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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(4-4)

2013年07月22日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」

▽ 今回で「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の抜き書きは最後となりました。高度経済成長時代の頑張り屋で、成功した男としての父親像が、まるで世界の中の日本と同じに思えました。

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彼がかろうじて知っているのは、父親は岐阜の生まれで、小さいうちに両親を亡くし、僧侶をしている父方の叔父に引き取られ、なんとか高校を卒業し、ゼロから会社を立ち上げ、目覚ましい成功を納め、今ある財産を築いたということくらいだ。苦労した人間にしては珍しく、苦労について語りたがらなかった。あまり思い出したくなかったのかもしれない。いずれにせよ、父親に人並み外れた商才があったことに間違いはない。必要なものを素早く手に入れ、不必要なものを片端から捨てていく才能だ。上の姉が彼のそのようなビジネス面での才能を、部分的にではあるが引き継いでいた。下の姉は母親の軽やかな社交性を、やはり部分的に引き継いでいた。つくるはそのどちらの資質もまったく引き継がなかった。

父親は一日に50本以上の煙草を吸い続け、肺がんを患って死んだ。つくるが名古屋市内の大学病院に父親を見舞ったときには、まったく声を出すことができなくなっていた。そのとき父親はつくるに何かを伝えたがっているようにも見えたが、それはもうかなわぬことだった。その一ヶ月後に彼は病院のベッドで息を引き取った。父親がつくるに残してくれたのは、自由が丘の1寝室のマンション、彼名義のまとまった額の銀行預金と、このタグ・ホイヤーの自動巻腕時計だった。

いや、他にも彼が残してくれたものがある。多崎つくるという名前だ。
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