昨日のブログでは、私は自分の中学時代途中から、「がんばってしかたない」と思うようになったと、紹介しました。
また、中学の部活ではレギュラーになれず、ずっと補欠でした。
1,2年生のころ厳しい練習にも耐え、一生懸命頑張りましたが、顧問の先生はそれを認めてくれない。
3年生の夏休みの練習のあるとき、「練習したって、どうせ試合は出られないし」と思うと、もう練習をする意味が、私にはわからなくなりました。
練習を一人抜け出し、体育館の舞台袖で大の字になって寝転んで練習をさぼっていました。
すると、顧問ではない別の女性の先生が、わたしに近づいてきて、「がんばらなあかんやん」と言いに来ました。
わたしは、「なぜ顧問の先生が直接来ないで、別の先生を来させたんや」と思い、「がんばって何になるんや?」と言い返しました。
不承不承、練習に戻りました。
思えば、私にとっての中学生の時期は、悩みの連続でした。
レギュラーになり活躍した友だちは、まわりから認められ、自分の居場所をもち、堂々としていました。
でも、レギュラーになれない子には、「これが自分だ」と思える場所が必要でした。
毎日を意欲的に過ごし、自信をもてるものが必要でした。
当時の中学校には、わたしが直面していた課題や心の闇を理解して、認めてくれる先生は一人としていませんでした。
だからこそ、教師になった私は周囲から見れば「何を考えているのかわからない」と思われる中学生と接するとき、その子の内面を理解したいと思ったのだと、いま考えています。
生徒がいままで頑張ってきたことを教師が聴き、それを認め、言葉にして伝えることを大事にしたいと思ったのです。
いまふりかえれば、私は中学時代に、まわりの大人から独立したいと願ったのだと思います。
大人から独り立ちするためには、おとなの言いなりになることできなくなったのです。
当時のわたしの行いが正しいとか正しくないというよりも、とにかく私は大人や先生の言うことを否定したり、違うことをしようとしたのでした。
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時代は変わっても、今の中学生もこのような気持ちになることがあるのだと思います。
おとなから、なんでもやることをきめられる、制限を加えられることがイヤになる。
ところが、中学生は不安定ではありますが、同時に強大なエネルギーをもっています。
それは、クラスでの学校生活や学校行事等のときに見せる生徒たちの様子からもわかります。
大きな発熱を生み出す化学物質は不安定ですが、「取り扱い」に注意を払い、その存在に敬意を払うと、強大なエネルギーを発します。
中学生は、おとなが想像のつかないような仲間と繋がりを生み、化学反応を起こす可能性も持っています。
中学生は力強く、頼もしく思えることも多くあります。
予想しなかった変化や成長を見せることもあります。
これが、中学生とかかわる最大の魅力であると思っています。