MILESTONES (団塊オヤジのJAZZ日記)

JAZZに関わる話題を中心に、たわい無い日常を不定期に紹介しています。

マイルス関係の雑誌を読んでいたら・・・

2008年03月26日 | JAZZ
私は普段から、本や、雑誌を読みながら寝る癖がついているが・・(活字を読むとすぐに眠くなる習性が出来ており(笑)私にとって睡眠剤のようなものである(笑)・・・)
昨晩は古いマイルスの雑誌をみていた。
その中に興味深い写真と記事が載っていたので紹介したい。

この雑誌はSwingJournal社から昭和60年(1985年)に発売された「Oh! MILES」というマイルスを特集した雑誌で、当時のSwingJournal社の編集長である、中山康樹さんがマイルスに愛をこめて丹精込めて編集されているな・・とわかる雑誌です。

この雑誌にはマイルスのプライベート写真やインタビュー記事、レコード紹介等あらゆるマイルスの記事と写真が載っており、中山さんのこの雑誌への思いが伝わってくるが、その中で興味深い写真があった。
マイルスは’75年病魔に冒されて、奇跡の復活をみせる’81年まで沈黙(引退同然)を続けていたわけであるが、その間帝王マイルスは復活を目指して色々なメンバーを選びながらリハーサルを続けていたのである。
そのリハーサルに召集されたメンバーの中に、あのプーさん事、われらの菊池雅章がいたのである(なぜか松葉杖をしていますね・・)。この写真にはラリー・コリエルの姿も写っている。

(‘78年3月2日のリハーサルを捉えた写真
左からラリー・コリエル、菊池雅章、T.M.スティーブンス、マイルス、ジョージ・パプリス、アル・フォスター)

興味深い写真である。このときのリハーサルは、どのようなものであったのだろうか・・・。
菊池雅章の音をなるべく減らして表現するプレーはマイルスにも通じることがあり、マイルスも興味を抱いたのでは・・・と想像するが・・。このリハーサルの記録があるなら是非とも聴いてみたいと思いませんか・・・。
結局、この召集メンバーは幻で終わってしまうのですが、ラリー・コリエルもひょっとしたら復活時のメンバーになっていたかも知れませんね・・・。

沈黙して6年後の’81年についに復活を果たす。

(その時期の愛妻“シンリー”に向かって吹くマイルス。「ニューヨーク キックスにて」)
コメント
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