円地文子著「女人風土記」の抜き書き帳、その3は江戸時代における天皇家の暮らしです。かるた、花札が公家のささやかな、貴重な収入源であったことを知りました。
P 111 寺(円照寺)に伝えられている画像をみると、既に老齢とみえる文智女王は、男子の禅僧と大して変わりのない風貌に見えるが、この雄々しい性格の女王の中には思いほか、女らしい形の女以上に細やかな女の心が生きていたのかも知れない。
P115 この俗に「堂上方」と呼ばれる公家の生活も、王朝時代の隆盛期はもとよりとして、中世も鎌倉期をすぎて、室町の中期、応仁の乱を境にして、皇室が極度に衰微した時代には、公家も京都を捨てて地方に離散するものが多く、残り止まった家々の生活もひどく貧しいものであったらしい。
P116〜116 中級以下の貴族の生活は平和が保たれているというだけで、江戸時代を通して、ずいぶん苦しいものだったに違いない。
P118 当時のお公家さんは皆内職を持っていて、歌かるたの字を書く(今のような印刷の歌かるたは私の子供の頃にはじめて出来て、標準かるたと呼んでいた)などが上品な方で、花札の絵のを描くのは大抵そういう人たちの内職だったという。