医師の治療方針と患者さんの願いが、必ずしも一致するとは限りません。
例をあげれば、ある糖尿病患者にとって、医師がすすめる治療は食事制限を中心にしながら適度な運動により、治療をしていくのが医師の治療方針です。
これは、科学的な根拠に基づく、医師が考える最良の方針です。
しかし、その患者さんにとっては、食事制限がいちばん大きい苦痛だったとき、実現できない治療になります。
つまり、その患者さんにとっては最良の治療ではなくなります。
そんなときには、食事制限はある程度にして、運動の実行を治療のメインにもってくるという方針が選ばれることもあります。
ここで大切なのは、医師は専門家として科学を根拠にした治療を最良としてすすめるのですが、患者さんはそれが科学的に最良の治療だと理解したうえで、医師に自分の願いと思いを伝えることです。
そして、治療方針の決定が医学的・科学的にはベストではないかもしれませんが、患者さんにとってはベストになる場合もあるのだと思います。
つまり、医学的に正しいことを言えるのは医師です。しかし、自分にとって望ましいことを考えることができるのは、患者さん自身であるのです。
このことは教育にあてはめることができます。
教師が教育のプロだとするとき、子どもの課題について、科学的根拠や教職経験から、指導や支援の最良の提案をします。
しかし、その課題を解決するための指導・支援の方針がその子や保護者の家庭にとっては実現できないことなら、たとえ学校にとってはベストであったとしても、子どもの家庭にとってはベストであるとは限らない場合があるでしょう。
たとえば、中学生がどうしても受験したい私立高校があります。
それは、学校の見立てでは、その子の学力ではたいへん厳しく別の私学を考えるように提案します。
その提案は、学校の進路指導の資料と過去の合否データから、最良の方針です。
しかし、子どもにとってはその高校しか私学受験が考
えられないなら、別の私学を受験するのは、その子にとってはベストな進路選択ではないのです。
結果として、不合格になっても、希望の私学が受験できたことで、次の公立高校をどこにするかを、本人が納得して考えることができるかもしれないのです。
これは進路指導の例ですが、他の教育課題についても同様です。
教育的に正しいことを言えるのは教師です。しかし、自分にとって望ましいことを考えることができるのは、生徒自身であるのです。