テレビを観ていてびっくりした
ことがあります。
子育ての悩みをAIに言うと、
AIが答えていくれるという
アプリが出来たそうです。
子育てって、子どもを育てて
いますが、一方で自分を育てて
いるのだと思います。
私などは、生きる全てを
子育てで、学び直したと
言えます。
悩みながら、体験を通して
気付いていくのに、AIに
答えを求めたらどうなって
いくのでしょう…
息子が思春期の頃、話さない
息子に、私が出来たことは
心を込めてご飯を作ること
だけでした。
悩みながら、子どもと向き合い
自分自身と向き合い、
気がつけば、自分育てを
していたな~って思います。
初女さんの子育ての本を
読んだ時、もう一度子育て
したくなった~と言ったら、
初女さんが真面目な顔をして
「私もよ」と、言ったのが
忘れられません。
子育てに迷っても
毎日の食事に心を尽くして
いれば大丈夫。
手づくりのおいしい食事は
なんの説明もいりません。
手料理の味は、深く愛された
記憶として一生涯子どもの
支えになってくれます。
佐藤 初女
精神世界で私が師と仰いで
いる人に「自分を被害者にも
加害者にもしないの」と言われ
意味が分からず、ポカンとして
しまいました。
Kさんは「自分を赦せばいいの」
と、言うのです。
そう言えば山川紘矢さんも
笑顔で「赦せばいいの~」と
言っていました。
赦すって、仰々しく思うけれど
たとえば、あの人のああいう
言い方いやだな~と、思ったら
いやだ~と思った自分を
赦すのだそうです。
ホ・オポノ・ポノのようなこと
かもしれません。
自分を責めたり、反省するので
なくて、自分を自分で赦して
しまう!それでおいまい
何だかよく分からないけれど
やってみたら、すごく気持ちが
楽になるので、何だこりゃ?と
思ってました。
一昨日、朝の坐りの後で
いきなり「自分を赦すと
エゴから解放される」という
言葉が来たのです。
思っても見ないことだったので
びっくりしてしまいました。
でも、自分を赦すと楽なるって
エゴからの解放なのかも
しれません…
私の中に来たこの言葉を
私は、信じて行こうと
思いました。
何だか感謝で胸が一杯に
なりました。
有り難うの言葉しか見つかり
ません。
天地一杯ありがとう❤️
一昨日の日曜日は
田口ランディさんとご主人と
3人で小田原の梅農家さんに
収穫の手伝いに行って来ました
無農薬の梅園は、地面が
ふかふかで、実に気持ちが
いいです。
今回、梅農家さんの大変さを
初めて知りました。
梅干しに情熱を燃やす私に
とっては、貴重な体験と
なりました。
いよいよ今年の梅仕事が
スタートします。
初女さんの梅干しは、
青梅を塩水で漬けて作るので
毎日濾さなければならないので
本当に難しいです。
毎年、課題が与えられ、梅と
向き合い梅に教えられます。
このやり方で漬けた梅干しは
とがった味がしないので、
子どもも喜んで食べてくれます
手間は、めっちゃかかりますが
おむすびには、この梅干し!
いよいよ梅仕事のスタート
さあ、心を込めて漬けよう!
食材を「命」と思うことは、
人を大事にすることに
通じます。
佐藤 初女
今朝、坐った後て突然憲法の
前文読んでみようと思い
パソコンを開きました。
前文とは、憲法がどのような
考えでつくられたかが
記されいるものです。
恥ずかしながら私は、初めて
ちゃんと読みました。
読み終わった時、崇高な
気持ちになりました。
戦争という大きな犠牲の上に
この平和が構築されて行った
ことを深く染み入るように
感じました。
聖徳太子の十七条憲法の
「和を以て貴しとなす」に
あるように、私達には「和」
「平和」を希求する精神が
刻み込まれているのでは…
そうであって欲しいと
思いました。
今、日本はこの前文に
恥じない国になっている
だろうか…
日本国民なら一度はこの
前文を読んで欲しいと
思いました。
日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された
国会における代表者を通じて
行動し、われらとわれらの子孫の
ために、諸国民との協和による
成果と、わが国全土にわたって
自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によって再び
戦争の惨禍が起ることのない
やうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存する
ことを宣言し、この憲法を
確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な
信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者が
これを行使し、その福利は
国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、かかる原理に
基づくものである。
われらは、これに反する一切の
憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を
念願し、人間相互の関係を
支配する崇高な理想を深く自覚
するのであって、平和を愛する
諸国民の公正と信義に信頼して
われらの安全と生存を保持
しようと決意した。
われらは、平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと
努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ
われらは、全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を
有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないので
あって、政治道徳の法則は、
普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、他国と
対等関係に立たうとする各国の
責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ
全力をあげてこの崇高な理想と
目的を達成することを誓ふ
若松英輔氏と奥田知志氏の
対談の中で、若松さんが
人生で一番大変だった時
その一年間の記憶がないと
言ってました。
若松さんは早くに奥さんを
亡くされているので、
そのことだと思いました。
私は思わず、若松さんでも
そうなんだ~と呟いて
いました。
私も長男が亡くなった時
下の子は小学校3年でしたが
一年間の記憶が全く
ないのです。
その時の子育ての記憶が
すっぽりと抜け落ちて
いるのです。
隣りで寝ていた次男が
毎晩、布団の中で泣いていた
ことも5年後に知ったのです。
兎に角、一日を生きるのが
精一杯で…
夫は、目を離すと私が死ぬの
ではないかと思い、
3人が一緒に束になって行動
してました
若松さんは、本当に助けて
欲しい時、助けてと言えない
本当に悲しい時、涙がでない
と、言っていました。
私は、そのどちらも経験
しました。
記憶がないということは、
あまりの辛さに自分で記憶を
消してしまったのでしょうか
私はこの時、人の心は
あまりに深くわからない
ということを知りました。
同じ体験をした夫の苦しみも
次男の悲しみも分からな
かったのです。
人は他者を分からないから
思いやるのかもしれません。
人を癒していると思ったことは
ありません。
人の心はたいへん深い
ものだから
人に人は癒せないと思うのです。
癒しとは、自らの気づきに
よって心を解放したとき
はじめて得られるもので
ないでしょうか。
佐藤 初女
なんちゃって家庭菜園で
今日はトマトの苗を植えました
20年来、畑を借りて無農薬で
野菜を作っている知り合いが、
『追肥をするより足音を
聴かせろ』という格言に
出会って、そのようにしたら
作物の育ちが全然違うと
言ってました。
田口ランディさんのFacebookに
『蒔かない種は芽が出ない。
種を蒔かずに「芽が出ない」と
ぼやいていることって、
ありますよね。』と書いて
あるのを読んで「ある!」と
思わず言ってしまいました。
植物から教えられることって
深いな~