
11月27日 (土) 晴
わが金つなぎの会の中心メンバーのお一人だった、中島榮子理事が卒然と逝かれた。
35年前に乳がんを病み、その後肺がん、リンパ腺腫瘍、頚部リンパ節転移、乳がん再発と肝転移、そして脳梗塞…
ほかにもいろいろと、あのか細い体で果敢に受け止められ、強靭な精神力でがんを撥ねつけねじ伏せて生き延びて来られた。
35年ぶりの乳がん再発の報に驚いたが、それにもまして、改めてあげてみた彼女の病歴の凄さに、絶句したのだった。
10年前の春。
リンパのがんで入院が決まっていた彼女は、その2日前に予定されていた「季刊・金つなぎ」の発送ボランティアの日に、およそ1時間半の道のりをものともせず、駆けつけてこられた。
「えっ、あなた。 あさってが入院でしょう? お家で養生専一、体力を温存して治療に立ち向かわなくては!」
「ええ、でもね。 家でひとりで病気の心配するより、ここに来て金つなぎの仲間と一緒にいたほうが安心できるから、お手伝いさせて…」
いまでこそ、「行って死ぬ体なら、行かなくても程なく死ぬのよ」と、思い出旅にお誘いするさくらだけれど、あのころはまだまだ病友がたの実践事例も少なく、さくらもまずは、【養生専一】を言っていたのだった。
榮子さんの言葉に、いま、会の主目標になっている【仲間の絆づくり】の思想が思い浮かんだ。
私たちは、いつか訪れる【死】のそのとき、一度だけくぐれて二度とは戻れない扉を開けることが出来る。
その時。
扉の向こうには、翩翻とひるがえる金つなぎのピンクの会旗と理念旗を中心に、逝かれた仲間たちがピンクの色も鮮やかな華やかなピンクのはっぴを着用。 「良く来たね♪」、「待ってたのよ。 遅かったじゃない!」と大歓迎してくださる。
この光景を心に刻みつけ、納得し、私たちは抗がん闘病の予後を明るく前向きに、積極果敢に生き延び、そして【誰かのために何かのできる喜びと感謝】を噛み締めつつ、【死】を迎える。
病友との固い絆があってこそ到達できる、【在るべき逝き方】が、そこにはある。

榮子理事が、いつに無く弱音を吐かれたのは、今年の新年会の席であった。
新年会会場の大阪北新地・木曽路に集まった病友は30人。
「今年いっぱい、生きられそうにないです」と、いつになく弱気の栄子さん、35年ぶりに乳がんの再発をみ、それ以外にも多数のがん発症を受け止め、おまけに肺に散らばったがんがいろいろな不具合を出来させているという。
日ごろから気概性のあるひとなので、こんな弱気を聞くのは珍しい。
「夜には、スパワールドで温浴をしましょう!」
「そうしますぅ♪」
【金つなぎ・温浴療法】を信じ、集いの旅度にスパワールドに向かった私たち。
この日、付け下げの着物で正装して出かけ、病友がたに新舞踊「涙そうそう」を見ていただいたさくら、それでも、意を決してその出で立ちでスパワールドに出かけました~。
榮子さんが、あれほど愛した温浴の場に、若旦那と玉ちゃん、妙子さんが付き合ってくださるというので、一行4人思いっきり思い出話をして榮子さんを偲びました。

「ここで、榮子さんとご一緒に写真を撮ったことがあったのよ♪」
「あ、では、私たちも撮って。 撮って~!」

名張に戻って、パパ宅に立ち寄る。
「今夜は、たこ焼きパーティーだよ。 いかが?」
「あら、うれしい。 (スパで風月の焼きそばなどいろいろいただいてきたけれど。別腹を空けるわ~!)」
息子たちと、榮子産を偲び、「あたしのお葬式は、こんなふうに、あんなふうに…」
真剣に訴えるのに、パパはあっさり「そんな話は、年末に家族全員そろったときの話題にしてlくれる?」って、あっさり逃げられちゃった。
がっくし。
わが金つなぎの会の中心メンバーのお一人だった、中島榮子理事が卒然と逝かれた。
35年前に乳がんを病み、その後肺がん、リンパ腺腫瘍、頚部リンパ節転移、乳がん再発と肝転移、そして脳梗塞…
ほかにもいろいろと、あのか細い体で果敢に受け止められ、強靭な精神力でがんを撥ねつけねじ伏せて生き延びて来られた。
35年ぶりの乳がん再発の報に驚いたが、それにもまして、改めてあげてみた彼女の病歴の凄さに、絶句したのだった。
10年前の春。
リンパのがんで入院が決まっていた彼女は、その2日前に予定されていた「季刊・金つなぎ」の発送ボランティアの日に、およそ1時間半の道のりをものともせず、駆けつけてこられた。
「えっ、あなた。 あさってが入院でしょう? お家で養生専一、体力を温存して治療に立ち向かわなくては!」
「ええ、でもね。 家でひとりで病気の心配するより、ここに来て金つなぎの仲間と一緒にいたほうが安心できるから、お手伝いさせて…」
いまでこそ、「行って死ぬ体なら、行かなくても程なく死ぬのよ」と、思い出旅にお誘いするさくらだけれど、あのころはまだまだ病友がたの実践事例も少なく、さくらもまずは、【養生専一】を言っていたのだった。
榮子さんの言葉に、いま、会の主目標になっている【仲間の絆づくり】の思想が思い浮かんだ。
私たちは、いつか訪れる【死】のそのとき、一度だけくぐれて二度とは戻れない扉を開けることが出来る。
その時。
扉の向こうには、翩翻とひるがえる金つなぎのピンクの会旗と理念旗を中心に、逝かれた仲間たちがピンクの色も鮮やかな華やかなピンクのはっぴを着用。 「良く来たね♪」、「待ってたのよ。 遅かったじゃない!」と大歓迎してくださる。
この光景を心に刻みつけ、納得し、私たちは抗がん闘病の予後を明るく前向きに、積極果敢に生き延び、そして【誰かのために何かのできる喜びと感謝】を噛み締めつつ、【死】を迎える。
病友との固い絆があってこそ到達できる、【在るべき逝き方】が、そこにはある。

榮子理事が、いつに無く弱音を吐かれたのは、今年の新年会の席であった。
新年会会場の大阪北新地・木曽路に集まった病友は30人。
「今年いっぱい、生きられそうにないです」と、いつになく弱気の栄子さん、35年ぶりに乳がんの再発をみ、それ以外にも多数のがん発症を受け止め、おまけに肺に散らばったがんがいろいろな不具合を出来させているという。
日ごろから気概性のあるひとなので、こんな弱気を聞くのは珍しい。
「夜には、スパワールドで温浴をしましょう!」
「そうしますぅ♪」
【金つなぎ・温浴療法】を信じ、集いの旅度にスパワールドに向かった私たち。
この日、付け下げの着物で正装して出かけ、病友がたに新舞踊「涙そうそう」を見ていただいたさくら、それでも、意を決してその出で立ちでスパワールドに出かけました~。
榮子さんが、あれほど愛した温浴の場に、若旦那と玉ちゃん、妙子さんが付き合ってくださるというので、一行4人思いっきり思い出話をして榮子さんを偲びました。

「ここで、榮子さんとご一緒に写真を撮ったことがあったのよ♪」
「あ、では、私たちも撮って。 撮って~!」

名張に戻って、パパ宅に立ち寄る。
「今夜は、たこ焼きパーティーだよ。 いかが?」
「あら、うれしい。 (スパで風月の焼きそばなどいろいろいただいてきたけれど。別腹を空けるわ~!)」
息子たちと、榮子産を偲び、「あたしのお葬式は、こんなふうに、あんなふうに…」
真剣に訴えるのに、パパはあっさり「そんな話は、年末に家族全員そろったときの話題にしてlくれる?」って、あっさり逃げられちゃった。
がっくし。
あまりお目に掛かる機会はなかったけれど、人間性が素晴らしく大きな方だったので、これからいろいろ教えていただきたいって思っていましたのに…。
お悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。
いつも穏やかな素敵な女性、
自分もあのように歳を重ねたいと思う
人生の先輩のお一人でした。
ご冥福をお祈りします。
行かれていたのに・・」と驚きました。
不安を抱える私たちを本当にやさしい心遣いと
金つなぎパワーで支えていただきました。
お会いするたびに「大丈夫!中島さんがいてくれるから」と前を向くことができたのです。
「黒豆」も絶品で一粒一粒を感動しながら
いただいたのは新宿御苑のお花見でした。
どうぞ安らかにお休みください
ありがとうございました 合掌
ご冥福を心よりお祈り致します。
長いお付き合いを感謝でございます。
逝友・榮子さんを悼み、やさしいお見送りの言葉をありがとうございます。
上記ブログにも記しましたが、私たちは、いつか訪れる【死】のそのとき、一度だけくぐれて二度とは戻れない扉を開けることが出来るのですね。
その時。
扉の向こうには、翩翻とひるがえる金つなぎのピンクの会旗と理念旗を中心に、逝かれた仲間たちがピンクの色も鮮やかな華やかなピンクのはっぴを着用。 「良く来たね♪」、「待ってたのよ。 遅かったじゃない!」と大歓迎してくださる。
…この光景を心に刻みつけ、納得し、私たちは抗がん闘病の予後を明るく前向きに、積極果敢に生き延び、そして【誰かのために何かをさせていただける喜びと感謝】を噛み締めつつ、【死】を迎えることができるのです。
喜びと感謝の気持ちとともに逝けるのが、金つなぎ流の幸せ。
榮子さんもこの世のお役目を終え、喜びと感謝の気持ちとともに逝かれました。
謹んで合掌し、鎮魂の年末を迎えます。