昨日は、Y君を見送りました。
今、私は田口ランディさんの「パピヨン」を読み終わろうと
しています。
キュブラー・ロスの本にある、ナチスの強制収容所に描いてあった
という蝶の絵を、ランディさんが探しに行くところから始まる
「パピヨン」
息子が亡くなった後、「死」とは何か、死んだらどこへ行くのかが
知りたくて、キュブラー・ロスの本も読み蝶々の話が、私も心に
残っていました。
ロスは死とはさなぎが蝶になることだと言っています。
死とは、人間の最終段階ではなく、死は魂の次の段階への過程
さなぎが蝶になるように、肉体という殻から脱皮して別の存在
になることだと言っています。
そして、ダライ・ラマは死とは古い着物を脱ぎ棄てるような
ものだと…
息子の死後、ずっと息子の姿を追い求めていた私には、
キュブラー・ロスの言葉も、ダライ・ラマの言葉も理解する
ことが出来ませんでした。
姿、形を追い求めなくなると、私の中にあった死の概念が
取り払われて、死して終わりではなくなったのです。
ランディさんの本によって、再びキュブラー・ロスの言葉に
そしてランディさんの言葉に向き合ってみると、
私にも蝶が見えてくるような気がします。
22歳のY君のお別れは、どうしようもなく悲しかったけれど
何か、安堵したような彼の顔を見たら、魂の存在となって
本当に自由になったのだと思えました。
真っ黒の表紙の「パピヨン」の隅に明るい色が見えたので
ふと、表紙をはずしてみると、なんと黒の下には鮮やかな
ピンクがあったのです。
「死」が何かをこの本は、装丁が表わしていたのです。
黒い表紙の下に、これほど美しい明るい色があったとは…
ダライ・ラマの古い着物を脱いだ後の着物は、やはり
驚くほど明るく艶やかな着物かもしれないと思えました。
Y君の死を知った時、私が「パピヨン」を読んでいた
というのも偶然ではない気がしました。
『地球に生れてきて、あたえられた宿題を全部
すませたら、もう、からだをぬぎ捨てていいのよ。
からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、
たましいをつつんでいる殻なの。
ときがきたら、からだを手放してもいいわ。そしたら
痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。
神さまのお家に帰っていく、
とてもきれいな蝶のように、自由に…
キュブラー・ロス』
今、私は田口ランディさんの「パピヨン」を読み終わろうと
しています。
キュブラー・ロスの本にある、ナチスの強制収容所に描いてあった
という蝶の絵を、ランディさんが探しに行くところから始まる
「パピヨン」
息子が亡くなった後、「死」とは何か、死んだらどこへ行くのかが
知りたくて、キュブラー・ロスの本も読み蝶々の話が、私も心に
残っていました。
ロスは死とはさなぎが蝶になることだと言っています。
死とは、人間の最終段階ではなく、死は魂の次の段階への過程
さなぎが蝶になるように、肉体という殻から脱皮して別の存在
になることだと言っています。
そして、ダライ・ラマは死とは古い着物を脱ぎ棄てるような
ものだと…
息子の死後、ずっと息子の姿を追い求めていた私には、
キュブラー・ロスの言葉も、ダライ・ラマの言葉も理解する
ことが出来ませんでした。
姿、形を追い求めなくなると、私の中にあった死の概念が
取り払われて、死して終わりではなくなったのです。
ランディさんの本によって、再びキュブラー・ロスの言葉に
そしてランディさんの言葉に向き合ってみると、
私にも蝶が見えてくるような気がします。
22歳のY君のお別れは、どうしようもなく悲しかったけれど
何か、安堵したような彼の顔を見たら、魂の存在となって
本当に自由になったのだと思えました。
真っ黒の表紙の「パピヨン」の隅に明るい色が見えたので
ふと、表紙をはずしてみると、なんと黒の下には鮮やかな
ピンクがあったのです。
「死」が何かをこの本は、装丁が表わしていたのです。
黒い表紙の下に、これほど美しい明るい色があったとは…
ダライ・ラマの古い着物を脱いだ後の着物は、やはり
驚くほど明るく艶やかな着物かもしれないと思えました。
Y君の死を知った時、私が「パピヨン」を読んでいた
というのも偶然ではない気がしました。
『地球に生れてきて、あたえられた宿題を全部
すませたら、もう、からだをぬぎ捨てていいのよ。
からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、
たましいをつつんでいる殻なの。
ときがきたら、からだを手放してもいいわ。そしたら
痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。
神さまのお家に帰っていく、
とてもきれいな蝶のように、自由に…
キュブラー・ロス』