長尾天満宮の階段沿いにあったこの看板。「洛東用水路跡」
水路跡とのことですが、幅の狭い里道みたいなものがあるだけ。
琵琶湖疏水から水をひいてきて、田畑を潤した…。
こんな高いところに?と思ってよく見たら、
この場所の標高約72メートル、琵琶湖水面の標高約84メートル。
ウンウン、疏水はかなり標高の高いところを通っていて、
蹴上の発電所はその落差を利用していたっけ。
動物園の噴水も高低差の利用だと聞いたことがあります。
工事が行われたのは昭和17年(1942年)から20年(1945年)。
その頃小野まで来ていた用水路を醍醐、日野まで延伸。
標高差で水の流れを確保するということは、
余分な機械を使わなくてもまさに「川の流れ」による水確保。
飲み水、発電、運輸だけではなくって、農業用水まで琵琶湖の恵みをもらっていたんですね。
勉強になりました。
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