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2018.02.25 二月十六日は、中華料理会食など。そして私の足で、仲間が驚くこと。

11年前、大阪市の産業創造館で、ネットショップ支援講座が開催されていました。
何年も続いていて、私達で20何回生だったと思います。その後終了しました。
ネットショップ経営を志す人を支援するとは、さすが大阪市だと感心しました。
他の都市ではそういう講座はないので、遠く横浜や広島から来られていました。
かく言う私も、他県の人間なのに受け入れて貰えました。 感謝しています。
真夏の二ケ月の間、1週間に1回計8回に亘り、ネットショップ運営方法、クレーム
処理方法など、ショップ運営上大切なことを、ネットショップ成功者が講義してくれ
ました。

その時の仲間30人は、その後それぞれに活躍していると思いますが、11年も経つと
なかなか会うことは無くなりました。
その中で私達三人は、時々会っています。 
産業創造館での出会いの三人なので、名付けて「三創会」と本日命名しました。

今日は、甲南山手の中華料理店「皇々」(ファンファン)へ。
私が12年前住んでいた場所にあるお店です。
昨年末、急に思い出して12年振りで訪ねましたら、昔通りの美味しさでした。
それで、今日はここを私が推薦しました。 

 

昨年の夏以来の再会なので、それぞれが、ぜひ渡したいもの、食べてもらいものが
あるので、最初はそれらの交換会もどきになって、面白いことになりました。

 

どれも、美味しく喜んで貰えました。

 

その後、近くの「Bar バッカス」へ。
神戸は震災で全滅しましたので、その後に建った建物ですが、都心でもない場所にしては
珍しい素敵な雰囲気の店構えでしたので、私と友人は一度行きたいねと憧れていて、でも
結局敷居が高く感じて一度も行ったことは無かったのですが、転居して遠くなった今でも
何故か気になっていて、1度だけ念の為行ってみようということになりその友人と昨年末
行きました。案外入り易い店でした。開店は17年前だったとのことでした。 
(私達は相当ひつこいですね。^^)


今日は、そこへ二人を案内しました。
素敵な空間で、とても喜んで貰えました。

 


中華料理の後、この店の開店迄に時間があったので時間つぶしに道を歩きながら、近くに
星野監督のご贔屓だった喫茶店があるのよと言うと、二人は大喜び、テレビで見た、そんな
ところが近くにあるなんて、ぜひ行きたいと言うので,行って見ると閉店後で、でもお店の
人が出て来て挨拶して下さった。感じが良い店です。
私の友人がやっている 革細工のアトリエの前を通ると、夜なので締まっていましたが、二人
はここにも、大層興味がある様でした。
後日、又、このコースで出直しをしようと言うことになりました。
こんなに喜んで貰うとは、言い出し兵衛の私は、とても嬉しく思いました。

二人は、「さすがにこの辺は瀟灑で綺麗な建物が多いね」と言っていましたが、この辺は
地震で全壊して、建て直した家々であることを言いますと、驚いていました。
2階と3階が道路の上に倒壊している家などで道路は塞がっていて、国道も両側から建物が
倒壊しているので、救援者は自転車か徒歩でないと目的地迄辿り着けない状態であったこと
など言うと、二人は大阪に居たので、まさかそんな状態だとは想像も出来なかったと驚愕して
いました。
私は、震災後神戸を遠く離れて大阪の郊外に避難し、1年半そこから平日は大阪都心に通勤
しながら、休日には神戸に戻り、ボランティアの友人達と一緒に復興作業に打ち込んでいま
した。ですからよくわかります。まさか遠く離れた人達に理解出来ないのは当然です。
 


 <私の足で、仲間が驚くこと。>
11年前のこの仲間に会う度に、驚かれることは、「あんなに足が悪かった私が、スイスイと
歩いて来ることだそうです。そして、集まりの度に、足が治っていることらしいです。
「普通、足の悪い人は集まりに少しずつ出なくなり、間遠になって行って、その内に来なく
なるものだ」と言って、私がその逆で元気になって行くのが信じられないらしいです。
私は、支援講座の時、それこそ激痛でしたが、西宮から大阪の南港迄、遠路を通いました。
そして、足が痛いのだとは多分人に言って居なかったと思います。人に言わないたちなので。
なのに、私が足が歩けない程の激痛だったと、何故知っていたのでしょうか?
今度,聞いてみようと思います。 

ただ、今回は重いブルーベリージャムをお二人に差し上げたいと持って行ったので、その重量
で報えました。
2日程、夜寝ていて膝が疼き、初め何故か分からなかったのですが、ジャムだと分かりました。
両手に重いものを提げて歩きすぎました。やっぱり、重い時はキャリーが必要ですね。 

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