私は駆けだしの教員だった頃、先輩教員の授業や学級づくりから学びました。
学ぶというか、真似ていたと言ったほうが正確でしょう。
真似ることは、よくない響きをもつ言葉のように、一見思えます。
しかし、ものごとはまったくゼロから作るのではないのです。
そもそも、「真似ぶ」という言葉から「学ぶ」という言葉が生まれたのです。
したがって、真似ることは学ぶことにつながります。
たとえば、体育の授業で走幅跳をするとき、学生やプロの選手が走幅跳をしているービデオをみます。
「そうか助走の約半分を過ぎたら、上体を起こしてまっすぐ前を見るのか。よし、そのようにして自分も跳んでみよう。」
こうやって、他者を真似て自分のフォームを作っていくのです。
だから、真似ることは、なにもいけないことではないのです。
みんな、最初は真似ることから始めたのです。
ただし、ただ真似るだけでなく、自分にあうようにアレンジしていくことが大切です。
自分にあうようにアレンジしたとき、その人だけのオリジナルができるのです。