~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

獄中のノーベル賞

2010-10-09 18:55:15 | 日記
今、世界中がこの獄中のノーベル賞受賞者、劉氏のことで沸いて

いるのでないでしょうか。

前回、「核兵器なき世界」を目指すという実績がないままに与えられた

オバマ大統領のノーベル平和賞に、この賞の価値が下がった気がして

ました。(佐藤 栄作氏の時もそうでしたが)

しかし、今回の劉氏の平和賞には勇気と希望を感じました。

中国の圧力にも屈せず、この賞を与えたノルウェーとう国の勇気!

そして、この平和賞がこれからの中国の民主化へ、人々の平和に

繋がっていく、礎になることへの希望の光を感じます

劉氏はインターネット以前の活動について、文章は郵便で送れないの

で外国の大使館などのファックスを借りて海外に送っていたそうです。

それが、インターネットで一変したそうです。

「メールを使えばあっという間に私の文章が世界中に掲載され、

ネット上の署名活動は何千人と集められる。

自分の意見を自由に伝え、沢山の人間をまとめる力がネットには

ある。」とネットを武器にした民主化運動が「08憲章」に結実

したそうです。その後、中国政府がネット統制を強め、投獄された

そうです。

そういう中での、今回のノーベル平和賞の意味は、本当に深いと

思います。

新聞に撮影日時不明とある、劉氏の写真が載っていました。

弥勒菩薩のようだと言っていた人がいましたが、神々しさを

感じます。

僧侶のようでもあり、ふとダライ・ラマを思い出しました。


   「私たちのすべて、抑圧者も友人も含め

    全員のために 私は祈ります

    人間に対する 理解と愛を通じて、

    より善き世界の建設に 成功しますように。

         そうすることにより

      生きとし生けるものの苦痛を、

    和らげることができますように……。」
         
        1989年12月10日 ノーベル平和賞受賞スピーチ

              ダライ・ラマ

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開いたページに…

2010-10-08 18:18:27 | 日記
昨日、今日と障害者の人達とバーベキューに行きました。

二日間やらないと、全員が参加できないので、連日のバーベキュー

となったのです。

さすがに夕食を作る元気も無く、横になってしまいました。

そして考えることは、手を抜く献立ばかり…

何気に、側にあった初女先生の本を開いたら、私のこの態度を見越し

たような先生のお言葉に、ハッとさせられました。


  「あるときに神父様から「あなたにとって祈りとはなんですか」

  と尋ねられ、とっさに「私の場合は生活です」と答えました。

  私は傍から見ていると、めったに座って祈らないといわれます。

  でも、今ここに本当に食べられないでいる人、病んでいる人が

  いたときに、いくら手を合わせて祈っても、思いはその人には

  すぐには伝わりません。

  手を合わせ祈るのは「静の祈り」、同じことを心に抱きながら、

  行動するのが「動の祈り」だと思います。

  私は、この生きている瞬間瞬間が祈りだと思っています。

  だから、お茶をいれて、おいしく一緒に飲みましょう

  というのも祈り。

  わたしにとっては、生活すべてが祈りです。」
                          佐藤 初女


いかに、楽をしようかと考えていたら、この言葉です。

初女先生に降参です。

そうだ、息子は今日で中間試験が終わり、その後予備校へ行ったのだ。

今、食べることが唯一の楽しみの息子です。

その息子に私が出来る唯一の事が、ごはんを作ること!

一粒残さず食べて来るお弁当箱を見ると、私だけの細やかな幸せを

感じます。

初女先生の言葉に元気をもらい、今日の私の「動の祈り」を始めよう…



  
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紙と墨の関係から

2010-10-07 19:05:30 | 日記
昨日は「書」のお稽古で、臨書作品に取り組みました。

いつもやっている中国の古い書の臨書を、作品にしようというものです。

紙も6枚と制限があり、その6枚で作品にしようという試みでした。

いつもと違う高級な柔らかい和紙です。

この紙と向き合った時、今までのことはすべて忘れ、初めて筆を

持つような気持ちになりました。

そして書き終わった時に、「書」とは全く関係のない気づきが

与えられた気がしました。

それは、 初女先生の言っている「聴く」という事の気づきでした。

先生は、「話したい人は沢山いるけれど、聴く人がいないのよね」と

言われています。先生の「聴く」という事は、自分の考えや意見を

入れず、真っさらな気持ちで聴き、その人がどんな考えであろうと

一旦はそれを受けるというものだと、私は思っています。

初女先生は、人は自らの中に答えを持っているという確信を持って

おられます。

ですから、先生は一心に聴き、その人が自分の中に持っている答えに

気づくことを待たれるのです。

「聴く」ことをとても大切にされています。

でも、この聴くが本当に難しいのです。

私は、自分には到底できないと思っていました。

そんな私に、昨日の臨書作品の体験が、大きな気づきを与えて

くれたです。

紙を前にした時、今までのことをすべて忘れて向き合い、そしてその紙

に墨ががしみ込んでいくのを見ていたら、墨のにじみも含めすべてを

吸い取る(受け入れる)和紙のすごさを感じました。

その時、初女先生の「聴く」ということが、私の中でこの「書」の

体験と結びついたのです。

頭で考えていても分からなかったことが、全く関係のない「書」から

気づいたのです。

と言っても、果して自分が初女先生の「聴く」に近づけるかどうかは

分かりませんが、今迄気がつかなかった何かを感じた!と思いました。

難しいことは、頭で考えず体験を積み重ね自分のものにしていくと

いうことが、私の出来る事かなと思いました。

初女先生の「聴く」に一歩でも近づきたいという思いを、抱きながら…
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新聞記事に想う

2010-10-06 21:47:01 | 日記
探し物をしていて、手帳に挟んであった古い新聞記事を見つけました。

横田めぐみさんのお母さんの言葉が切りぬいてありました。

 「9月17日、外務省からめぐみが「死亡した」と聞かされた時には、

 息が止まるほどの衝撃を受けました。でも、「ちょっと違うな」

 とすぐ気が付いて、「こんなことは絶対信用しませんから」と

 泣きながら言いました。

  先日、新潟で、現場とされる夜の海に行きました。

 放送局の照明で、すごく大きな波が押し寄せているのが見え、

 拉致のむごさを改めて感じました。

 何億人に一人のような出来事が、たまたま私達に降りかかり、

 突然、考えたこともない人生になりました。
 
 でも、あの子の悲しみの中にあって、いろいろな方々とめぐり合い

 善悪のような、一番大事なものが見えるようになりました。

 勿論、人間ですから、完璧なものではありません。

 それでも、いろんなことを教えられ、大事なことを考えさせられる

 人生にさせてもらった、と思っています。」

と書いてありました。今、読んでも深いものを感じます。

この新聞記事は、2002年の手帳に挟んでありました。

息子が亡くなった翌年の手帳です。

まだ、悲しみの真っ只中にあった時です。

めぐみさんのお母さんの言葉に、自分の人生を見つけようとしていた

のかもしれません。

初女先生は、人に起こることは自分にも起こり得ると言われていました。

そうやって考えると、他人事などというものは、一つもありません。

悲しみと苦しみの中で、めぐみさんのお母さんが自分達の人生を

このように捉えているということに、深く響き私はこの記事を

切り抜いて置いたのでしょう。

8年たってこの記事を読み返してみると、めぐみさんのお母さんの

言葉に重なる私の人生がありました。



   
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天に届く歌

2010-10-05 20:58:12 | 日記
高三の息子も、やっと受験生らしくなってきました。

来年は大学生です。

実は、家族で決めている約束があります。それは、大学生になったら

家をでること!です。

私達にとっては、身を切られるようなことなのですが、9歳で兄が

亡くなり、いきなり一人っ子になってしまった息子を、目の中に

入れても痛くない程可愛がってきたので、この子を自立させるためには

一人暮らしをさせなくてはと、思ってきたのです。

いよいよ私達も覚悟する時が、迫ってきました。

そんな中で、先週の土曜日に家族でコブクロのコンサートに行きました。

これが、3人で行く最後のコンサートになるのかしらと思いつつ…

今回は、初めてのスタジアムライブでした。

確かに音は悪いけれど、風を感じ、自然の中で刻々と刻まれていく

時の中に身を置き聴く歌は、特別なものでした。

空が夕方の明るさを失う瞬間、「蕾」が歌われました。

コブクロの小渕さんが亡き母を想い作った歌です。

天に向かって一心に歌う小渕さんの歌に、この人もまた深い悲しみを

知っている人だと思いました。

新曲の「ブルーバード」を歌う時、小渕さんが「僕は幸せの青い鳥って

何で、青い色なんだろうって思っていました。

そうしたら、見上げたら青い空があったんです。

幸せはいっぱいあるけれど、青い空にまぎれて見えないんじゃないか

って思えたんです」と言ってました。

私は、ふとボクネンさんの「幸せの方が多いいんだよ」という言葉を

思い出しました。

もしかしたら、あの子も幸せの青い鳥かもしれない!

青い空にまぎれて見えないけれど、私達に幸せを運んできてくれる…

だから、悲しみはあるけれど幸せを感じられるのかもしれない…

あの青空の中にある、あの子が運んで来てくれる幸せを

見つけなければ…
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金木犀に包まれて

2010-10-04 22:33:51 | 日記
今年の秋は、どうも季節のバトンタッチが上手く成されないのか

晩秋を想う日があるかと思うと、残暑の残り陽を感じる日もあります。

何だか、病んだ地球が発熱しているかのような、陽気です。

でも2~3日前、何処からともなく漂ういい匂いに気がつきました。

金木犀です。

こんな大変な気候の中で、今年も咲いてくれたのね。と嬉しく

なりました。

10月は子どもの命日があるので、いつもより心を頑張らさなければ

ならない月なのです。

その時、決まって金木犀の香りが私を包んでくれるのです。

金木犀はいつ咲いたか分からないような、小さな小さな花です。

あの地味花のどこに、これほどの香りがあるのだろうと思うのですが…

神様のお心は、小さな小さな花の一つ一つにもちゃんと届いているん

だな。と金木犀の咲く季節になるといつも思うのです。

本当に辛い時、この慎ましやかな自然が、折れそうな心を支えて

くれるのです。

金木犀さん、今年はあなたが咲いてすぐに気づくことが出来た私です。

大丈夫、あなたの優しい香りに包まれて、今年もあの日を

乗り越えられるわ。

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誕生日

2010-10-03 22:57:29 | 日記
今朝、目覚めた時に浮かんだ歌

「たんたん たんたん 誕生日 初女ちゃんの初女ちゃんの

         たんじょうび…」

今日は初女先生の89歳の誕生日です。

去年、米寿のお祝いをした時に、これからは初女先生に少しでも

ゆっくりして頂きたいと思っていましたが、今という時代が初女先生を

求めているかのよに、益々忙しくなってきました。

先生の忙しさを緩和することも出来ないので、ただただ祈るばかりです。

「初女先生を沢山の人が必要としています。

どうか、先生の健康が守られますように!」と…

「初女先生、89歳のお誕生日おめでとうございます

私達は、まだまだ先生を必要としています。

どうか、どうかお元気でいて下さい。

この広い宇宙の中で、初女先生に出会えたことに心から感謝します。」



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悲しみの源

2010-10-02 11:11:32 | 日記
昨日は、赤い羽根の共同募金で、障害者の人達と街頭に立ち

募金のお願いをしました。

ある障害者の方が、自分をさらすようで行きたくないと言いましたが、

私はその人に、言うべき言葉が見つかりませんでした。

欧米では、障害者の人がこんなかたちで募金をお願いするのだろうか…

 私はその日、知的障害のあるMさんと手をつないで募金を

お願いしてました。

黙って立っていた彼女が、救急車の音が聞こえて来た途端、私の手を

ギューっと握りしめ、みるみる涙が溢れてきたのです。

何かを思い出したのでしょうか…

少しの言葉しか持たない彼女は、伝えられない沢山の思いを心の中に

抱えているのです。

私は、息子の運ばれる救急車の音を聞いているので、随分長い間

救急車の音を聞いただけで、自分の意思とは関係なく涙が出て

きました。

Mさんの涙の源が何であるのかは分かりませんが、伝えられない

彼女の悲しみを感じました。

人の持っている悲しみは深いものがあります。

私は、私の手を握る彼女の力の強さに、その悲しみの深さを

感じるしかありませんでした。

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茨木のり子さんの生き方

2010-10-01 20:03:15 | 日記
今朝、テレビで詩人の茨木のり子さんのことをやっていました。

茨木さんの詩を読むと、その凛とした言葉に背筋が正されるようです。

どんな時代が来ようとも、自分の足で立ち、大地を踏みしめ

たえず、「これでいいのか、この自分で…」と問い続けながら生きて

きた方のように思います。

その茨木さんが、自分が死んだ後に、友人達に送る「お別れの手紙」

を、生前用意していたと知り、さすが茨木のり子と思いました。

茨木さん、あなたは自分の生の終わりも、自分の言葉で締めくくった

のですね。

凛とした茨木さんの生き方は、最後の最後まで貫かれたんですね。

茨木さんの詩を読んで、私も自分の細胞を目覚めさせなければ…


        自分の感受性くらい

   ぱさぱさに乾いてゆく心を

   ひとのせいにはするな

   みずから水やりを怠っておいて


   気難しくなってきたのを

   友人のせいにはするな

   しなやかさを失ったのはどちらなのか


   苛立つのを

   近親(きんしん)のせいにはするな

   なにもかも下手だったのはわたくし

   
   初心消えかかるのを

   暮らしのせいにはするな

   そもそもが ひよわな志にすぎなかった

   
   駄目なことの一切を

   時代のせいにはするな

   わずかに光る尊厳の放棄


   自分の感受性くらい

   自分で守れ

   ばかものよ

              茨木 のり子

   
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