お正月も四日となり、今日はやっとのんびりしている。
暮れから昨日までは、なんだかんだと忙しかった。
料理を作ったり、帰ってきた長男一家や次女のおもてなしをしたり、懐かしい友人たちから届いた新年の挨拶のメールに返信したりと、忙しくも嬉しいお正月を過ごしていた。
でも一番嬉しかったのが、高校時代の友だちからもらった電話で、一年近く話していなかったので、気づいたらなんと二時間半もおしゃべりしてしまった。
この友だちとは興味のあることが似ているため、話していてとても楽しい。
前にこの友だちと話した時は、私の方から電話をかけた。
その時は、どうしようもない孤独感から「わかってくれる人と話したい」気持ちが募り、真っ先に思い浮かんだのが彼女だった。
都合の良い日にちを聞いて電話をかけて、いつものように共通の話題で盛り上がって、スッキリした気持ちになって電話を切った。
自分の抱えていたネガティブなことは、結局ほとんど話さずだったが、それでよかったと思う。
仲の良い友だちだからこそ、愚痴や不満話はせずに、なるべく楽しい話をしたい。
そうしようと決めたのは、若い頃に失敗した苦い思い出があるからで、昔、別の仲のよかった友だちに、会えば愚痴ばかり話していたことがあった。
その友だちも最初は「うんうん」と、親身になって話しを聞いてくれたが、そのうちふと嫌な顔をしていることに気がついた。
それを見た時に、自分はなんてことをしていたのかとすごく反省した。
友だちに甘えて、ゴミ箱にゴミを投げ入れるかのように愚痴ばかり言ってしまったことが恥ずかしくて、友だちに申し訳なくて、もう二度と言わないでおこうと決めたのが、今から四十年近く前のこと。
その後もその友だちは普通につきあってくれたが、私の方が良心の呵責に耐えられず、数年後に「あの時はごめんなさい」と謝ったことがあった。
「そんなこと忘れてた」と笑ってくれたのがとてもありがたくて、私の心の中にずっとあった重石が、やっと降りた瞬間だった。
あれは長い一生の中で、とてもよい勉強になった出来事だったと思う。(その友だちとは、今でも続いている、、)
悩んだ時や落ち込んだ時、友だちに話を聞いてもらいたいと思うのは自然なことで、聞いてもらっただけで気が楽になる。
でもできれば愚痴を聞いてもらうのは一回限りにして、最後は楽しい話をして終わりにしたい。
友だちをゴミ箱代わりにしてはいけないと、心から思った若き日の思い出。
というわけで、年の初めから友だちと長電話をしてしまったが、今回もお互いに興味がある共通の話題で盛り上がり「また電話で話そうね」と約束して電話を切った。
友だちは関東に住んでいるので、なかなか会えないのがさびしいが、唯一マニアックな話で盛り上がれる友人がいることは、とても幸せだと思う。
ところで心配なこともあり、メールをくれた同世代の人たちの中で、身体の具合が悪いという方がずいぶん多かった。
昨年のお正月では、そのようなことはなかったが、今年はとても多い。
なかにはigg4関連疾患と呼ばれる難病に罹ってしまった人もいて、心配している。
なんとか元気になって、みんなで生き残ろうと話しあった2025年の初春。
穏やかな年でありますように。