~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

嬉しい電話

2014-04-13 22:45:45 | 日記
昨日からの思いを引きずり、お通夜ののことを考えていたら

携帯が鳴り、見ると初女先生の名前が表示されていました。

「先生!すなおです」と言うと、「すっかりご無沙汰していてね」と

初女先生の優しいお声が聴こえてきました。

2月からお会いしてないので、お声を聴くだけで感激してしまい

ました。

私の出した手紙を2回も読んで下さり、「直さんの気持ちが

そのまま伝わってきます」と、言って下さいました。

それだけで、先生が私の思いを受け取って下さったんだなと

喜びに包まれました。

初女先生の何気ないお言葉に、深くて温かい愛を感じます。

昨日からの沈んでいた心が、先生のお電話で元気を取り戻し

ました。

夕方、職場のみんなとお通夜に行きましたが、遺影の若さが

眩し過ぎて涙が溢れてしまいました。

M子さんのお母さんもいらしていて、お母さんが

「障害を持った子がいると、1日でもいいから親より

先に逝って欲しいと思うのよ。分からないでしょ

この気持ち…」と、言われました。

障害を持った子の親は、子供を遺して先に逝けないん

だろうな…

でも、子供に先立たれる苦しさを知っている私は、何も

言う事が出来ませんでした。

こんなに悲しく響く、お坊さんの読経を聴いたことは

ありませんでした。

遺影の服は、赤でした。

ここ1年半、ゆかた姿の彼しか見ていなかったけれど

赤がよく似合う、笑顔の素敵なイケメン君でした。

あの笑顔、忘れない…

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いのちが教えてくれたこと

2014-04-12 14:36:53 | 日記
昨日の朝、突然の訃報が飛び込んできました。

職場の若きイケメン君です。

彼は、1年半近く病気療養で、作業所には来られなくなっていました。

治療方法が確立してなく、進行が早い病気なので、いつかは

こんな日が来るかと思ってましたが…

それにしても早すぎました。

3月末に22歳になったばかりだというのに…

彼から学んだ大切なことは、私は一生忘れないと思います。

養護学校を卒業し、うちの作業所に来た時、パソコンに

向かい、毎月の予定表を作ってくれていました。

作業所のメイン商品であるメモ帳の表紙を、ステンシルで

独特の淡い色使いで、静かに作っていた彼の姿が目に

浮かびます。

その彼が、病気の為自分の意志で動かせるところを

どんどん奪われて行き、1年以上口から水分も入れることが

出来なくなりました。

でも、たまにお見舞いに行くとテレビのお料理番組がついて

いるのです。

食べられないのに、お料理番組なんてどうして?と

思っていましたが、昨日おばあちゃんが、「あの子は

食べられないのに、お料理番組を観て食べた気になって

いたんですよ」と話してくれました。

お母さんは「何も食べてなかったのに、胃潰瘍になって

いたんですよ。ストレスからなのね…」と言ってました。

そういう中で、自分の運命を受け入れ、

いのち一杯生き切ったのです。

同じ病気で亡くなったお兄さんの誕生日に召されたと、

お母さんからお聞きし、お兄さんが「もう苦しまなくて

いいよ。」と、お迎えに来たんだなと、思いました。

安らかな深い眠りについているような、穏やかな顔でした。

22歳に彼の倍以上も生きている私ですが、魂年齢は彼とは

比べものにならない程、低い自分を感じました。

生きるとは長さではない。

何をしたかでもなく、存在そのものなのだと教えてくれた

彼の「生」であり「死」でした。

彼は、初めて持った大きな筆で、素晴らしい作品を書いて

くれました。

彼の死を、書の先生のお伝えした時「書はその人そのもの」

というお言葉が返ってきました。

柔らかい温かい線の彼の「書」は、本当に彼そのものを

感じさせてくれます。

「いのち一杯生き切った貴方のいのちを、受け取り

私の中で生かしていきたい…

貴方に出会えたことに心からの感謝です。

すべての不自由から解放され、自由に羽ばたいて下さいね。

有り難う 有り難う!
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あきらめない・ノーベル平和賞

2014-04-11 23:43:46 | 日記
一人の主婦の発案から始まった「憲法9条をノーベル平和賞に」

という運動が、大きな前進となりました。

前に、このブログにも書き、ネットでの署名をブログに載せましたが

ノーベル賞は、個人か団体で憲法自体に送ることはできないというので

受賞者を、70年近く憲法9条を守ってきた日本国民に!としたところ

その推薦が受理されたと、ノルエーのオスロのノーベル委員会から

正式にノーベル平和賞の候補になったと、連絡があったそうです。

これは凄いことです!

今、国は憲法改正への道をはっきりと打ち出し、憲法の

解釈を替えてでも、集団的自衛権を行使しようとしています。

その流れの中で、9条を守りたいという小さい子供を抱えた

主婦の行動が、ノーベル賞の候補となったのです。

しかも、受賞者は日本国民です。

小さな一歩が、大きな一歩へと繋がっていくようです。

戦前の日本に戻っていくような不安を、この正義が

断ちきってくれるような、希望を感じます。


憲法9条がノーベル平和賞候補に!





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響き合う

2014-04-10 23:10:02 | 日記
前にも書きましたが、初女先生は響き合う人と出会った時が幸せ

と、言われています。

この言葉の陰には、響き合えない関係も色々経験されて

来られたんだろうなーと、思うのですが…

響き合うとは、出会ってすぐにでも響き合えます。

逆に、長く交流を重ねて来ても、どうしても響き合えない人も

います。

そんな時、初女先生はどうなさるのだろうと、先生の本を読んで

いたら、お答えが書いてありました。

『あまり好感がもてない方と出会った時、腹を立てることよりも

 ただその苦しみとともに生きることを選びます。

 もちろん、苦しみを感じきるということは、決して楽な

 道ではありません。でもどん底に落ちるほど苦しみます。

 そうなると、自分の力ではどうにも出来ませんから、

 「神様にお任せ」より術がなくなります。

 「神様はすべてご存じがから、いずれはお返事くださる

 でしょう」

 ですから、腹が立っても、相手に感情をぶつけることを

 しないで、時を待つようにしています。

 今は辛い関係だとしても、つねに心をかよわせていると、

 いずれ新たに出会い直すチャンスがめぐってくるはずです。

 私はそう信じて、ただ静かに時を待つことにしています。』

辛い関係に、かなり参っているけれど初女先生のこのお言葉を

心に置いて、時が来るのを待とうと思いました。


  
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早生まれ

2014-04-08 22:17:07 | 日記
Kさんにお孫さんが生まれ、それがなんと主人と同じ誕生日!

主人の誕生日は3月31日

お孫ちゃんの誕生日を聞いて、ふと思い出したのが、主人の母が

結納の時だったかに、「この子は早生まれだから」と、言ったこと

です。

結婚する年になっても、「早生まれ」と言ってしまう母親の

微笑ましいような愛情を、いいなーと思いました。

親バカって悪いことじゃないのよと、言っていた人がいます。

何だか分かる気がします。

息子が、中学の難しい時期になった時、「お父さんと

お母さんが、貴方のことどんなに愛しているか分かる?」と

言った時、反抗されるかと思ったら、真面目な顔で

「うん、わかっている」と言われ、逆に私の方が驚いた

ことがあります。

反抗期で反発していても愛情はちゃんと感じていて

くれたんだと、安心しました。

その時、親は親バカでいいのかなーと思ったものです。

今は亡き、主人の母の「早生まれだから」は、私は一生

忘れないと思います。

息子は大学4年だから、就職すれば家をでるでしょう。

今から、子離れの準備をしなくてはと、遅ればせながら

思っています。

子育ては、長いようであっと言う間かも…

ちょっと淋しい春の宵であります。
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魂(いのち)

2014-04-06 23:36:45 | 日記
今朝窓を開けると、外の景色がいつもより明るい気がしました。

我が家の猫の額ほどの庭に、春になるとピンクの花が咲く木があり、

いつの間にか、そのが木が花をつけていたのです。

何も手をかけていないのに、今年も咲いてくれたのです。

今日の天候をみると、桜も終わりかなと思いました。

ふと、樹木も植物も花を咲かせたり、その花が散っていったり

それは、当たり前の自然の営みと思えるけれど、大変な

エネルギーが働いていることではないかと、思えたのです。

でも、その大ごとが実に静かに行われているのです。

人間であったら、きっとじたばたして大変な騒ぎでしょうに…

季節が来ると、いさぎよく、すべての葉を落とし、寒さに身を

さらす木々達も、また静かです。

そんなことを考えていたら、魂(いのち)の本質とは

実に静かなものかもしれないと、思えたのです。

人は納得して死を受け入れ、死んでいくと、聞いたことが

あります。

全てがそうかは分かりませんが…

少なくとも、私の息子は突然の自分の死を納得して

受け入れた顔をしていました。

愚かな母であった私は「たった13年しか生きてないのに

なぜ、納得してしまうの」と、息子を責めていました。

でも、それが魂(いのち)の本当の姿だったのかもしれないと

庭の木を見ながら思いました。



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しあわせの場所

2014-04-05 23:42:17 | 日記
今日は、障害者の作業所のM子さんと動物園に行きました。

横浜の野毛山に昔からある、小さな無料の動物園。

子どもが小さい時に、何度か行きましたが、もう10年以上行って

なかったので、つぶれかかってないかしらと思ってましたが

たくさんの人が訪れ、桜の木の下ではお花見をしている人も

いました。

小さな子供もお年寄りも、パパやママも若いカップルも

動物園の中にいる人は、皆笑顔でしあわせそうな顔をしていま

した。

一人ひとりは色んな問題を抱えているでしょうに…

でも、動物園にいる時はみんな、陽のあたる場所で、

しあわせの片隅をつかんでいるような、そんな顔をしています。

動物たちのチカラでしょうか…

狭い場所に押し込められている動物たちなのに、その動物達を

見ている私達は、なぜか優しい気持ちになるのです。

動物園は人をしあわせにしてくれる場所なのでしょうか…

M子さんは、トラに手を振り、クマに手を振り、きりんにも

手を振り…何も言わないけれど嬉しい気持ちが伝わって

きました。

時々、動かなくなることがあるM子さんですが、今日は

物凄く歩いたのに、平気でした。

M子さんと電車に乗ったりしていると、子供も大人も

どこか特別な目で私たちを見ているのを感じますが、

でも、動物園の中は、みんなが楽しそうで、特別な視線を

向ける人は誰もいませんでした。

M子さんとの動物園の一日が終わり、帰り道に私が

「ねえ、M子さん もうどこへでも行けるね」と言うと

いきなり「ヤッター」と、拳を天に振り上げ、何度も

何度も「ヤッター」と嬉しそうに言うのです。

M子さんは、今までいつもと違う事をすることが大きな

ハードルとなっていましたが、今日は食事の後に

「電車に乗って、動物園に行こう」と言う、いきなりの

私の提案に乗ってくれたのです。

そして、パニックになることなく楽しく過ごしたのです。

そのことが、彼女の大きな自信になったようです。

信号待ちをしていたら、M子さんが「ヤッター」と言って

ジャンプしたので、私も一緒に「ヤッター」と、

飛び上がってしまいました。

動物園は、いつの時代も人を幸せにする場所だと

感じました。
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美味しいご飯

2014-04-04 22:47:57 | 日記
職場で、お米の研ぎ方の話しになりました。

私より若い人達ですが、ちょっと驚きました。

2~3回、手で回して終わり、或いは泡だて器でかき混ぜて

洗うというのです。

お米の給水時間は、なしでいきなり炊くか、タイマーで翌朝までと、

どうやら、お米は給水すると白くなるのも知らない様子でした。

今は、昔に比べて精米がいいので、研ぐというより洗うという方が

いいですと、初女先生は言われています。

初女先生は優しく両手を合わせ、祈る様に洗います。

お水も釜の真ん中にじゃあじゃあと落とすのではなく、お釜の

端に静かに落とします。

給水時間も、季節・水温・米粒の大きさによって変わって

きます。

お米が、真っ白にになるほど給水してしまったら、お米自身が

出す力が無くなってしまうそうです。

お米の水加減を見ている時の先生の真剣さに、横に

いると、息を止めて見てしまうほどです。

そうやって炊けたご飯は、ご飯だけで充分美味しいのです。

イスキアのご飯茶わんは、大ぶりですが、誰も残す人が

いません。

普段はこんなに食べられないのと言いながら、おかわりを

される方が多いのです。

電気釜で、スイッチを押すだけで炊けてしまうから、きっと

ちょこっと洗って、水の量さえ間違えなければご飯は

炊けると思っているのでしょうね。

確かに、炊けるけれど…

美味しいご飯が炊けているかなのです。

 逗子に鎌倉小町というお豆腐屋さんがやっているお店が

あり、入ったことがあるのですが、おかずは美味しかった

のですが、ご飯がどうにも不味くて、たまりかねて

「おかずは、こんなに美味しいのにご飯が残念です。

ご飯を炊く時、給水時間はどれくらいですか?」と聞いて

しまいました。

すると、「研いだら、すぐ炊きます。」と言う答えが返って

きたので、残念なご飯の訳がわかりました。

昔は、お料理屋さんにはご飯炊きという専門の仕事をする

人がいたそうです。

それほど、ご飯の炊き方は難しいものなのでしょう。

本当に美味しいご飯を食べてないから、ご飯の炊き方が

雑になってしまうのでしょうか…

お百姓さんが、手塩にかけて作っているお米ですから

お米のチカラを引き出して、少しでも美味しく炊きたいと

思うのですが…

毎日やっていても、本当に難しいです。

それでも、今日こそはと思い、ご飯を炊いています。

初女先生は、「世界の最後に食べたいものは?」の質問に

「ごはん」と、答えていました。

私も、うんと贅沢を言うならば「初女先生のおむすび」です。



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となりびと

2014-04-02 20:51:00 | 日記
昨日、ブログに書いた、「横につきあいなさい」を思っていたら

隣人(となりびと)という言葉が浮かんできました。

初女先生は、いつも隣人(となりひと)でいて下さいます。

そして、思いを寄せ共に祈って下さいます。

それは、本当に誰に対して平等にです。

初女先生に出会った人が、何も言わずに涙が溢れてしまうのは

隣人(となりびと)としての初女先生の大きな愛に包まれる

からなのでしょう…

この広い世界で、初女先生に出会えたことに、感謝しないでは

いられません。

神さま、有難うございます。
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丸山真男氏の言葉と初女先生

2014-04-01 23:20:31 | 日記
新聞のコラム欄に、丸山真男氏が若い世代に残した最後の

メッセージは「横につきあいなさい」だったと載っていました。

丸山真男氏が、どんな思いでこの言葉を残したのかは

分かりませんが、私は直ぐに初女先生を思い出しました。

初女先生は、誰に対しても平等です。

私は、初女先生とのご縁を頂いてから、11年になりますが、

先生のこの平等さは、ずっと感じてきました。

初めて出会った人も、何十年のお付き合いの方も、先生は

同じに接して下さいます。

初女先生は、「人は神の前で平等」の思いがあるのだと思います。

私達は、無意識のうちに縦につき合っていないでしょうか…

「横につきあいなさい」平易なこの言葉の難しさを、否応なく

感じてしまいます。

初女先生は、クリスチャンでありながら祈らないと言われた

苦しい時期があったと聞いていますが、聖書の御言葉を

ご自分の血と肉として、生活の中にこれほど生かされて

いる方は、私は出会ったことがありません。

「静の祈り」と「動の祈り」どちらも祈りであると言われる

初女先生の深さを、今あらためて感じています。
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