~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

二つの年齢

2010-10-19 21:14:17 | 日記
私は、人間は二つの年齢を持っているような気がします。

一つは実際の年齢で、実年齢。もう一つは魂の年齢。

年を重ねていても、精神が幼い人は魂年齢が低いんだなと、私は

思います。

仕事の関係で知り合った青年は、魂年齢が相当」高いだろうなと、

私は思っています。

彼は重い身体障害を持っています。その彼が一カ月くらい前に、

お兄さんを亡くしたのです。

私達は、どんなにショックをうけているだろう…

何とことばを掛ければよいのだろうと、心を痛めていました。

ところが、彼はいつもと変わりなく、どこまでも穏やかでした。

彼は十代だけれど、魂の年齢は私なんかより、ずっと上なんだ

と、わたしは思いました。

彼の心の中には、悲しみや苦しみが一杯あると思いますが

それを少しも見せず、廻りを気遣い、何に対しても丁寧に向き合う

十代のこの若者を、私は心から尊敬しています。

彼の魂が重ねて来た年月の崇高さを感じます。

私の魂年齢は、いったい何歳くらいなんだろう…

やっと、小学校に入ったくらいかしら…



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記念日症候群

2010-10-18 21:42:00 | 日記
今日は、小学校の朝の読み聞かせに行ってきました。

長男が6年生の時に、読み聞かせの親のボランティアを立ち上げ

次男が入学した年から、朝の読み聞かせの活動がはじまりました。

子どもは遙か昔に卒業しましたが、親たちは残って活動しています。

このところ、忙しくてご無沙汰してましたが、久し振りに絵本を

持って学校に行きました。

3年生の教室でした。「ソメコとオニ」では子どもたちは笑ってくれ

この本の面白さが分かってくれたようでした。

「ばあちゃんのおなか」の方は、奇想天外の発想に最初から笑いが

起こりましたが、ばあちゃんが死んでしまうあたりから、真剣に

聴いてくれました。

久し振りの読み聞かせに、私も嬉しくなって帰って来たのですが

夕飯を作っている時に、ふと、3年生か…3年生ってまだあんなに

幼いんだと思ったら、涙がでてしまいました。

息子が、お兄ちゃんを亡くしたのが3年生だったからです。

あんなに小さくて、よくあの悲しみに耐えたなーと、今更ながら

驚き、胸が熱くなりました。

息子のギターの中には、いまだにディズニーシーで撮った、兄との

最後のツーショット写真が貼ってあります。

来週は命日が巡ってきます。

誰かが記念日症候群と言ってましたが、こんなに年数を経てもまだ

命日や誕生日は、ダメです。

今日も、夕方の空の暗さに息子が倒れた日のあの重く暗い空が重なり

ました。

夕飯を作っていると、思い出そうとなんてしてないのに、息子が倒れた

知らせを受けた時も、こうやって夕飯を作っていたなーと、思ったら

それだけで、涙が出て止まらなくなりました。

みごとに記念日症候群にやられてます。

ひとしきり台所で泣いて、それからご飯を作ったのですが

やっぱり、そんなに美味しくは出来ませんでした。

何年たっても、命日や誕生日という記念日が近ずくと、記念日症候群

にやられてしまう私です。

「母さん、泣くなよ」と言う、あの子の声が聞こえてきそうです。

「分かってはいるけれど…」でも涙がでちゃう、泣き虫母さんです。



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拝啓 倉本 聡様

2010-10-17 20:03:36 | 日記
昨日、カキフライにキャベツを添えて出したら、主人が「きざんだ

キャベツの細さで、愛情が分かると確か倉本聡が言っていたなー」

というのを聞いて、随分前に倉本聡が講演会で「スーパーの野菜

売り場で、一生懸命いい野菜を選んでいる主婦の姿に、家族への

愛情を感じる。」と言っていたのを思い出しました。

ふと、倉本聡が初女先生のお料理を食べたら、泣いてしまうかも

しれないと、思いました。

私は、初女先生のお料理を初めて食べた時、涙が止まらなく

なりました。

食べていたら、頑張って生きて行こう!という思いが、自然に生れて

きて涙となってしまいました。

初女先生は、「私は食べただけで涙が出てくる食を、これからも求めて

行きたいと思っています。」と言われています。

美味しい料理を作る人は、いくらでもいますが、涙が出てくるお料理は

私は、初女先生の他には知りません。

きっと、初女先生の食材を扱う優しさが味となり、心に響き心を支えて

くれるからでしょう。

拝啓 倉本聡様

極細のせん切りキャベツの愛より深い、涙のでる料理を作る人がいる

ことを、貴方は知っていますか…

その人の名は、 佐藤 初女さんです。
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遣わされた人

2010-10-16 22:42:38 | 日記
時々、初女先生は神様が遣わして下さった方かしらと思うことが

あります。

なぜなら、初女先生に出会った人達がどんどん元気になって行かれる

からです。

初女先生と直接言葉を交わされなくても、講演会でお話を聴いたという

だけで、自分の置かれている状況は変わらなくても、その中で喜びや

幸せを感じられるようになって、歩き出して行かれるのです。

私は以前、先生は持っているもの全てを皆に差し出され、ご自分は

夕鶴の「つう」のように、どんどん痩せて行かれるのかと思っていました。

でも、そうではなく先生も出会った方からエネルギーをもらい元気に

なっていかれるのです。

毎日、一時の休みも与えられないくらいの忙しさの中で、疲れていても

先生は講演会から帰って来ると、不思議に元気になられている

そうです。

初女先生が、ひた向きに行動なさっているお姿に、神様の愛と恵みを

感じます。

身を粉にして人の為に働かれる方は、マザーテレサもそうですが、

神様や仏様から遣わされた方の様に思います。

私は今日も祈ります「まだまだ沢山の人が、初女先生を必要としています。

どうか、先生の健康をお守りください!少しでも先生のお疲れを

取り除いて下さい」と…

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一年がたちました

2010-10-15 21:30:28 | 日記
去年、イスキアに行って帰って来たら、ホームページの管理人さんが

書いてごらんなさい!と言うようにブログを作ってくれていました。

ブログなど見たこともなかった私です。

何をかけばいいのかも分からず、心に浮かんだことを書きだしました。

初女先生へのラブレターです。と言いながら…

管理人さんに、ブログって何日に一回ぐらい書けばいいの?と聞いたら

「毎日書けたらいいねー」と言われ、ひどく驚いたのを覚えています。

毎日なんて無理!と思いながら気がつけば、一年間ほぼ毎日書いて

いました。

小さい時から、日記は何度チャレンジしても続かなかったのに、

読んで下さる方がいると思うと、何となく続けられました。不思議です。

時には、ブログで天国の息子と心を通わせながら…

自分の中でよく発酵してないまま言葉にしてしまっていることも

あり、振り返ったら立ちすくみそうです。

でも、恥はかき捨てで、書いています。

 子どもが亡くなった時、色々苦労をしている人に、「私より貴方の方が

不幸ね。貴方を見ると、自分はまだ幸せだって思える」と言われ

自分も少しは役に立っているのかと、思ったことがあります。

随分、後ろ向きな生き方をしていた頃に…

今、私は深い悲しみを抱いていても、幸せを感じて前を向いて

生きていけるんだ!という事を、私を見て知ってもらえたら!なんて

思っています。

息子が亡くなった時、今までの自分の人生をすべて否定されたようで

どこに向かって歩き出せばよいのかも分かりませんでした。

すがるような思いの中で、道しるべが二つ見えてきました。

子どもの喜ぶことを、子どもが祝福してくれることをする。

いつの日か子どもに会った時に、「母さん、悲しみに負けないで

頑張って生きてきたよ」と言いたい。

その二つのことだけを心に刻み歩きだしました。

そして初女先生との、未来をひらく出逢いを頂いたのです。

10月、あの子の9回目の命日が巡ってきます。

ブログを通してあの子のことを、いろいろ話してしまいました。

天国から「お母さんはおしゃべりだなー」って言っていると思います。

そして、「お母さんの、字だけのこんなブログを読んでくれる人が

いるってことに、感謝しなくちゃね!」と言っていることでしょう。

これからは、思いを発酵させてから言葉に載せたいけれど…

また、スタートと思って書いていきたいと思います。

読んで下さる方が、どれ程私の支えとなっていることか…

本当に感謝です。有難うございます!

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人生で大切なこと

2010-10-14 22:10:42 | 日記
遅ればせながら受験勉強に入った息子は「時間がない、

追い込まなくちゃ!」と言って極めて近視眼的視線で自分の人生の

これからを見つめています。

そんな息子に、私はさり気なく「人生は出会いだよ。出会いによって

大きく変わるから、もしかしたら出逢いがすべてかも…」

などと、時々呟いてますが、果して子どもの心に届いているか…

初女先生の講演会の演題だった「出会いは未来をひらく」は

本当に宇宙の真理だと思います。


    出会いには人生を変える力があり、

    今までのすべての出会いが、

    私のこころに深いものを残してくれています。

  (出会いが次の喜びに伝わっていくので、そんな体験をすると

   何物にも代えられないのです。)
                       佐藤 初女


              「出逢い」

     その時の出逢いが その人の人生を

              根底から変えることがある


     出逢いが 人間を感動させ 感動が人間を動かす

     人間を動かすものは むずかしい理論や 理屈じゃない

     人間を根底から変えてゆくもの 

     人間を本当に動かしてゆくもの

     それは人と人との出逢い

     そのときの出逢い

                    相田 みつを 
 
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17歳の詩人さん

2010-10-13 22:24:13 | 日記
新聞の投稿に、心惹かれるものがあり、思わず切りぬきました。

17歳の祐痲さんの投稿です。


 「 私は軽度の自閉症です。知的障害がない為、15才まで知らずに

 生きてきました。他人とのコミュ二ケ-ションが苦手で、小学校3年

 から不登校に。高校は進学しませんでした。小学6年の時の担任の

 先生にに「授業の一つとして詩をかいてみたら」と言われました。

 私の詩を読んで、先生や母親が褒めてくれました。

 そして私は詩を書くようになりました。だけど、学校には行かないし

 詩を書く以外何もしない。そんな状況に「私、生きていていいのかな」

 と思い、うつ病になりました。

 そして医者から「あなたは高機能自閉症です」と診断されました。

 両親が私を受け入れてくれるか心配でしたが、両親は「祐痲は祐痲

 だから」と言ってくれました。

 私は両親に支えられていることに気づきました。

 今度は私が、苦しんでいる人達の力になりたいと思いました。

 詩集を自費出版することにしました。

 多くの人に読んでもらい、笑ってもらえたらいいな。」


17歳の詩人さんからの投稿を読み、何だか温かい気持ちになりました。

「祐痲は祐痲だから」と受けとめてくれたご両親の思いを、祐痲さんは

しっかり受け止め、苦しんでいる人の役に立ちたいと思ったんですね。

そして、詩集を自主出版!

すごいなー!すごい!

苦しみを通って来た人は、自分の為ではなく、人のために何かしたいと

思うのですね。

そして、それが自分で思っている以上の大きな力になって

いくのでしょう。

祐痲さんの投稿を読んで、人は誰でもお役目が与えられているんだ。

そのお役目に気づかず、一生を終る人もいるけれど、悩み苦しむという

ことは、そのお役目に気づくチャンスなのかもしれないと思いました。

「祐痲は祐痲だから」と言われたご両親に育てられた、祐痲さんが

紡ぐ詩を、私も読んでみたいなー

  
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母親って

2010-10-12 21:31:55 | 日記
姜尚中さんの「母(オモニ)」を読んだら、三浦綾子さんが

小林多喜二の母を書いた「母」という小説を思い出しました。

姜さんの母(オモニ)も多喜二の母も、働き抜いた母でした。

そして、生活の真ん中にしっかりと立っていました。

私は、家事の真ん中には居るけれど、生活の真ん中にいるとは

とても、言えません。

それでも、息子にとっては母なのです。

しかし、いのちを授かり、いのちを生み育む母の原点は

こんな私の中にも、しっかりとありました。

 子どもが倒れた時、私は心から自分のいのちと引き換えに、

この子を助けてほしいと祈り続けました。

自分のいのちがなくなることなど、少しも怖くはありませんでした。

子どもは、自分のいのちに替えても守りたい存在なのです。

そして、子どもはいくつになっても、子どもなのです。

 息子を亡くし、何も出来なくなった私の処へ、70を過ぎた母が

毎日のように通って来てくれました。

主人が「悪いですね。」と言うと母は「娘ですから、娘ですから」を

繰り返していました。

孫を亡くした悲しみよりも、娘の私のことを心配していてくれたのです。

でも私は、母が次男を呼ぶ時に、よく間違えて亡くなった長男名前を

呼ぶので、母の気持ちよりも、そのことに苛立っていました。

いつか母に謝り、そして有難うと言わなければ…

 親というのは、特に母親というのは、いくつになっても自分の

ことより、子どもの幸せを願うものなのかも知れません。

多分、私がもっと歳を重ね、自分のことがおぼつか無くなっても

子どもの幸せが、自分の幸せだと思っていると思います。

母とはそういうものなのです。きっと…
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ダライ・ラマの言葉

2010-10-11 23:22:37 | 日記
今日は、何だかダライ・ラマの言葉を反芻してみたくなりました。


      慈悲と人を愛する優しさを

        心のなかにもっていれば、

      何かが自然に

        あなたの内面にある扉を

      開けてくれるのです。

        それを通じて、

      あなたたちは他の人々と

        ずっとたやすく

           心をかよわせることが

      できるようになるのです。

        あたたかな気持ちは

      開かれた心を生み出します。

        すべての人間が

      あなたと同じであることがわかり、

        もっとたやすく

      人間関係を育てていくことができます。

          
          ダライ・ラマ     
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さらけ出す

2010-10-10 19:31:35 | 日記
晴耕雨読の言葉に従うように、昨日から読みだしていた姜尚中の

「母」を読み終えたところで、不思議な気持ちに包まれています。

今朝の新聞で読んだ記事と、姜さんの本と自分の体験が、私の中で

一つに繋がったのです。

その記事には「弱さをさらけ出す」という題がついていました。

「いじめ」をテーマにしたワークショップで、自分のしてきた

いじめを、受けたいじめを絵に描き語るというもので、その体験

から「弱さをさらけ出しても、批判されることも無く、受けとめて

もらえた時、自分自身の問題に向き合える力がわいてくるもの

なのだと、気がついた」とありました。

人には話せない、深い悲しみや苦しみを持っていると言う事は

本当に苦しいことです。

そこから解放されるには、耐えて黙することではなく、沈めていた

ものを、さらけ出す(言葉は適切でないけれど)ことなのかもしれない

と思いました。

私も、子供を亡くしたことを、限られた人にしか言えない時期が

何年もありました。

言えば、気の毒にという目で見られるし、自分もどこか特別な体験を

しているような、言い方を相手にしてしまうかもしれないと思ったので…

それが、初女先生の講演会をきっかけに、自然に言えるように

なったのです。今でもなぜかは分かりません。

姜さんは、朝鮮人だという事を忌み嫌い、ずっと永野鉄男として

生きてきましたが、両親の母国を訪れ帰って来た時に、姜尚中として

生きて行こうと思ったそうです。

人は心の中に深くしまっておいた、辛い苦しいものをさらけ出した時に

本当のその人の生き方というものが、出て来るように思えるのです。

このことは、すべての人に与えられていることのように思います。

そういう事を、私は勝手に「宇宙の真理・宇宙の法則」だと

思っています。

一番大変なことが、人生をひらく鍵となる…







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