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2018.09.24 三十五年振りの再会、そして何だか自分に落ち込む日々。

8月25日のこと、駅の待合室で椅子に座っていると、突然横に女性が座り「もし、間違って
いたらごめんなさい。」と話しかけて来た。

「もしかしたら、お食事処☆☆で、お会いしていた◯◯さんではありませんか?」と。
見ると、確かにそこでお会いしていたJちゃんだった。 
その店は、私の尊敬する女板前Kさんのお店で、彼女はそこの常連さんだった。 
近況を報告し合った後、私の住んでいるマンションの部屋番号を伝えた。
彼女は、たまたま私のマンションの中の物件に転居しようかどうか迷っていたとのこと。
とにかく、近く我が家を訪ねて来たいとのことだった。
すぐに来られるようだったので、彼女の電話番号は聞かなかった。(これを後で後悔した。) 

ところで、元女板前のKさんは最近体調がますます悪くなり、先日電話した時は、外出出来なく
なったので、息子さんがおかずを買って来てくれて、それを食べていると言っていたが、「もう
駄目、何も出来なくなった。」と、かぼそい泣きそうな声であった。 
その後、何度電話しても自宅も携帯も掛らなくなったので、この酷暑だから入院したに違いない
と思っていた。
本来なら、すぐKさんにJちゃんに会ったことを伝えたいが、繋がらないので残念だった。 
 
ところが、何と! その2日後、突然Kさんから携帯が鳴った。息子さんからかと思ってドキッと
したが、本人の声で、しかも元気な声なので、びっくりするやら嬉しいやら!

聞くと、携帯が故障だった由。息子さんがを故障を直してくれたら、私からの電話が沢山掛って
いたので、ごめんねと。
私が、Jちゃんに会ったことを言うと、彼女は大喜びで、すぐ電話するわと言ったが、
「現在使用されていない」とのことで架からないと言って来た。

しまった! Jちゃんの電話を聞いておくべきだったと後悔する。テレコテレコになっている。
電話を聞いておかないなんて、そんなことあるのか。バカ、バカと思った。

ところが、その4〜5日後のこと、何と言う偶然か?全く不思議なことに、私がJRの駅の方へ
階段を下りようとしていたら、近くにJちゃん居て、私を見付けて呼び止めてくれた。

こんなに都合良く出会うものかしら? 30秒ずれていたら会えなかったねと彼女は驚いていた。
二人で、その場所からKさんに電話した。
そして、9月7日に、3人で我が家で会うことに決まった。 

 

<9月7日> 我が家で3人で会う。

 

二人とも、予定通り2時に我が家へやって来た。
私とKさんは、よく会っているが、Jチャんとは35年振りぐらい。
話が弾んで、あっという間に夕方になった。

最初会った時、偶然 Jちゃんは私のマンションへ転居を考えて迷っていたところだったが、
その後、転居を決心したらしい。古い知人が近くに来てくれるのは、嬉しい。


元女板前のKさんは、血圧も高く腎臓も悪いが、こうやって再会したことにより、3人で又
会えると言う楽しみが出来て、健康が回復してくれることを願っている。 
 


 
<何だか、自分に落ち込む日々。>

昔は、今の様にお店が多くなく、百貨店も6時閉店で、他の店も生協マーケットなども閉店が早かった
ので、遅くまで働く女性にとって、食材を買うことが難しかった。
その為、私は休みの日に一週間分の食材を購入して保存する為、大型の冷蔵庫を購入していた。
でも、総合職で管理職だった私は、その日の内に帰宅することさえ難しい日が続き、食材は悪くなって
無駄になることが多かった。

そんな時、転勤した職場のすぐ近くに、偶然良いご飯屋さんがあって、それがKさんのお店だった。
おずおずと入った私に、彼女は「もし、店の提灯が消えていても窓の電気が付いていれば、片付け
に2時間ぐらい掛るので、貴女だけは入って来ていいのよ。食べる物が売り切れていて何も無くても、
お茶漬けだけでも食べられるから。遠慮しないで入って来てね。」と言ってくれた。救われた。

それで、私はそこへ通った。
Kさんは、私に「うちは一膳飯屋だから」といつも言っていたが、天性の才能がある人で、しかも本物
しか扱わない姿勢なのに格安で素晴しい料理を出すので、「居酒屋」として常連客が押し掛けていた。
私は、ご飯屋さんとして来ていたので当然お酒等は全く飲まず、邪魔にならない様に食事後すぐに帰った。
家へ帰って、仕事の続きを頑張る毎日だった。
閉店直前に行ったときは、売上金を持って閉店準備をするKさんが不安だと言うので、待って上げて一緒
に帰った。深夜、彼女はバイクで私は歩いて終電間際の駅への道を帰った。 お互いが同志の思いだった。

転勤して、近くにこの素晴しいお店があることを知った時、神様か亡き母親の采配かと感謝した。 
私はいつもツイテル!と思った。
Kさんの天才的な料理の腕を尊敬した私は、彼女のやり方を見ていた。分からないことは聞いていた。
そんなことに関心のある人は私以外一人も居なかった。だから、私が唯一の弟子だと自認している。
年老いた両親から生まれた私の、子供の頃から最大の関心事は、両親の健康長寿で、長寿料理を研究し、
何十冊の献立日誌を付けていた。 そんな私が、本ではなく生身の師匠として出会ったのがKさんだった。

飲みに来ていたお客さん達は、皆さんとても仲良くなり、旅行に行ったり、ゴルフに行ったりしていた。
私はそれには一度も参加しなかった。ゴルフは出来ないし旅行嫌いなこともあるが、考えもしなかった。 
一度だけ、断り切れず皆さんとスナックに行ったが、そういう席を楽しめない自分であったこともある。

 

しかし、今回私は少し考えて込んでしまった。
居酒屋で、お酒は飲まずご飯だけ食べて帰っていた私だけれど、多分、廻りの見る目は違っていたの
だろうと思うと、今更ながら大汗が出る思い!
多分、入り浸って飲んでいる遊び人と見られていただろうと思う。

私は、いろいろと本来の自分と反対に見られる自分を思い出した。
以前のこと、九州旅行を先輩に誘われて、 初めて飛行機に乗った時、職場の後輩に自慢して「飛行機に
乗るのよ。貴女は乗ったことある?」と聞いたら「私が昨年ハワイに行ったこと知ってるでしょう?
船で行ったとでも思ってるんですか?」と笑われた。
海外旅行に一度も行ったことのなかった私が、「毎年8回程海外旅行に行っているものと思ってました。
そう見えます。」とよく言われていた。  
職場のバス旅行で、マイクが廻って来ても、私だけ拝み倒して飛ばしてもらっていた。皆さん何処で練習
しているのか分からなかった。何故、そんな歌を知っているのか分からなかった。
ある時、バスガイドさんが「好きにならすにいられない」を、歌ったのに感動して、良い歌だ、詳しく知り
たいなと長い間ずっと探していた。バスガイドさんが日本語で歌われていたので、日本の歌だと思っていた。
ある時、エルビスプレスリーの歌だったと知って驚いた。
そんな私に兄嫁が、「◯◯さん(私のこと)、確か私と1つ違いよね。」と笑って言った。
母がNHKしか見ない人だったので,昔は民放しか流行歌の番組は無かった為,私は流行の歌を知らない。
その後もテレビ嫌いで、音のない世界で本を読むのが好きだった。
以前、横浜に住んでいた妹から電話があった時、私の声の向こうに音声が流れていたらしく、「え?お姉さん、
もしかしてテレビを付けているの?」と驚いて、「ヘ〜、お姉さんがテレビを見るの?」と何度も言っていた。
今では地震速報もあるのでテレビを付けていて、これにより健康情報等を得て、結構オタクになっている私だが。^^

これに限らず、私はいつも中身とは、逆に見られる人生だったかも知れないと思う。
遊び人と見られると言うのは(親しい友人は、絶対そう見えないと言うが…。)、別に恥ずかしいことでは
ないかもしれないが、私は超恥ずかしい思いに襲われてしまって、汗をかく思いである。 
そして、そんなことにショックを受けている自分の幼稚さに、更に落ち込んでいる。

 

 

 

 

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