初女先生の講演会をする時に、行政に後援申請に行くと
先ず聞かれるのが「何をしている人ですか」です。(役所の人は
初女先生もガイアシンフォニーも知らない人が多いのです)
先生のことを説明すればするほど上手く伝わらなくなって…
カウンセラーですか?エッセイスト?料理研究家?
役所の人の求める答えは、どれも先生から遠く離れていて
私は、思いあまって「マザーテレサのような方です。」と言うと
すぐに納得され書類を受け取っもらえるのです。
これって何なのでしょう…
マザーテレサと聞くと、誰もがマザーの献身的な愛を思い
浮かべるからでしょうか…
私もマザーテレサのことをよく知っているわけではありませんが
初女先生の愛とマザーの愛が繋がっているような気がするのです。
でも、勝手にマザーテレサなんて言ってしまっていいのかしらと
思うところもありました。
ところが、今日買った雑誌の表紙に
「日本のマザーテレサ 佐藤初女」と書いてあったのです。
やっぱり、初女先生はマザーなんだ!と思ったら嬉しくなって
しまいました。
先生のページを開くと「日本のマザーテレサ 佐藤初女さん
いのちのおむすび 食べることは生きること」と書いてあり
この短い言葉に先生のすべてが凝縮されているようで
何度も読み返してしまいました。
先生のひろげた掌についている3粒のご飯粒の写真には
「手に着いたご飯粒をひとつひとつ丁寧にとって、
おむすびにつけて、また握る。その作業は詩的でさえある」
というコメントが添えられていました。
「初女さんのおむすびを口にした。口の中でご飯がはらはらと
ほどけた。」
そして、その後に続く先生の言葉
「ご飯の一粒一粒が呼吸しているのがわかるでしょう?」
もう、この文章を読んだだけで、一生に一度でいいから
初女先生のおむすびを食べたいと思う人が、どれだけいること
でしょう…
11月の三浦の講演会、そして「おむすび講習会」に向けて
私は心が洗われていくような気がし、本当に丁寧にやりたいと
思いました。
初女先生の「私は調理するときは、食材とのいのちと心を
通わせるようにしているの」と言う言葉に、やっぱり
初女先生は日本のマザーテレサだと思いました。
この雑誌の題もしゃれてました。
「嗜み(たしなみ)」
日本人が忘れていた言葉です。
先ず聞かれるのが「何をしている人ですか」です。(役所の人は
初女先生もガイアシンフォニーも知らない人が多いのです)
先生のことを説明すればするほど上手く伝わらなくなって…
カウンセラーですか?エッセイスト?料理研究家?
役所の人の求める答えは、どれも先生から遠く離れていて
私は、思いあまって「マザーテレサのような方です。」と言うと
すぐに納得され書類を受け取っもらえるのです。
これって何なのでしょう…
マザーテレサと聞くと、誰もがマザーの献身的な愛を思い
浮かべるからでしょうか…
私もマザーテレサのことをよく知っているわけではありませんが
初女先生の愛とマザーの愛が繋がっているような気がするのです。
でも、勝手にマザーテレサなんて言ってしまっていいのかしらと
思うところもありました。
ところが、今日買った雑誌の表紙に
「日本のマザーテレサ 佐藤初女」と書いてあったのです。
やっぱり、初女先生はマザーなんだ!と思ったら嬉しくなって
しまいました。
先生のページを開くと「日本のマザーテレサ 佐藤初女さん
いのちのおむすび 食べることは生きること」と書いてあり
この短い言葉に先生のすべてが凝縮されているようで
何度も読み返してしまいました。
先生のひろげた掌についている3粒のご飯粒の写真には
「手に着いたご飯粒をひとつひとつ丁寧にとって、
おむすびにつけて、また握る。その作業は詩的でさえある」
というコメントが添えられていました。
「初女さんのおむすびを口にした。口の中でご飯がはらはらと
ほどけた。」
そして、その後に続く先生の言葉
「ご飯の一粒一粒が呼吸しているのがわかるでしょう?」
もう、この文章を読んだだけで、一生に一度でいいから
初女先生のおむすびを食べたいと思う人が、どれだけいること
でしょう…
11月の三浦の講演会、そして「おむすび講習会」に向けて
私は心が洗われていくような気がし、本当に丁寧にやりたいと
思いました。
初女先生の「私は調理するときは、食材とのいのちと心を
通わせるようにしているの」と言う言葉に、やっぱり
初女先生は日本のマザーテレサだと思いました。
この雑誌の題もしゃれてました。
「嗜み(たしなみ)」
日本人が忘れていた言葉です。