~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

宮澤賢治が教えてくれたこと

2012-05-10 23:07:52 | 日記
東日本大震災があり、再び宮澤賢治の言葉が多くの人の心を

響かせています。

賢治の誕生する2カ月前に、三陸地震津波があり生れて5日目に

陸羽地震(りくう地震)があり母が、えじこ(乳幼児を入れる籠)に

賢治を入れ、両手でかかえながら自分の上体でおおって念仏を

唱えていたそうです。

賢治の亡くなる半年前には、三陸沖地震がありました。

賢治は詩人の大木実への地震の見舞い礼状に「海は実に悲惨です」

と、書いています。

賢治は地震と共に生まれ、地震と共に去って逝ったと言えるかも

しれません。

賢治は妹トシだけではなく、たくさんの亡くなった魂の存在を

感じていたのかもしれません。

先日、「銀河鉄道の夜」を読んでいた息子が、「これって死が

テーマなの?」と聞いてきました。

私も、最初に読んだ時は、何だかファンタジーの世界の様な

気がしてましたが、これは確かトシの死の後に書かれた

もので、死してなお生き続ける魂(いのち)が主旋律となった

物語りだと今は思っています。

悲しみと苦しみが渦巻いている時代を生きた賢治

そして2011年3月11日、東日本大震災の後

賢治の言葉が日本人の心を支えています。

先日テレビで、津波で家も何もかも失った女性がこれから

どうしていったら良いのか分からなくなり、何も出来なく

なった時、賢治の「雨ニモマケズ」中の

「一日玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ…」というのを

読み、避難所にいた時と同じだと思った時、「あー、何十年前の

生活に戻ればいいんだ」と思い、立ち上がることが出来た

と言ってました。

今、新聞でもテレビでも盛んに、夏の電力不足をアピールして

います。

そして、原発が止まることが日本の危機の様に訴えています。

日本人が、数十年前の生活に戻る覚悟があれば、

大丈夫なんだと、この方の話を聞いて思いました。

 賢治さん、賢治さんの目には今の日本はどう映って

いますか。

私達のすることは、震災前に戻すことじゃないんですよね。

私の知っている宮澤賢治の悲しげな目が、尚いっそうの

深い悲しみを増してきている気がしています。








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