箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

部活 土日両方活動する場合

2018年04月15日 16時34分57秒 | 教育・子育てあれこれ



本日、箕面市ブラスバンドフェスティバルが、グリーンホールで開かれました。

中学校では、今回より彩都の丘学園があらたに参入しました。昨年度、彩都の丘学園も吹奏楽部が新設されました。

三中の発表は、一番で「明日はどこから」と「エレジー」の2曲でした。


最後には、出演団体全員で、「フェスタル・マーチ」と「Believe」を合同演奏しました。



さて、4月より箕面市では、「部活動休養日」(土曜日が日曜日のどちらか1日を休み)を実施しています。

今日のように日曜日に大会があると、土曜日も練習します。

かつ、来週日曜日には、地域の子どもふれあいカーニバルでの演奏があるため、土曜日も練習します。

この場合、翌週の平日に1日の休み、翌々週の平日に1日の休み、第3週の土日の両方を休みにします。

運動部の場合も同様(公式試合のための活動)です。

部員たちの健康維持、健康増進のために設けられた「部活動休養日」の制度です。

保護者の方もご理解いただきますよう、お願いします。

余裕をもって

2018年04月14日 11時38分22秒 | 教育・子育てあれこれ


私は、役割上、学校から出す文書やプリントを前もって読み、決裁をします。

そこで、感じることがあります。それは・・・

4月になり、勢いよく学級通信を出す担任がいます。

しかし、途中で息切れして出せなくなる場合があります。

それなら、最初から出さない方がましだと、私は思い、教職員に言います。

学校通信は、ゆったりとした心境で、慌て過ぎず出すものです。


車をとどめて

そぞろに愛す 楓林の暮れ (杜牧)



馬車に乗って移動中に、紅葉がきれいな林にさしかかりました。

せっかくだから車を止めて、この美しい風景を楽しもう。


慌てて落ち着きをなくすと、焦りが生まれます。

焦りはよけいな失敗をまねきやすくなります。

ゆとりを持って、ゆっくりいくほうが豊かな人生を味わえるかもしれません。

忙しい現代人が、つい忘れがちになることです。

また、急ぎすぎると、無理がうまれ、やる気が持続しないものです。

燃立つで勢いこむと、火はすぐに燃え尽きます。

絶えず湧き出る泉のように、水量は少なくとも、絶えることなく、余裕をもち、絶やさず継続することが肝要と、私は考えます。



春はわが家にきていた

2018年04月13日 16時17分01秒 | 教育・子育てあれこれ





今年はもう早春という時期は過ぎましたが、ある人が早春の季節に、春の訪れを感じることができる風物を探して散歩にでかねました。

その人は、中国の詩人・載益(たいえき)でした。

彼は一日中森を歩き回りましたが、春の訪れを感じるものはどこにも見つかりませんでした、

疲れきって家にかえると、庭の梅の木に花が咲いていました。

それを見て、「春はわが家にやってきていたのか」と気づきました。

そのとき、詠んだ詩が、

「春枝頭(しとう)に在って すでに十分」
です。

幸せをもとめ、あちらこちらをさまよい、歩いたが、どこにも見つからなかった。ところが、家に帰って初めて気がついた。私はすでに十分、幸せに暮らしていたのだ。

人間って、十分幸せなのに、「まだ幸せが足りない」という欲に振り回されて、探しまわります、

自分がいま、どれほど幸せかということに気づくべきだという戒めです。



生徒は、この絵のような春を感じています。

右下には花が咲き誇る春、左上には花が散り、若葉が出てきているという、春の移り変わりを表しています。







さて、今日は午後から参観授業、その後、学級懇談会でした。

今日の参観授業は、学級担任の授業が基本でした。

PTAの委員になってくださる保護者の方には、1年間お世話になります。

どうぞよろしくお願いします。


どの部活にしょうか?

2018年04月12日 16時38分01秒 | 教育・子育てあれこれ



昨日から、教科授業、給食、清掃が始まっています。

通常の学校生活がスタートしました。

学級役員・係ぎめ、健康診断、写真撮影、学級目標ぎめ、自己紹介などの学活が続いていました。

笑顔で写真に写り、進んで委員や係になり、生徒たちはおおむね楽しく生徒たちは過ごしています。

でも、慣れない人間関係に緊張して、気を遣っている生徒もいます。

こういう場合は、かえって早く授業が始まった方が、生徒たちは心理面で落ち着きます。








本日は、5限まで授業で、その後、部活動紹介を1年生を対象に、14:40から行いました。

多くの1年生が、部活動を楽しみにしています。

すべてのクラブが、先輩による実技を交えた活動のデモンストレーションをしました。

部員が少ないクラブは、1年生の「獲得」に向け、とくに力が入ります。

1年生は、興味深く説明を聞いたり、実技を見入っていました。

あす13日から19日までが、仮入部期間になります。

この期間に、自分でよく確かめて、3年間続けるクラブを選んでほしいと思います。


薫風を味わう

2018年04月11日 08時59分50秒 | 教育・子育てあれこれ





いい気候の季節になりました。

昨日、2・3年生は、クラスの集合写真を撮影しました。

三中の職員玄関前でも、そよ風が気持ちよく頬を打ちます。

薫風心地よい頃です。

これが秋になってからそよ風を受けるのとは少し異なるかもしれません。

おそらく、春風の心地よさは、冬の厳しかった寒風のあとだから余計に思うのかもしれません。

ところで、多くの人が、苦しく辛い思いをしたくはありません。

でも、一生が楽しく面白いことばかりで、苦しく辛いことがまったくないならば、薫風をありがたいとは思わないでしょう。

楽しいこと、面白いことばかりを追求するのではなく、ときには苦しみや悲しみも経験するほうが、楽しい面白いことがありがたく思えるのでしょう。

学校生活は楽しいことばかりではありません。

現実を見つめ、地に足ををつけ、着実に歩んでいく中学生でいてほしいと願います。

恩を忘れず

2018年04月10日 11時18分36秒 | 教育・子育てあれこれ



今日は離任式でした。

昨年度、三中に勤務していた教職員が、この度13名異動となり、今日の離任式には、9名が出席して
まず、朝に三中教職員にあいさつ。

その後、体育館の離任式では、全校生徒に、お別れのあいさつをしました。

私からは、冒頭に、以前プログでも紹介した言葉を全校生徒に伝えました。

与えて恩を願わず、受けて恩を忘れず」(大隈重信)

教師は教育することが仕事だから、生徒に「こんなにしてやったのに」なんて見返りを願ってはいけません。

でも、生徒のみなさんは教育してもらい、お世話になったという、受けた恩を忘れてはいけないよ。

三中では、受けた恩を忘れないことを大切にします。


このような、メッセージを込めて生徒に話しました。

この話を生徒たちはじっと素直に聴いてくれます。

なかには、うなずきながら聴いてくれる子もいて、三中の子がまた好きになりました。


その後、それぞれの教職員が、お別れのあいさつをして、三中生に期待することなどを話しました。

9名の教職員のあいさつに、全校生徒は顔をあげ、聴いてくれます。

この態度で、教職員はどれだけ勇気づけられ、元気づけられることか。




最後には、生徒からの花束贈呈をしました。

大原櫻子の「ひらり」をBGMに、体育館のセンターの部分を開け、全校生徒で花道をつくり、涙する生徒がいるなか、離任の教職員を送り出しました。

三中を去る教職員のみなさん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。



そのあと、引き続き、生徒会本部の引き継ぎ式、生徒会による1年生と2・3年生の対面式を行いました。

1年生の代表生徒が、「よろしくお願いします」とあいさつをしました。

これで、三中生は一つになりました。



そのあとは、午前中、1年生は個人写真を撮影したり、3年生は身体測定をしたりしました。

47期生を迎えて

2018年04月09日 13時30分26秒 | 教育・子育てあれこれ




今日で、校長ブログが1095日目となりました。

ブログ開設から丸3年が過ぎた本日、2018年4月9日、箕面三中第46回入学式を挙行しました。

新入生は4クラス160名が入学しました。


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第46回 入学式 校長式辞

新入生のみなさん、入学おめでとうございます。

みなさんは箕面三中の第47期生として、本日の入学式を迎えました。

三中の教職員・在校生がみなさんの入学を楽しみに待っていました。

3年間をかけ、毎日の授業で学びを深め、クラスでは友達関係を強くして、豊かな人間関係を広げていきましょう。

保護者の皆様、まずもって私からお伝えしたいことは、お子さまを今日まで育て上げてこられたご苦労に対して、最大の敬意とねぎらいの気持ちを伝えたいということです。

いまの時代、子育ては容易なことではありません。お子さまを12歳まで育てることは、楽しみや喜びのある反面、悩まれ、ご苦労されたこともあったことでしょう。

12年間たいへんだったことでしょう。だからこそ、ご入学ほんとうにおめでとうございます。今日から3年間、第三中学校の教職員一同、全力を挙げてお子さまの成長を支えていきます。

ご来賓のみなさまには、本日お忙しい中、たくさんの方々にご臨席いただきました。

まことにありがとうございます。心よりお礼申しあげます。今後とも、本校生徒のために温かいお力添えをお願い致します。

さて、新入生のみなさん、今日入学式を迎えたこの日に、私はまいなさんに、一つ、お話をプレゼントします。

これは、鹿児島県のある小学校での実話です。小学校5年生のあるクラスにはドッジボールが二個ありました。子どもたちは休み時間にいつもそのボールで遊んでいました。

休み時間の終了のチャイムが鳴ると、子どもたちは一斉に教室に戻ります。その時、ボールはどうなったと思いますか。

「誰かがもってきてくれるだろう」と、みんなが友だちに頼りました。そして、ボールは片づけられずにグランドに転がって、ほったらかしになっていることがよくありました。

そこで、担任の先生は、学級会でこの問題をとりあげました。議題は「どうしたらボールをちゃんと片づけられるようになるか」でした。

いろいろな意見が出ましたが、最後には「グランドに持ち出した人が持ちかえる」というルールが決まりました。さらに、「それに違反したら罰を設けよう」ということになりました。

しかし、守られたのは最初だけでした。いつのまにか、ボールは、またほったらかしになってしまいました。

そこで、もう一度、学級会がもたれました。クラスにいた双子の一人が突然、「ボールに名前をつけたらいいと思います」と言いました。クラスのみんなは、「はあ? 何言ってんの」という感じでした。

でも、そのとき、双子のもう一人の子が大きな声で「賛成!」といって拍手しました。そうすると、まわりの子もつられてみんな拍手しました。それで、なんとなく名前をつけることになってしまいました。

担任の先生は何も言わず、じっと子どもたちの様子を見ていました。そして、一つのボールには「ピョン太」、もう一つのボールには「ピョン子」という名前がマジックで書かれました。

そのあと、二つのボールはどうなったと思いますか。

休み時間が終わると、誰かがボールを必ず持ち帰るようになったのです。それだけではありません。ボールが汚れていると、誰かが拭いてきれいにするようになりました。

そのうえ、ボールに、「ねえ、ピョン太」「あのね、ピョン子」と話しかける子も現れたのでした。さらに、誰かがボールを入れる袋まで、家でつくって持ってきました。

名前をもらったボールは、もうすっかりクラスの一員となっていました。
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みなさんは、なぜ、このクラスの子がボールを大切にするようになったのだと思いますか。

ポイントは名前だと思います。

私は次のように考えます。モノに名前をつけると、モノがモノでなくなるのです。つまり、モノに名前をつけると命が吹き込まれるのです。だから、名前をつけることを「命名」というのです。

そうだとするならば、みなさんは自分自身のことを考えてみてください。

みなさん一人ひとりにも名前がついています。これはお家の人がつけてくれた場合が多いでしょう。

こんな大人になってほしいという願いを込めて、みなさんは命を吹き込まれ、今まで12年間、生きてきたのです。みなさん一人ひとりがモノではなく、今を生きる大切な「人」なのです。

だから、みなさん、自分というかけがえのない存在を、どうか大切にしてください。

自分を大切にする人は、友だちや周りの人を大切にできると、私は信じています。

入学おめでとう。

そして、どうかクラスや学年の仲間も、人として大切にする三中生になってください。

3年間の中学校生活が、豊かに、実りあるものになるよう、みなさんの成長を心から祈っています。

以上をもちまして、第46回入学式の式辞とさせていただきます。

平成30年(2018年)4月9日
箕面市立第三中学校 校長 主原 照昌

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その後、2・3年生はクラス発表でした。

そして、体育館で始業式。久しぶりに3学年が揃いました。

新転任の教職員を紹介したあと、私の講話しました。

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1学期始業式講話
「自分の可能性を広げよ」

 みなさん、入学・進級おめでとうございます。今年度の箕面三中は45期生から47期生が、ともにこの校舎でいっしょの生活を送ることになります。

さて、校長4年目となり、私もけっこう歳を重ねてきました。歳をとることは、老人の老と書いて「老いる」ともいいます。なんとなく、マイナスに考えがちです。

しかし、「歳を重ねる」という表現がありますように、歳を取ることは引き算ではなく、足し算です。いろいろな経験をプラスさせていくのです。
でも、歳を重ねるうちに失うものが、一つだけあります。何だと思いますか。


それは、可能性というものです。大人になるにつれてあきらめなければならない夢や、これから新しいことにチャレンジしようと思っても、目の前に壁にぶち当たり、あきらめなければならないことがあります。

しかし、みなさんはそうではありません。みなさんはいろいろな可能性を秘めています。「秘めている」ということは、親や先生も、みなさん自身も、自分の可能性を知らないのです。

では、どうしたら、自分の中に隠れている可能性を引き出し、磨き上げることができるのでしょうか。それは、いま、社会の中で自分の可能性を引き出して、チャレンジして輝いている人から学ぶことができます。 

女子プロゴルフのツアートーナメントにはいつも約100 人の選手が出場するそうです。もちろん、優勝できるのは1人だけです。

つまり、優勝できる確率は1 % です。そんな中、あるプロゴルファーがこんな話をしていました。

「プロのスポーツ選手って、確率が1 % もあれば、『できる』と思うんです。可能性がゼロでない限り、挑戦するのです。」と。

「好きなこと」が成功につながるのは、「やってみたい」という強い思いです。大人は言います。「そんなことをして、失敗したらどうする
の?」。

みなさんが本当にやりたいのなら、たとえ可能性が1%しかなくてもやったらいいのです。それを挑戦、チャレンジといいます。

そして失敗しましょう。たくさん悔し涙を流しましょう。失敗してもいいのです。うまくいったら、大きくガッツポーズをして、「ありがとう」と言いましょう。もし、うまくいかなかったら、小さくガッツポーズをして「これでいいのだ」と言いましょう。

そこから、あなたの可能性の芽が出てきます。どうか、みなさん、自分の可能性を広げる1年にしてください。

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若い教員を応援したい

2018年04月08日 10時14分48秒 | 教育・子育てあれこれ




明日は、47期生を迎え入れる入学式です。

年度替りにあたり、三中で今回、結構多くの教職員の人事異動がありました。

人事異動については、あす始業式で生徒に伝えるとともに、学校だよりで保護者のみなさんにもお知らせします。

さて、今回の異動で、若い教職員も転入してきます。

初任者の教員と長年教職についている教員とでは、経験や知識に歴然とした差はあるものです。

でも、若いからという理由だけで、ベテラン教員がタカをくくっていると、相手をするのは中学生です。

若い教員の方がいいクラスをつくる、生徒を引きつける授業に長けているということが起こります。

若い教員は、さまざまななことを吸収して、学ぶことで、メキメキと成長を遂げていくことがあります。

ICTやタブレットを柔軟に扱います。

二者択一で学年のことを議論をしていると、「こんなやり方はどうですか」とすき間の考えを提案したりすることがあります。

私も含め、自分の年齢の方が上だからといって、若い教員を対等な関係で見ないのではなく、若手の成長を助けながら、若い世代ならではの考え方や発想に触れ、自分も成長していく。

三中にも、困難に直面しても、ポジィティブに向き合い、深刻に陥らず、真剣に取り組んでいる教員がいます。

その人から相談を受けると、私は何とか力になりたいと思い、こうしたらと提案しています。

ときとして、ものごとに真っ直ぐに向き合おうとしている態度に感心することがあります。

若い教員たちとは、お互いに学びあう関係を築きたいものです。


ただ一生懸命に咲く

2018年04月07日 12時41分21秒 | 教育・子育てあれこれ


SMAPの「世界に一つだけの花」の歌詞には、次のフレーズが出てきます。


「どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて

争うこともしないで」

きっと花が美しく咲くのは、誰のためでもなく、咲く時期がきたら、ただひたすら自然に逆らわずに咲いているのです。

だから、花は美しいのでないかと思います。

これは、人間にも当てはまります。

誰かに気に入ってもらいたいと思い、

巧みな言葉を使ったり、

外見を着飾ったり、

誰かの興味をひきつけようと立派なことを言っても、

相手の心を動かすことは動かせないのではないでしょうか。

他者からどのように思われるかばかりを気にするよりも、自分のすべきことに一心に取り組んだり、生きている態度が、周りの人の心を動かすと思います。

中学生も同様です。
ひたすらに、一生懸命に取り組む生徒は、やはり周りの生徒から慕われます。

一生懸命に仕事に取り組む大人は、自然に相手に通じ、尊敬されます。

花であろうが、人であろうが、一心に生きる姿は美しいと思います。

本からの学びが自由を導く

2018年04月06日 14時15分28秒 | 教育・子育てあれこれ


人にとって、読書は直接出会わない日の考えや思想に触れることができます。

もちろん、自分が経験してきたことは大きな糧になります。

また、近くの人から話を聞くことも、自分にとって大切なことです。


しかし、人がそれらだけで物事を決めたり、判断するのでは不十分ですし、危ういこともあります。

自分が考える以上に、世界は広く、豊かなものです。

だから、大人も中学生も本を読むべきです。

読書で、すでに亡くなった人たちの考えに触れることもできます。

ふつう、出会えない人の思想を知ることもできます。

そして、自分の世界を広げ、自分が知らなかった考えを知り、自分の価値観や考え方を変えることにもつながります。

本からの学びが大きいほど、その人は自由になれると思います。

「学べば則ち固(こ)ならず」。

中学生も、多忙な生活を送ってはいますが、読書に親しんでほしいと思います。

心をこめて

2018年04月05日 12時30分10秒 | 教育・子育てあれこれ



生徒の中には、雄弁な子かいます。

しっかりと話す生徒もいます。

うまく話せない子もいます。

小さな声で話す子もいます。

多くを語れない子もいます。


教師は、ともすれば、よく話す子に注目しがちになります。

しかし、うまく話せなくても、心がこもっていれば、相手に伝わりますし、心に届きます。

心のこもった言葉が相手を動かすのです。

また、心をこめることは、話す時ばかりでなく、聴く時にも大切です。

心をこめて聴くと、相手に伝わり、相手も話しやすくなるのだと思います。

私が、高校生のとき好きだった歌に、こんな歌詞があります。


長い髪に 愛をこめて
細い指に 愛をこめて
私なら何にも 欲しくない

今私達 ただひとつに
水のように 溶けてゆくの
心をよせて

ああ光淡く ふりそそぐ



教師は、ここぞというときには、心をこめて生徒に語りたい、生徒の話を聴きたい。

教師に必要な資質の一つと言えるかもしれません。


学んだことを生き方に

2018年04月04日 12時56分01秒 | 教育・子育てあれこれ



先日、卒業した三中の3年生の中に、「将来は医者になりたい」と言っていた生徒がいました。

彼の場合は、小さい時から食物アレルギーがあって、おもに野菜しか食べれなかった。

給食のとき、みんなの輪に入っても、自分だけアレルギー対応の食べ物を食べて、さみしい思いをした。

そんなとき、親身になってくれる医者と出会って、励まされた。

また、別の医者は、中学生になってからも、骨折をしたとき、痛みが和らぐように手術をしたくれた。

自分のことを気にかけて、寄り添ってくれる医者に出会い、自分も医師になりたいと強く思う。

このように言っている子がいました。

彼の意志は固く、明確でした。

高校も、将来、医学部に入ることを見越して選んでいきました。

自分の生い立ちを通して、自分を見つめて、自分の経験の意味を考え、「医者になりたい」という目標を持っていました。

これができるのは、中学生であればこそです。

このような中学生と接しているので、昨日のブログで触れたように、幼稚園の子や小学生が、「〇〇になりたい。人の役に立ちたい」というのを聞くと、「ほんとうにそう思っているの?」という疑問をもち、私は違和感を感じるのです。

この三中生は、それを聞くと大人が喜ぶからという理由で「医者になりたい」と言っているのではないのです。

自分の体験から学んだことを、自分の将来の生き方につないでいく。

これが中学生の真骨頂だと、私は思います。

大人を喜ばせる?

2018年04月03日 14時08分06秒 | 教育・子育てあれこれ




私は仕事柄、幼稚園、保育所、小学校の卒園式、卒業式に出ます。

その式の中で子どもからよく聞くのが、将来のなりたい職業や夢です。

わずか6歳の子どもでも、「わたしは将来医者になって、人の役に立つ人になります」などと「宣言」を、証書をもらったあとにします。

それを聞いた来賓の人からは、「オー!」という小さな歓声が上がったりします。

でも、平素中学生をみている私からすると、どうしても違和感を覚えます。

たしかに、「〇〇になりたい」という気持ちはもっているでしょう。

でも、こんな小さな子が、本当にそれになりたいと思っているの?

人の役に立つ経験をどれほど積んで、そう言っているの?

こんなふうに感じて、違和感を覚えるのです。

しかし、となりでは、親御さんがわが子のそのような「宣言」を聞いて、うれしそうに笑っている人もいます。

はたして、その子どもの夢は、本当に医師や看護士になることなのでしょうか。

小さな子どもが思うことを言っているのだから、そんな目くじらを立てなくても、という考えもあるでしょう。

しかし、大人の尺度でいう「よい生き方」を送らせるために、親たちの間で何度か言われている言葉を、子どもがいつのまにか夢や目標にするようになったのかもしれません。

そうであるなら、話は別です。

子どもは、これを言うと家の人や大人が喜ぶと知ると、誰に聞かれても、たとえば「お医者さんになりたい」と答えるようになります。

大人もいいかげんで、「すごいよ」とわけもなくほめます。

そうなると、子どもは自分の夢や目標というよりも、大人を喜ばせる生き方をするようになっていきかねません。

ですから、子どもがそんな小さなうちから、「〇〇になりたい」という言葉は、あてにならないと私は考えています。
(次回に続く)

ベストを尽くすこと

2018年04月02日 19時05分56秒 | 教育・子育てあれこれ


バスに乗ると、運転主さんにお任せします。

ラーメン屋に行くと、美味しいラーメンを提供してほしいと、店の人に望みます。

ホテルに泊まると、スタッフの人によいもてなしをしてほしいと願います。


自分がしてほしいことは、相手にも望みます。自分がしてほしくないことは、人にもしてはいけない。

これは、国がちがっても、時代が変わっても、人類普遍の真理なのかもしれないのです。

しかし、人間は完全ではないですし、完璧は無理かもしれませんが、その人がベストを尽くすことは可能です。

ベストを尽くすことで、信頼を集めることができます。

人は要望に応えることができたと感じると、自信を高めることにもなります。

その点で、三中の教職員には、ベストを尽くして子どもにあたるようには伝えています。

でも、もし教職員がベストを尽くしていないと感じられるときは、ご指摘ください。


何を残すことができるか

2018年04月01日 13時38分11秒 | 教育・子育てあれこれ





4月1日を迎え、学校は平成30年度に入りました。

3月26日には

「世の中に 絶えて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし」

という歌を引き合いに、いつ満開になるかと書きました。

しかし、早くも三中の桜が散りはじめています。

残念ながら入学式には散ってしまっているでしょう。

昨年、一昨年と入学式には、残っていて、新入生を桜の花とともに迎えることができましたが、今年は望めそうにありません。


ひさかたの 光のどけき 春の日に

しず心なく 花の散るらむ (紀 友則)



いまは、こんな気分です。


日の光が のどかに降り注ぐ春の日なのに、

なぜ桜の花は散ってしまうのだろうか。


わたしは、この歌を中学生のとき習い、春の情景を思い、「本当にそうだなあ」と感じたことを思い出します。

この歌が詠まれたのが900年ごろだとすれば、1000年以上も、その歌に託した人の思いが残っているのです。

このように考えると、すごいことだとしみじみと感じます。



そういえば、映画「ちはやふる 結び」でも、セリフの中にありました。


恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり

人知れずこそ 思ひそめしか (壬生 忠見)


これと、対になるのが・・・


しのぶれど 色に出にけり わが恋は

ものや思うと 人の問うまで (平兼盛)



恋の歌が1000年以上たった今でも、人々に共感されている。

では、私たちは、1000年先に何を残すことができるだろうか。

このように、瑞沢高校かるた部の部員が、映画の中で言っていました。


そこで、私たち大人はこれから先を時代を生きる子どもたちに、何を残すことができるだろうかと、私は思いを巡らせます。