の辛さを思うと、気の毒で仕方がない。

前回体より心という記事を書いたが、こうして知人の病いを聞くと、なんとかして身体が楽になる方法は無いものだろうかと思う。

でも私にできることは祈ることしかない。

知人の苦しみが、少しでも癒されますようにと毎日祈る。

ところで昨年出版されたちょっと古い「暮らしの手帖」という雑誌を読んでいたら、とても心に響く文章が書かれていたので書き写しておこうと思う。

新雪を一歩一歩、踏みしめて歩くように、新しいこの一年を、この日々を、歩んでいこう。

いのちをいただいて、料理を拵え(こしらえ)、たべること。

暖かい寝床で、体を伸ばして眠ること。

大切なあの人と、おしゃべりをして笑い合うこと。

そんな何げない行為の一つひとつが、じつはとてもかけがえのないものだと、胸に落ちるようになった、いまだからこそ。

自分の手の中に「暮らし」を引き寄せて、何が大事で、何が不要か、見極めていこう。

他者の痛みを想像し、できることを考えよう。

この世界がどうあったら心地よいか、そのためには、いったい何を選んでいけばいいか。

考え続けることを、あきらめないでいこう。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「心」の態度

2025-01-13 20:59:04 | 日記

我が家では家族全員に一斉に同じ内容が送信される家族ラインと、個人同士で連絡を取り合うラインの二つを利用している。

ラインは情報が漏れるので、重要なことは書かない方がよいと聞いたが、家族ラインも個人ラインも、書く内容は、どこの店の何という料理が美味しかったとか、いつ帰るコールとか、わりとどうでもよい内容のため、あまり心配せずに使っている。

そんな家族ラインに長男からメッセージがきた。

それは本の紹介で「中村天風さんの本を読んだけれど良かったから、読んでみて」とのことで、特に私と夫に向けてのメッセージだったみたいだ。

長男からのラインには「運命を拓く」という本の中から抜粋した中村天風氏の言葉が書かれていた。

自然の摂理として、本来人間は一生自己向上し続ける生き物であり、齢は関係ない。その摂理に反するのであれば急速に老衰を早める。

先日長男と会った時に、私が英語に夢中になっていることと、夫が友だちと旅行に行く計画を立てているということを話したことから、この言葉を送ろうと思ったようだ。

メッセージの最後に「英語をやったり、旅行に行ったりするのはいいことだよ」と書かれていた。

夫の方はどうかはわからないが、私は英語を始めて約二ヶ月近く、毎日時間を見つけては、せっせと学習に励む日々を送っていて、英語学習が楽しくて仕方がない。

学生時代にこの情熱があったなら、今頃もうちょっと英語がマシになっていただろうとさえ思う。

本来、凝り性なのと語学の勉強が嫌いじゃなかったので、齢(よわい)63歳にして英語にハマってしまった。

「今はスマホがあれば、言葉がわからない外国人とも会話できる」と聞いた時には、「えーー!じゃあ外国語の勉強しなくてもいいじゃないの」とがっくりしたが、いやいや、スマホを持っていないサウナの中で話しかけられた時は、やっぱり英語が話せた方がいいと気を取り直した。

(果たしてサウナで外国人に会うかはわからないが)

本当は少し習ったことがある中国語もまた始めたいのだけれど、これ以上語学の学習に時間を取ることは難しい。

英語ひとつでも、つい夢中になって時間を忘れ、気がつけば食事の支度をする時間が過ぎていて大慌てなのに、中国語も始めたら完全にご飯が作れないことになると思う。

読みたい本もあるし、観たい動画もあるしで、今はいくら時間があっても足りないなんて感じる。

でも、このように感じることができることはとてもありがたいことと思う。

ところで中村天風さんの御本は、一時期ずいぶん読んでいて勉強になることが多かった。

今は長男が読んでいると聞いて感慨深い。

感銘を受けた中村天風さんの言葉をもうひとつ。

生命の生存を確保する生き方は、第一に『心』の態度を終始一貫、いかなる場合があろうとも積極的であらしめることです。

およそこのことぐらい人生および生命に対して大事なことはないのであります。

人間が生きるということは、生命の存続を維持することだが、生命の存続というと、たいていの人は肉体が健康で生きられることを考えてしまう。

どんな食事がいいとか、どんな薬がいいとか、肉体本位にばかり考えて、それが健康になる唯一の手段だと思っている(健康オタクとして深く反省、、、)

しかし「それよりも大事なことは心だよ」と中村天風さんはおっしゃっる。

たとえ身体に病があろうと、心が満たされていれば幸せな人生が送れるということだろう。

歳を重ねるに従って、新しいことを始めるのが、どんどん億劫になってきたのだが、中村天風さんが言われるように積極的に何かをやってみることは、心の健康に大切なことであったと、今とても実感している。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年、最初に買ったもの

2025-01-08 15:56:54 | 日記

年末に冷蔵庫が壊れてしまった。

ドアについているネジが取れてしまい、ドアがスムーズに閉まらない。

自然に閉じるはずのドアの部品が開いたままで、それがぶつかってドアが閉じないのだが、手動で閉めるとなんとか閉まる。

「次に調子が悪くなった時には寿命ですね」と、一昨年みてもらった修理の人に言われていたので、この冷蔵庫はあきらめて年が明けたらゆっくり新しい冷蔵庫を探そうと思っていた。

ところが、、、

毎日使うものなので、いろいろな冷蔵庫を見比べてからと思っていたのに、なんと15分で最初にみた冷蔵庫に決めてしまった。

見比べるも何も見たのはそれだけで、、、

2025年の元日は、長男一家とイオンで待ち合わせをしていた。

一緒に食事をすることになっていて、待ち合わせ時間は午前11時半だったが、早めにイオンに着いたので、売り場をぶらぶらして時間を潰し、時計を見たら午前11時10分になっていた。

「じゃあ、そろそろ待ち合わせた店に向かおう」と歩いていたら、ちょうど家電売り場があった。

「せっかくだからちょっと寄ってみよう」と夫が言うので、「ここで冷蔵庫を買うことはないだろうけれど、参考のために」くらいの気持ちで寄ってみたところ、なんと、ほぼ希望通りの冷蔵庫が売られていた。

しかも初売り価格で安い。限定二十台限り。

メーカーは第一候補だった日立で(夫が日立好きなため、うちの家電はほとんどが日立製)、500リットル以上の大きさも希望通り、しかも前の冷蔵庫も当然ながら日立だったため、形が同じで違和感なし。

そして、それより何より売られていた価格の安さに驚いた。

ちなみにイオンに行く前に、大型家電販売店の初売りのチラシを見ていたのだが、そちらは全然値段が高かった。

とはいえ同じ商品ではなくて、家電販売店は2024年製、イオンのものは2023年製なので安くしていたのだろう。

でも2023年製でも全然問題はない。

ただ見てから10分足らずのうちに、即決することはためらわれた。

「いいと思うけど、今は時間がないし、他も見たいから明日にしようよ」

そう夫に言っていたら、横にいたイオンの人が「こちらは限定二十台となっておりますので、明日はもう無いのではないかと思われます」とおっしゃる。

一応、11時過ぎ現在で二十台のうち何台が残っているのか調べてもらったら、調べてくれたイオンの人が「あと七台でございます」と教えてくれた。

「残り七台ですので、おそらく明日には無いかと、、、」

「買います」

夫と声を揃えて言ったのは、言うまでもない。

その時点で時計は11時25分を過ぎており、購入手続きのために、あと20分はかかると言うので、夫を残して私だけが待ち合わせ場所に向かった。

数分遅れで待ち合わせの店に着くと、ちょうど長男一家も到着したところだった。

「お父さんは?」と聞かれたので、「うん、冷蔵庫買ってる」と答えたら驚いていた。

驚くのも無理はない。

私だって驚いた。

大型家電って割と時間をかけて選ぶものかと思っていたら、大根を買うように簡単に買ってしまった。

と言うわけで、ついに新しい冷蔵庫が届いた。

前の冷蔵庫とドアの位置は変わっていないものの、全体的にスリムになって背が高くなった。

しかもシルバーの色合いが、まるで業務用のようでとってもCOOL(←すみません、勉強中の英語で出てきたので使ってみたかった)

ということで、今年最初に買ったものでした。

余談ですが、、、

古い冷蔵庫から食品を出す時、そして運び出されてトラックに乗せられる時、最近どうも歳のせいか、家電であってもさびしさや悲しさを感じる。

今までありがとう、ありがとうと心の中で声をかけながら古い冷蔵庫を見送った。

追記

購入した冷蔵庫が2023年製だと思っていたが、それは展示品で家に届いた冷蔵庫は2024年製だった。

イオン太っ腹です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あけましておめでとうございます

2025-01-04 21:01:49 | 日記

お正月も四日となり、今日はやっとのんびりしている。

暮れから昨日までは、なんだかんだと忙しかった。

料理を作ったり、帰ってきた長男一家や次女のおもてなしをしたり、懐かしい友人たちから届いた新年の挨拶のメールに返信したりと、忙しくも嬉しいお正月を過ごしていた。

でも一番嬉しかったのが、高校時代の友だちからもらった電話で、一年近く話していなかったので、気づいたらなんと二時間半もおしゃべりしてしまった。

この友だちとは興味のあることが似ているため、話していてとても楽しい。

前にこの友だちと話した時は、私の方から電話をかけた。

その時は、どうしようもない孤独感から「わかってくれる人と話したい」気持ちが募り、真っ先に思い浮かんだのが彼女だった。

都合の良い日にちを聞いて電話をかけて、いつものように共通の話題で盛り上がって、スッキリした気持ちになって電話を切った。

自分の抱えていたネガティブなことは、結局ほとんど話さずだったが、それでよかったと思う。

仲の良い友だちだからこそ、愚痴や不満話はせずに、なるべく楽しい話をしたい。

そうしようと決めたのは、若い頃に失敗した苦い思い出があるからで、昔、別の仲のよかった友だちに、会えば愚痴ばかり話していたことがあった。

その友だちも最初は「うんうん」と、親身になって話しを聞いてくれたが、そのうちふと嫌な顔をしていることに気がついた。

それを見た時に、自分はなんてことをしていたのかとすごく反省した。

友だちに甘えて、ゴミ箱にゴミを投げ入れるかのように愚痴ばかり言ってしまったことが恥ずかしくて、友だちに申し訳なくて、もう二度と言わないでおこうと決めたのが、今から四十年近く前のこと。

その後もその友だちは普通につきあってくれたが、私の方が良心の呵責に耐えられず、数年後に「あの時はごめんなさい」と謝ったことがあった。

「そんなこと忘れてた」と笑ってくれたのがとてもありがたくて、私の心の中にずっとあった重石が、やっと降りた瞬間だった。

あれは長い一生の中で、とてもよい勉強になった出来事だったと思う。(その友だちとは、今でも続いている、、)

悩んだ時や落ち込んだ時、友だちに話を聞いてもらいたいと思うのは自然なことで、聞いてもらっただけで気が楽になる。

でもできれば愚痴を聞いてもらうのは一回限りにして、最後は楽しい話をして終わりにしたい。

友だちをゴミ箱代わりにしてはいけないと、心から思った若き日の思い出。

というわけで、年の初めから友だちと長電話をしてしまったが、今回もお互いに興味がある共通の話題で盛り上がり「また電話で話そうね」と約束して電話を切った。

友だちは関東に住んでいるので、なかなか会えないのがさびしいが、唯一マニアックな話で盛り上がれる友人がいることは、とても幸せだと思う。

ところで心配なこともあり、メールをくれた同世代の人たちの中で、身体の具合が悪いという方がずいぶん多かった。

昨年のお正月では、そのようなことはなかったが、今年はとても多い。

なかにはigg4関連疾患と呼ばれる難病に罹ってしまった人もいて、心配している。

なんとか元気になって、みんなで生き残ろうと話しあった2025年の初春。

穏やかな年でありますように。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする