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2009.08.10 Mさんのばあやさんの梅干し

先日、梅干しご飯のことを載せました。
「2009.08.08 梅干しご飯」

その時、私は、赤い紫蘇で色付けされた梅干しを入れてご飯を
炊きましたが、私のブログを見たMさんの言葉によると、Mさん
のお宅では、ばあやさんが、白漬けと言われる、赤紫蘇を使って
いない梅干しを入れて、夏期はご飯を炊いていたそうです。

私は赤い梅干しを使いましたので、ピンク色のご飯になりましたが、
ばあやさんの梅干しご飯は、真っ白で、つやつやだったそうです。

Mさんから、お聞きしたことを、書いてみます。

Mさん宅のばあやさんは、梅干しを、30個ほどの大瓶(おおがめ)
に作っていたそうで、その3分の1は、赤紫蘇を入れない白漬けを
作っていて、その白漬けは、ご飯に入れることを始めいろいろな
料理に使われていたそうです。

私も、以前、青い梅干しの天麩羅など、いわゆる白漬けを使った
料理類を、旅先の旅館などで、食べた記憶がありますし、今でも、
懐石料理では、使われているように思います。
素晴らしい風習だと思いました。

梅酢といって、昔から、梅干しの漬け汁が珍重されていたことは
聞いたことがありますが、以前テレビで年輩の料理研究家が梅酢
を見せて説明していましたが、赤い色ではなく少し黄色い透明の
お酢でしたので、少し不思議な気がしていましたが、なるほど
白漬けの汁だったのだと、今にして分りました。
昔は、白漬けは、一般的に作られていたものの様ですね。
梅酢は、料理の味を良くし、とても身体に良いと言っていました。

そして、Mさんのお宅の、沢山の大瓶の内の、2瓶程は梅と一緒に
3分の1ほどの李(すもも)が入った梅干しが漬けられていたそう
です。
梅の実る同じ頃に、李も実るので、全く同じ扱いで、梅に混ぜて
漬けていたそうで、そのすももは、誰かが扁桃腺が腫れた時の、
特効薬だったそうです。

30個の瓶の中には、何十年物もあったそうですが、毎年欠かさず
新しい梅干しを作っていたそうです。


そして、Mさんが幼い頃の忘れられない記憶として、私が何度も
聞いた、感動的なお話があります。

それは、大雪が降った日のことです。
彼女の住んでいたお屋敷は、大阪にありましたが、その頃は、今
よりは、雪がよく降っていたもののようです。

ばあやさんは、他の使用人達(全部で40人以上いたそうです)と
共に、降り積もった真っ白な雪の上の方を、セルロイドの下敷き
で切り取って捨て、下の数センチを残し綺麗な部分だけを四角く
切り取り、その真っ白な雪の固まりを、30以上の瓶に入れる作業
をされたそうです。

大瓶(おおがめ)の口は、和紙を被せて縄で縛ってあり、その上
に木蓋が被せてあったそうですが、その和紙を丁寧に外して行う
その作業は、大変だったと思いますが、毎年毎年、雪の降った後
には、必ず行っていたそうです。

幼いMさんが、雪を投入した瓶の中を覗いてみると、最初は綺麗な
ところてんのようなものが煌めいていたそうで、それは日が経つと
いつのまにか、瓶の底に馴染んで行ったそうです。

Mさんのばあやさんの梅干しの味は、又と無い格別のものであった
そうです。

終戦後、戦火に焼かれなかった彼女のお宅では、被災したり食べ
物のないご近所に沢山の梅干しを差し上げたことがあるそうです。
その梅干しの味が忘れられないと、いつまでも喜んで貰ったそう
です。

働き者で、知恵者(一休さんと呼ばれていた方)のばあやさんの
梅干しの瓶の中の光景、そして雪の日の光景が目に浮かぶ様です。

そして、その味が格別だったことは、味わわなくても分る、そん
な、何か胸を打たれるお話でした。
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