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抜き書き帳『樋口一葉』(その3)

2016年06月04日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
《大つごもり》明治27年12月

【124ページ】
----、やがて巻きあげて貴様たちに好き正月をさせるぞと、伊皿子あたりの貧乏人を喜ばして、大晦日を当てに大呑みの場処も定めぬ。
【125ページ】
----、金は敵薬ぞかし、現在うけ合いしは我れに覚えあれど何のそれを厭う事かは、大方お前が聞ちがえと立きりて、烟草輪にふき私は知らぬと済ましけり。
【128~129ページ】
----、子は三界の首械(くびかせ)といえど、放蕩(のら)を子に持つ親ばかり不幸なるはなし、切られぬ縁の血筋といえばあるほどの悪戯を尽くして瓦解の暁に落ち込むはこの淵、知らぬと言いても世間の許さねば、----。

[Ken] 124ページの「伊皿子」は、お昼休みの散歩でよく通りますが、今ではすっかり高級住宅街に様変わりしています。明治27年当時は「伊皿子あたりの貧乏人」とあるように、かなり庶民的な街だったのですね、これには驚きでした。
125ページの「烟草輪にふき」は、たばこの煙を吐くときに煙が輪になるようにすることで、漫画でいうとポパイがしばしばパイプたばこでやっていました。
128~129ページの「子は三界の首械」の「三界」とは、仏教でいう過去・現在・未来のことです。そして、「首枷」とは、罪人の首にはめて自由を奪う道具ですから、子どもを首枷にたとえるのはどうかと思うのですが、「親が抱く子どもへの愛情はたいへん深く、それゆえに「子どものために自由を奪われること」という意味になります。
私は5月で63歳になりましたが、この文章を読んで自分自身も「両親の自由をいかに奪ったのか」と考えさせられました。同時に、親となってその重みを痛感させられ、かつては「とても出来ない我慢」と思えたことにも、冷静でいられるようになった気がします。(つづく)
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