片想い 向田邦子 | |
クリエーター情報なし | |
飛鳥新社 |
☆☆
強烈なラブレター。
かっこいいぐらいの、片想い。
昔はこんな男いてたんですな。
「あ・うん」の中の、主人公に親友である、門倉みたい・・・。
向田邦子の仕事仲間であった、菅沼定憲さんのいまだ心の整理がつかない叫び。
「恋人とはすぐに別れられるけど、友達は永遠のパートナーだ」。
片想いとは優柔不断のレッテルを貼られ、時にはストーカー行為の源泉とされ、
好きになったら突き進め、フラれたらあっさり諦めて次を探せの時代。
そんな中でも、抱いてはいけない、抱かれてはいけない、
抱いたら永遠に続くはずの友情がなくなってしまう・・・・と。
でも男女間で友情とは存在するのか、
なぜ著者はそれほどまでに向田邦子との友情にこだわり続けるのか、
仕事上の彼女の才能に惚れこむでいるからか。
でも、ドラマの中の台詞のすばらしいこと、
多くを語らず、それでいて余韻ある情景・・・。
少しご紹介しますと・・・。
あの「あ・うん」から、門倉が恋心を隠して親友の家で仙吉の妻たみと交わす会話、
戦争が厳しくなり、門倉の会社が倒産した後の状況。
門倉「素寒貧になっちまったけど、奥さん、いままで通りつきあってもらえますか」
たみ「門倉さん、わたし、うれしいのよ」
門倉「・・・・・・・・・・・」
たみ「門倉さん仕事がお盛んなのはいいけれど、うちのお父さんと開きがありすぎて
わたし、辛かった。口惜しかったもの。これで同じだと思うと・・・・・、うれしい」
門倉「ありがとう」
門倉がたみに注がれた酒を飲む。
これを二階から降りかかって階段の途中で覗いていた娘さと子のナレーション。
さと子の声「もしかしたら、これがラブシーンというのではないでしょうか・・。」
そして、向田邦子は短い台詞の間に巧みに沈黙を挿入すると、
男「キミが好きだ」
女「・・・・・・・・・」
男「他に上手い言葉が見つからない」
女「・・・・・・」
邦子曰く「大切なのは間なのよ。私はそれを寄席で学んだの。」
「文七元結」にでてくる俳句、「闇の夜は吉原ばかり月夜かな」
これをどこで間をとるかで意味が正反対になるじゃない、と。
「闇の夜は」で間をとって「吉原ばかり月夜かな」では、
闇夜でも遊郭だけは賑わっていると、
「闇の夜は吉原ばかり」で間をとって「月夜かな」ってやると、
月夜でも遊郭だけは深く沈んでいると、
どこで間をとるのか、どちらの解釈を選ぶのか、噺家によって違うところが凄いと。
言葉のこだわり派が落語が好きなんて嬉しくなりますな・・・。
この本で紹介されていた、向田邦子さんの「思い出トランプ」と、
娘の向田和子さんの「向田邦子の恋文」は早々に、読んでみようと思う。
「・・・・・・・・・・・・。」
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