~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

お帰りなさい

2012-12-17 21:53:42 | 日記
初女先生がパリから戻られました。

91歳でヨーロッパに行かれるなんて、すごいです。

どこに行っても初女先生の思いは、伝わるんだなーとつくづく

思いました。

おむすびもそうですが、母性は国を超え人種の壁を乗り越えて

伝わって行くものなのですね。

スタッフのNさんのお友達が、パリの講演会に参加したそうです。

その時、先生が言われた「煮物などのお料理は、一旦休ませると

とてもいい味になります。それと同じで人間関係も上手くいかない

時は無理をせず、いったんお休みするといいですよ。」という

お言葉にお友達はとても気持ちが楽になり、苦手だったママ友と

自然にふるまえるようになったそうです。

 ベルギーで日本人のお母さんたちにお話しした時に、先生は

どんな時も私は離婚は勧めないのと、話されました。

私は、かわいいお子さんを連れた若いお母さん達に

なんで離婚の話し?と思ったのですが、後でそのお母さん達の

中に、離婚を考えていた人が何人かいたのです。

初女先生に、なんで分かるんですか?とお聞きした時

「外国で暮らすのは、大変なことなのよ」と、言われていました。

言葉に出さなくても、先生には心の内を受けとめて頂けるんだ

と、その時思いました。

初女先生のことを「日本のマザーテレサ」と、言われる方が

いますが、「世界のマザーかも…」と私は思っています。

91歳で12月のパリに行く、初女先生の行動力には言葉が出ません。

求める人がいる限り、先生は行かれるのですね

初女先生、本当に神の計らいは限りないですね…

どうぞ、ゆっくりお休みになって、お疲れをとって下さい。





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姜尚中 さま

2012-12-14 21:11:35 | 日記
政治の混迷が続く中、選挙が迫ってきました。

私たちの国の進むべき道が見えてきません。

そんな時に、私が必ず聴いてみたい人がいます。

その人は、政治学者の姜尚中さんです。

でも、どの番組にも姜さんは出ていません。

なぜ、こんな時に姜さんは沈黙しているのだろと、思ってました。

最近知ったことですが、姜さんの息子さんは3年前に自死された

そうです。

姜さんは「僕は本当の悲しみを知ったうえで『悩む力』を書いて

いるんです。息子の死があったから僕は悩む力を書けたことは

息子との合作です。と書いていました。

そして、3月で東大を退官して、これからはキリスト教関係の

仕事がしたいと…

悩み苦しみの果てに、あの『悩む力』を書かれたんですね。

姜さんがナビゲーターをしていた日曜美術館で、ミレーの

最後の作品「春」を取り上げた時の姜さんが忘れられません。

ミレーが親友ルソーを亡くし、絵が描けなくなった後

5年の歳月をかけて描いた作品

私は、「春」を観た時(テレビでですが)天国のお庭を

想像しました。

その時の姜さんのお話が特に心響いた記憶があります。

姜さんは、日曜美術館の仕事が来た時、政治は混迷の時代に

入るので、これからは感動だと思いこの仕事をやろうと

思ったと言ってました。

姜さんが言われた通り、政治は大混迷の只中にあります。

外国からは、日本が右翼化してきていると、言われています。

河野洋平元衆議院議長が「自民党という政党はずいぶん幅の

狭い政党になった。保守の中の右翼だけになった」と

嘆いたそうです。

自民党総裁の安部晋三氏は、盛んに「日本を、取り戻す」と

言っています。

いったい何を取り戻すのでしょうか…

防衛軍と言う言葉に、不安を感じないではいられません。

取り戻す日本が、あのきな臭い戦前の日本出なければ

よいのですが…

姜さん、こんな時だからあなたの意見が聞きたいです。

どうか沈黙しないでください。

混迷の時代の中で、私たちは、この国はどこに向かって

進んで行けばいいのでしょうか…







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止まらぬ涙に…

2012-12-13 20:02:12 | 日記
三浦の初女先生の講演会から、一ヶ月が経ちましたが、参加者の

皆さんから、頂くメールやお手紙に感謝と幸せを感じています。

今日、仕事から戻ると講演会に参加して下さった星野道夫さんの

お姉さんからお手紙が来ていました。

星野さんの写真展は、子どもたちが小さい時から連れて行き

星野さんが、熊の事故で亡くなった時、創が私以上のショックを

受けていたのを、今でも覚えています。

その星野道夫さんのお姉さんの手紙には「創くんは、今頃

天国で道夫のそばでニコニコしておられるかも知れませんね。

創くんにお会いしたことはないけれど、道夫は子どもが

大好きでしたから、きっと創くんと仲良くしていると思います。」

と書いてありました。

この文章を目にした途端、涙が止まらなくなってしまいました。

なぜ涙が…こんなに泣けてしまうのはなぜ…

そんなことを想いながら、ひとしきり泣いた後に

ふと思ったことは、創(つくる)は亡くなった後も

出会いが与えられているのかもしれない、ということ…

死をもって終わりとは考えられなかった私も、

息子の新たなる出会いのことへは、思いを馳せることは

出来ませんでした。

私が星野さんのお姉さんに出会ったということは、

息子は天国で星野道夫さんに出会っているのかも

しれません。

ふに出た止まらぬ涙は、喜びの涙だったということが

やっと分かりました。

今日は、ふたご座流星群が観られます。

あの子と葉山に流星を観に行ったことを、思い出しながら

夜空を見上げてみよう。
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自分なんて

2012-12-11 07:03:14 | 日記
昨日は、勘三郎さんのお通夜だったそうです。

勘三郎さんが亡くなってからのショックが、まだ私の中で続いています。

歌舞伎や芝居の面白さ、奥深さを改めて感じさせてくれたのが

勘三郎さんでした。

サービス精神も旺盛で、赤坂歌舞伎に行った時は、赤坂芸者さんが

ずらっと出迎えてくれ、歌舞伎に本物の芸者さんが見れて私は

「これって、お得よね!」と大喜びしました。

平成中村座では、すぐ傍で役者さんの芝居が観れ、もう贅沢な

芝居見物で、大満足させてまらいました。

勘三郎、仁左衛門の名演技は忘れられません。

再演したら絶対に行くぞ!と決めていた芝居が、野田秀樹と

勘三郎が夫婦役をやる、「表に出ろい」です。

野田さんも勘三郎も、これほど動いた芝居はないから、歳をとって

動けなくなった時に、もう一度この芝居をやってみたいと

話していたそうです。

本当に残念でなりません。

多分、日本中の人達が勘三郎さんの死を、心から悼み

まだまだ勘三郎さんの芝居を観たいと思ったと思います。

勘三郎さんは芝居だけでなく、人間としても素晴らしい方

だったようです。

誰かが、勘三郎さんの前で「自分なんか…」と言ったら、

勘三郎さんは猛然と怒り「自分なんて」という人間はいない!と

言ったそうです。

「自分なんて…」何気なくポロっと出てしまうような言葉です。

でも、勘三郎さんがその言葉に激怒したということは、

本当に一人ひとりが、かけ外のない存在であるということが

勘三郎さんの真ん中を貫いていたのだと思いました。

私は、このことを聞いた時、「もう自分なんて」って言わないぞ

と、心の中の勘三郎さんと約束しました。

勘三郎さん、ありがとう!
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星野道夫と見た風景

2012-12-10 10:16:21 | 日記
昨日は、星野道夫さんの奥さんである直子さんのお話を聴いてきました。

星野さんの写真のスライドを映しながら、「夫は…」と語る

真っ直ぐな静かな雰囲気の直子さんに、人柄というのはどんなところ

にも出るのもなのだなーと、しみじみと思いました。

星野さんは41歳の時に、直子さんと結婚し43歳で亡くなっています。

なんと短い結婚生活だったのでしょう…

しかし、星野さんとの深く豊かな時間が、今の直子さんを貫いて

いるように思えました。

星野さんが、一枚一枚の写真を撮るのに、どれだけ時間が

掛かったかということ…

夫の思い出を語る直子さんに、今なお星野さんと共に生きる

妻の姿を見た気がしました。

直子さんがアラスカの時間を運んで来てくれているような、

そんな時が流れていました。

「カリブーの心臓を食べた時、体の真ん中から

温かくなり、今生きていたいのちが、私たちといのちと

繋がった瞬間かと思った」と、話された時には、初女先生の

お言葉とぴったり重なった気がしました。

「すべてのものに、平等の時間が流れている…」

この星野さんの何気ない言葉が持つ、意味の深さを

直子さんのお話を聴きながら、噛みしめていました。

アラスカを想う時、アラスカの風景中に、星野道夫は

少しも色あせることなく、歴然といるのです。
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心の調律

2012-12-08 21:49:30 | 日記
先日、思わぬクリスマスプレゼントで、坂本龍一のコンサートの

チケットを頂きました。

坂本龍一のピアノと、チェロとバイオリンのコンサート

坂本龍一のピアノと聞いて、ひょっとしたら難解なのではと思って

出掛けましたが、何とも優しい音色に、私の抱いていた坂本龍一の

イメージは一瞬にして吹き消されました。

3人の奏でる音楽の世界に身をゆだねていると、心がゆったりと

解き放たれてくるようでした。

あまりの心地よ良さからか、前の席の女性は演奏が始まってじきに

寝てしまいました。

こういう音楽を創りだす坂本龍一と言う人は、きっとすごく

優しい人なんだろうなと、思えました。

音楽のチカラとはなんでしょう…

息子を亡くした後、どんな音も心に突き刺さる様で音楽が

聴けなくなった時期があります。

暫らく経った時、フジコヘミングのノクターンと鱒だけが

聴けるようになったのです。

フジコさんのピアノの音が、深い悲しみを抱えた心の深みに

寄り添ってくれたのです。

坂本龍一の音楽は忙しさの中で疲れていた心を調律してくれて

いるようでした。

私は静かな音楽のチカラを感じていました。

確かで信じられる音楽のチカラを…
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夢の中の初女先生

2012-12-06 23:27:31 | 日記
久し振りで初女先生の夢を見ました。

パリに行かれる初女先生のことを、お祈りして眠ったからでしょうか

夢の中では、コテージのようなところで、講演会が済んだ先生と

二人で歩いているのです。

ゆるーい坂をゆっくりゆっくり歩きながら、(夢の中ではなぜか

先生は、アラスカに行くことになっているのです)

私が、アラスカ行きを心配していると初女先生が「私、誰かの為に

行くんじゃないの」と、ひと言言われたのです。

また、二人でゆっくり歩いていると、突然先生が「直さん、道が。

違うんじゃなあい?」と言われ、方向音痴の私は夢の中で焦って

道行く人に尋ね、あっていると知るとほっとして初女先生の

処に飛んで行って「先生、あってました!」と言い、また二人で

歩きだしたところで、目ざましが鳴ったのです。

それは多分、初女先生が目覚めたような時間でした。

起きた時、「誰かの為に行くんじゃないの」という言葉に

重なる様にして、「神の計らいは限りなく生涯私はその中に

生きる」という言葉が、私を包んだのです。

初女先生は、イスキアの活動を始められた時に、すでに

だれかの為にというところを超えられていたんだなと

思えたのです。

私は講演会準備の時、参加して下さるみなさんの為にと

思ってやっていました。

でも、途中から色々な気づきを頂き、これは結果として

自分の為かもと思うようになっていました。

そんな中での、夢の中の先生のお言葉でした。

 外へ出てみると、今日は小春日和の様な暖かさ

そして、空は何処までも青く晴れ渡っていました。

パリに向かう初女先生を案じていましたが、この青空を

見たら、心から大丈夫って思えました。

「神の計らいは限りなく、生涯私はその中に生きる」

この言葉を胸に、先生はパリに行かれたんですね…

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友は友を呼ぶ

2012-12-05 10:26:54 | 日記
初女先生と羽田で二人きりになった時、私が「スタッフが本当に

良くやってくれたの。素晴らしいスタッフなんですよ」と言うと

先生が「友は友を呼ぶから…」と、言われたのです。

「類は友を呼ぶ」ではなく、「友は友を呼ぶ」だったのです。

心に残る言葉です。

今回の講演会に参加された人達が、同室の人とは初めて会った

のに、どうしてこんなに深い話が出来るんだろうと

驚いていました。

初女先生の集いは「友は友を呼ぶ」のでしょうか…

随分前に、人はラジオのように波動を出していて、その周波数に

合う人が寄ってくるのよ。と聞いたことがあります。

友は友を呼ぶなら、自分を磨いておかねばと、思いました。

 私が、ぼーっとしている間に、初女先生は今度はパリに

行かれます。

パリの友達から、こちらでも初女先生が来られるのをみんな待って

いるからね。と電話がありました。

パリでも「友は友を呼ぶ」集いとなるのでしょう。

「友は友を呼ぶ」

初女先生から頂いた素敵な言葉!

この言葉を胸に、自分を少しでも磨いていかねば…





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講演会を終えて…

2012-12-03 22:59:06 | 日記
講演会が終わった後、初女先生と何度も「泊りは深いですねー」と

言葉を交わしました。

でも、その時は私はまだその深さがよくわかっていなかったのです。

終わった後、参加された方から手紙やメールを頂き、本当にみなさん

色々なものを抱えて、この講演会に来て下さっていた、ということが

わかりました。

そして、初女先生と過した時間の中で、答えを見つけたり、

自分の生き方の確認をしたり、背負っていた荷物を

ふっと降ろせたりと…

初女先生には、そのことが見えていたようで「みんな色々なものを

持っているけれど、前を向いて進んで行こうという姿が

希望だね」と言っていました。

皆さん、初女先生のお話だけでなく、先生の佇まいや雰囲気から

言葉では伝えられない大切なものを、感じて下さっていました。

それは、宿泊でなければ出来ない事だと思っていたので、

私達も深い喜びを頂きました。

準備は確かに大変でしたが、皆さんからの感想が届くと

私たちが思っていた以上に、共に食し枕を共にするという

ことの繋がりの深さを感じました。

終わった時には分からなかったけれど、今ふつふつと

やって良かったという思いが起こってきています。

そして、宿泊も1回目より2回目の方が、より深くなった気が

しています。

初女先生の母性に包まれた時間は、心をどこまでも

穏やかにしてくれ、大きな大丈夫に包まれた時間でした。

「出会いが未来をひらく」

この出会いが、未来をひらく出会いに繋がって

いきますように…



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初女先生の言葉に…

2012-12-02 12:02:13 | 日記
昨日は、平塚の初女先生の講演会でした。

11月の三浦の講演会からまだ一ヶ月も経っていないのに

会いたくて、会いたくて…

まるで小さな子どものような自分に、おかしくなりました。

この一年の先生の講演は、次の世代に伝えていくという思いが、

鮮明に感じられます。

「私たちが、これが良いと思い気づき発見したことを、次の世代に

伝える使命がある」と、言われていました。

「敗戦後67年経って、67年前の生活が分からなくなっている。

本当にいいのかを考える時、なぜ悪いのかなぜ良いのか、自分で

考える、他力でなく自分で確信を持っていく。

正しいと思う事を、勇気を持ってやる。自分の考えを真っ直ぐに

持っていく。夢ではなくて今を生きること!

夢を持っていても、それを正面に出さず、今を堅実にして

いくと、夢と思われる大きなものも実現します。

みんなが、急いで急いでいるから、急がない事が起きて来る

忠実に堅実に生きて行く。」メモした言葉を拾ってみても

どの言葉からも、覚悟を持って進んで行くという先生の

姿勢がまっ直ぐに届いてきます。

 随分昔に、自民党大物議員が「国の中枢を担う人間に、

戦争体験者がいれば、この国はそんなに間違った方にはいかない

だろう」と書いていたのを記憶しています。

選挙を前にして、国防軍と言う言葉が、出てきています。

若い人達は、サイボーグのようにカッコイイと受けとめて

いるのでしょうか…

良い悪いを自分で判断し、正しいと思う事は勇気をもって

やっていく。そういうことをしっかりと意識して生きて行く

そういう時代に私たちが生きていることが、初女先生には

はっきりと見えているようです。

初女先生に会って、癒されたいと思う方も沢山いると思いますが

それで終わってはいけない

覚悟と勇気を持って進んでいかなければ!

講演会に参加された方が、初女先生の言葉は心を強くすると

言ってました。

強い心と覚悟を持って進んでいかなければ…

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