本日の体育祭は、天候を考慮して、明日に順延しました。
順延につぐ順延ですので、保護者のみなさまはご迷惑をおかけしまして、申し訳ございません。
明日は、ご都合のつく限りで、観戦に来てもらえれば、子どもたちも喜ぶと思います。
ところで、中間テスト1週間前に入っていますので、生徒は学習時間を確保する必要があります。
したがって、本日予定していた朝礼をとりやめ、金の1〜5限の5限授業に変えました。
その朝礼の時間を放課後に回し、時間限定で係の生徒には、明日の体育祭の前日準備を手伝ってもらいます。
生徒には、テストやら体育祭やらで、中間テスト1本に集中しにくい状況にあります。
各クラスで、
柔軟に気持ちを切り替え、授業やテスト学習に打ち込み、明日は切り替えて、体育祭に完全燃焼すること、また、体育祭後の土、日、月曜日は学習に打ち込む期間とすること
を学級担任から、生徒たちに伝えました。
三中の子は、基本的にその意図を理解して、気持ちの切り替えを、うまくしてくれるはずです。
ただ、朝礼が流れたことで、私からの全校生徒への講話ができなくなりました。
残念なので、話す予定だった講話の内容を、この場をお借りして、保護者のみなさまにお伝えします。
時間があるときに、親子で考える機会にしてくださればいいと思います。
朝礼で話す予定だった講話 H30(2018).10.11
「好かれようと思うな、好きになれ」
生徒のみなさんは、友だちに好かれたいですか?
私が30年以上、中学生と出会い、感じることがあります。
それは、最近の中学生が、人にきらわれることをとにかくいやがるということです。いやがるというよりは、怖がるといったほうがいいかもしれません。
人にきらわれたくないという人は、当然のことながら、人に好かれようとします。
そのため、あなたの行動や発言は、人に好かれるためのものになります。
自分をよく見せようとしたり、反対に自分だけが浮き出ないように、みんなと同じようにしようとします。
でも、いつも好かれるための工夫をすることになり、心は疲れます。
真剣に自分を見つめる人ほど、そのうちに、「これって、ほんとうの自分じゃない」と思うようになります。
そして、「ほんとうの友だちがほしい」と、悩むのです。
このようにして、普通でも悩みが多い中学生の時期なのに、悩みがますます深くなるのです。
そんな悩みの深い中学生に、私が言えることがあります。
それは、「人から好かれようが、きらわれようがいいのとちがいますか」ということです。
だって、人があなたのことをどう思おうが、あなたはあなたでしかないのです。自信を持って、ありのままの自分を見せたらいいのです。
そうすると、みなさんの中にはこんな疑問をもつ人がいるかもしれない。
「ありのままの自分を見せて、校長先生、きらわれたらどうしてくれるの?」
でも、かまわないと、私は思います。その人とはあわないんだと思えばいいのです。
それよりも大切なことは、人に好かれようとするよりも、人を好きになればいいのです。
人に好かれようとすることは難しくても、人を好きになることなら、自分が心がければできることです。
人を好きになる人は、人の目を気にせず、自然に振る舞うから、結局、人に好かれることになるでしょう。
ここまでずっと理屈のような話をしてきましたが、これは本当です。
もし、三中生で、人に好かれたいと思い、人にあわせる友だち関係で悩んでいる生徒がいるならば、私が言うよりも、みなさんが悩んだ中で、人を好きになればいいのだという悟りを自分で見つけるべきです。
答えは、いつも自分で見つけるのです。
それが、悩む中学生としての価値だと思います。
(以上)
(写真は、講話の内容と関係ありません)