ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

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たちどまって考える~ヤマザキマリ

2021-03-11 07:07:07 | 本の少し
☆☆☆☆☆

なかなか骨のある本でおます。ヤマザキマリさん、漫画家、文筆家の肩書だけではなく世相評論家とでもいうべき今のパンデミックで動きを止めた社会に、自ら「考える」ことの重要性を説く。

・イタリアのヴェネツィアでは、カフェやレストランといった飲食店の多くが中国人オーナーになっている、イタリア全土には約30万人の中国人が暮らしている。(こんなにまで弱体化した伊に中国が侵食しているとは)
・世界が同じ一つの問題に同じタイミングで向き合っているのを、リアルタイムで見つめる機会もそうありません、だからこそ、このパンデミックへの各国のリーダーたちの対応や姿勢を比べてしまう。(菅首相にメルケル首相やマクロン首相、コンテ首相の違い)
・「開かれた民主主義に必要なのは政治的決断を透明にして説明することと、その行動の根拠を伝え、理解を得ることです」(メルケル首相の演説)
・「不要不急」に象徴される日本の曖昧さ、責任不在、「東京アラート」もしかり。(基本として「お願い」によって感染を抑制するという日本のコロナ対策は、どの組織が責任をもって発言しているのか曖昧です)

こんな時こそ、たちどまって考える、社会や自分に向き合うことのできる。
・自分を知るには映画や本や音楽は自分で自分を知る鏡としては最高の素材になります。(本はほんと、たちどまって考えるきっかけと時をくれます)
・西洋化の歪み。かつて日本は、西洋の列強国の存在を知り、自分たちと比較をして劣等感をもち、まずは形から、まげを切り、刀を持ち歩くのをやめ、洋装に着替え、政治の構造も西洋式フォーマットに測って改革を進めました。その「文明開化」が拙速すぎたゆえ、生じた歪の影響がまだ続いているのはないかと。(領地の植民化は免れたが、心の植民地化は深く浸透しているような)
・SNS上に見る凶暴な言葉の刃、頻繁に起こるネット上の炎上。(近代になって「誰でも自由に思ったことを発言するのがデモクラシー」という西洋式習慣が推奨される一方、日本人がいまだに言語の持つ凶暴性を扱い慣れていないと)
・「失敗したくない」という病。(外国語の習得や、国内のマスコミ報道、はたまた政治の国民への広報一つとっても、伝えようとする気持ちではなく、上手にやろう、失敗してはいけない闘、心のないものになっている)
・リモートとエッセンシャルワーカー。(エッセンシャルと聞くとシャンプーしか浮かばないのですが、本来(必要不可欠な)の意。エッセンシャルワーカーとは医師などの医療従事者やスーパーマーケットで働く人など、「人々が社会生活を維持するうえで、必要不可欠な仕事に従事する人」と。そういわれると改めてアパレルに従事した自分の仕事、社会における必要性、重要性、など改めて考えさせられますな。・・もちろん裸で暮らすわけではないですし、終始単なる衣料ではなくファッションを提案してきたのですが、そこには着る喜び、着れば身も心も晴れやかになって元気になると、優先順位ではどこにくるかわかりませんが携わってきました。まあそんな、ゆとりの感じる世の中に早くなって欲しいですな)

まあ、いろんな意味で「たちどまって考える」、そんな本でおます。






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