
11月9日 (火) 晴
昨夜、東京から帰って香代子さんに頼まれた健康食品の格安ものを探して1時間あまりネットサーフィンを繰り返し、注文し終えたらどっと疲れた。
その後、深夜スーパーに買い物に行き、掃除・洗濯、入浴してBed in したのが午前3時。
こんな日々の暮らしをありのまま報告すると、また皆さまにご心配やお叱りをいただくことになりそうだ。
実際、香代子さんには「あなたはそうやって走って、バタンと倒れるんだから!」 と注意され、美代ちゃんは心配のあまりか、「あなた、そうやってムリして、また転移や再発したらどうするの! そうなってから、私に泣いて来ないでね!」と言い、鼻持論だ私は、「えっ? いつ私があなたに泣き言を言った?」
実の姉妹のようなお二人だけれど、なんとなく気まずくなって早々に話を打ち切った。
でも、一両日も経たないうちに、以前のようにけろりとして話が盛り上がるのだから、
なんだか、なぁ…
夫があっけなく逝った17年前、私は余命半年のがん患者で、死ぬことばかり考えて生きていた。
ご近所の友人・香代子さんは葬儀のあと、四十九日の尸楊まで、毎日車で10分ほどの我が家を訪ね、お仏壇の礼拝をし、餃子の材料を持ち込んで息子たちと手づくり餃子を
ふるまってくださった。
夫が生前、「湯治が体に良いから…」と言ってくれていたから、猪の倉温泉、とことめの湯、さるびの温泉、メナード青山、パラデュー夢、私の望むどの温泉にも連れて行ってくださった。
有難いことであった。
夫の死の前後も、私は激烈な副作用の抗がん剤治療(CAP療法)を受けていた。
とりわけ、夫の死後は生きる希望もなく生きられる自信もなく、二人の息子を結婚させないままでは死ねない…と思うばかりだった。
関西の基幹企業の女子管理職として、トップランナーで走り続けていた美代ちゃんも、堀内さん(にほんれいあうと社長)と夫のお通夜に駆けつけてくださり、その後も手づくりのイカ飯や若筍煮などを度々差し入れたりし、励まし続けてくださった。
忙しい日々、時間の余裕のない中で!
ほんとうに、うれしかった、有難かった。
それに引き換え、私はどれほどのお返しをさせていただいているのか?
高校時代の学友、典子さん、紀生さん・まっさん夫妻、山さん、小川さん、小倉さん、磯田ご夫妻…
ほかにも、たくさんたくさんの皆さまに支えられ励まされ…
「あなたを元気づけるには、仕事をしてもらうのが一番!」
2クール目の抗がん治療で、壮絶に吐き続けるベッドの上の私に、大ぞの千恵子さん(FOOD&BOOK∸coordinator、サンエリア社長)は明るく言い、そして、抗がん啓発のコミック『私が【がん】になったとき』(イーストプレス刊)上梓の途をつけてくださったことも、私の生きる意欲に火を点けた。
産経新聞に、抗がん闘病記『金つなぎの茶碗』の掲載を奨めてくださった、同社文化部の細見三英子次長、大阪新聞に『広野光子の癒し最前線』を書かせてくださった同社編集局の日高一行局次長、テレビと連動させ『広野光子の癒し最前線』を相互補完する新しい企画を実現させてくださったテレビ大阪の西村聡プロデューサーと上司の桐山勝編成局長…
こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ(石川啄木『一握の砂』)
啄木とは置かれた状況が違うけれど、同様に人生のどん底に身を置いたとき、歌が訴える力がそくそくと身に沁みわたった。
あの頃から今に至るまで支えてくださった友人がたの恩義に、微力な私は何のお返しも
出来ずにいる。
金つなぎの病友がたに、つい、我を忘れてお付き合いさせていただくのは、実に、あの頃から今に至るまでの、本当にありがたかった皆々さまへの、ご恩返しに代えさせていただきたい…、との切なる思いの所業だけれど。
昨夜、東京から帰って香代子さんに頼まれた健康食品の格安ものを探して1時間あまりネットサーフィンを繰り返し、注文し終えたらどっと疲れた。
その後、深夜スーパーに買い物に行き、掃除・洗濯、入浴してBed in したのが午前3時。
こんな日々の暮らしをありのまま報告すると、また皆さまにご心配やお叱りをいただくことになりそうだ。
実際、香代子さんには「あなたはそうやって走って、バタンと倒れるんだから!」 と注意され、美代ちゃんは心配のあまりか、「あなた、そうやってムリして、また転移や再発したらどうするの! そうなってから、私に泣いて来ないでね!」と言い、鼻持論だ私は、「えっ? いつ私があなたに泣き言を言った?」
実の姉妹のようなお二人だけれど、なんとなく気まずくなって早々に話を打ち切った。
でも、一両日も経たないうちに、以前のようにけろりとして話が盛り上がるのだから、
なんだか、なぁ…
夫があっけなく逝った17年前、私は余命半年のがん患者で、死ぬことばかり考えて生きていた。
ご近所の友人・香代子さんは葬儀のあと、四十九日の尸楊まで、毎日車で10分ほどの我が家を訪ね、お仏壇の礼拝をし、餃子の材料を持ち込んで息子たちと手づくり餃子を
ふるまってくださった。
夫が生前、「湯治が体に良いから…」と言ってくれていたから、猪の倉温泉、とことめの湯、さるびの温泉、メナード青山、パラデュー夢、私の望むどの温泉にも連れて行ってくださった。
有難いことであった。
夫の死の前後も、私は激烈な副作用の抗がん剤治療(CAP療法)を受けていた。
とりわけ、夫の死後は生きる希望もなく生きられる自信もなく、二人の息子を結婚させないままでは死ねない…と思うばかりだった。
関西の基幹企業の女子管理職として、トップランナーで走り続けていた美代ちゃんも、堀内さん(にほんれいあうと社長)と夫のお通夜に駆けつけてくださり、その後も手づくりのイカ飯や若筍煮などを度々差し入れたりし、励まし続けてくださった。
忙しい日々、時間の余裕のない中で!
ほんとうに、うれしかった、有難かった。
それに引き換え、私はどれほどのお返しをさせていただいているのか?
高校時代の学友、典子さん、紀生さん・まっさん夫妻、山さん、小川さん、小倉さん、磯田ご夫妻…
ほかにも、たくさんたくさんの皆さまに支えられ励まされ…
「あなたを元気づけるには、仕事をしてもらうのが一番!」
2クール目の抗がん治療で、壮絶に吐き続けるベッドの上の私に、大ぞの千恵子さん(FOOD&BOOK∸coordinator、サンエリア社長)は明るく言い、そして、抗がん啓発のコミック『私が【がん】になったとき』(イーストプレス刊)上梓の途をつけてくださったことも、私の生きる意欲に火を点けた。
産経新聞に、抗がん闘病記『金つなぎの茶碗』の掲載を奨めてくださった、同社文化部の細見三英子次長、大阪新聞に『広野光子の癒し最前線』を書かせてくださった同社編集局の日高一行局次長、テレビと連動させ『広野光子の癒し最前線』を相互補完する新しい企画を実現させてくださったテレビ大阪の西村聡プロデューサーと上司の桐山勝編成局長…
こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ(石川啄木『一握の砂』)
啄木とは置かれた状況が違うけれど、同様に人生のどん底に身を置いたとき、歌が訴える力がそくそくと身に沁みわたった。
あの頃から今に至るまで支えてくださった友人がたの恩義に、微力な私は何のお返しも
出来ずにいる。
金つなぎの病友がたに、つい、我を忘れてお付き合いさせていただくのは、実に、あの頃から今に至るまでの、本当にありがたかった皆々さまへの、ご恩返しに代えさせていただきたい…、との切なる思いの所業だけれど。
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