この短編小説「雨」はサマセット・モームによって画かれた作品であって、「南海もの」といわれるものの一つである。この「雨」はモームの短編を代表する作品であると同時に世界短編小説史上に永久に残る傑作と言われている。訳者の中野好夫氏は「雨」を「短編小説家としてのモームのあらゆる特徴を集約的に結晶させたもの」「ことに雨という自然現象が、人間心象に及ぼす微妙な影響を画いている」と述べている。雨は人間の欲望を募らせ、それにかられる心のゆれそのものの象徴である。
布教の情熱に燃える狂信的で、人の心など省みようともしない冷酷無比な宣教師ディヴィドソンは任地に赴く途中、南海の孤島に上陸する。時は雨季、降り続く雨と、はしかの発生によって船は10日の足止めを余儀なくされる。ここで彼は同じ船の乗客であるいかがわしき「商売女」セクシュアルで、みだらな魅力に富み、自由奔放に振り舞うミス・サディー・トムソンの教化に乗り出す。最初こそ彼を拒否し嘲笑していた彼女は、さまざまな脅しに屈し更生を宣教師に誓い、神の名を唱えるようにまでなった。騒音を鳴らし続けていたレコードの音はやんだ。教化は成功したかに見えた。しかし結果は意外な方向に動く。あんなにも熱心に寝食を忘れて教化に全力をあげていた宣教師ディヴィドソンの自殺体が浜辺にあがったのである。雨は重く、間断なく降り続いていた。何が起こったかは小説には画かれていない。次の「商売女」サディー・トムソンの言葉から推察できるに過ぎない。彼女は叫ぶ「男、男が何だ。豚だ!汚らわしい豚!みんな同じ穴の狢(むじな)だよ、お前さんたちは、豚!豚!」と。
愛のない商売女がそのセックスにおいて、性の快楽を感じることは無い。その感覚はさめており、刺激的でもなければ感動的でもない。あくまでもビジネスである。恐らく自分の妻以外の女の肌に触れるのは初めてであろう男が、不安や恐れ、破戒の恐ろしさから目的を達成する前に萎えてしまう危険を避けるために、女はこれまで男を耽溺させ、堪能させた、全てのテクニックを行使し、男を淫蕩の世界に導いていったであろう。冷静で、神の戒律を冷酷なまでに守っていた宣教師が、背徳の衝動に飲まれ、淫蕩の世界に耽溺する。それはまさに宣教師ディヴィドソンが崩れていく姿であり、男の中に今まで抑圧され、秘められていた欲望が露わになり、性の深みにどっぷりと浸かっていく瞬間である。エロスの世界は男と女をオスとメスに変える。オスとメスとは同じ次元に並んでおり、そこに格差は無い。聖職者も商売女も平等である。そして耽溺の一時が去り、男が聖職者に戻ったとき、その犯した罪に慄き、愕然とする。女の嘲り、冷笑、勝ち誇った顔。「汝、姦淫する事なかれ」と言う戒律を宣教師自らが犯したのである。聖職者には許されざる自殺を彼は選ぶ。罪は罰を伴う。2つの戒律を犯した男は地獄に落ちる。商売女は聖職者に勝ったのである。性は聖に勝ったのである。
そこには人間の業の深さ、人間の性(さが)の悲しさ、恐ろしさがある。
布教の情熱に燃える狂信的で、人の心など省みようともしない冷酷無比な宣教師ディヴィドソンは任地に赴く途中、南海の孤島に上陸する。時は雨季、降り続く雨と、はしかの発生によって船は10日の足止めを余儀なくされる。ここで彼は同じ船の乗客であるいかがわしき「商売女」セクシュアルで、みだらな魅力に富み、自由奔放に振り舞うミス・サディー・トムソンの教化に乗り出す。最初こそ彼を拒否し嘲笑していた彼女は、さまざまな脅しに屈し更生を宣教師に誓い、神の名を唱えるようにまでなった。騒音を鳴らし続けていたレコードの音はやんだ。教化は成功したかに見えた。しかし結果は意外な方向に動く。あんなにも熱心に寝食を忘れて教化に全力をあげていた宣教師ディヴィドソンの自殺体が浜辺にあがったのである。雨は重く、間断なく降り続いていた。何が起こったかは小説には画かれていない。次の「商売女」サディー・トムソンの言葉から推察できるに過ぎない。彼女は叫ぶ「男、男が何だ。豚だ!汚らわしい豚!みんな同じ穴の狢(むじな)だよ、お前さんたちは、豚!豚!」と。
愛のない商売女がそのセックスにおいて、性の快楽を感じることは無い。その感覚はさめており、刺激的でもなければ感動的でもない。あくまでもビジネスである。恐らく自分の妻以外の女の肌に触れるのは初めてであろう男が、不安や恐れ、破戒の恐ろしさから目的を達成する前に萎えてしまう危険を避けるために、女はこれまで男を耽溺させ、堪能させた、全てのテクニックを行使し、男を淫蕩の世界に導いていったであろう。冷静で、神の戒律を冷酷なまでに守っていた宣教師が、背徳の衝動に飲まれ、淫蕩の世界に耽溺する。それはまさに宣教師ディヴィドソンが崩れていく姿であり、男の中に今まで抑圧され、秘められていた欲望が露わになり、性の深みにどっぷりと浸かっていく瞬間である。エロスの世界は男と女をオスとメスに変える。オスとメスとは同じ次元に並んでおり、そこに格差は無い。聖職者も商売女も平等である。そして耽溺の一時が去り、男が聖職者に戻ったとき、その犯した罪に慄き、愕然とする。女の嘲り、冷笑、勝ち誇った顔。「汝、姦淫する事なかれ」と言う戒律を宣教師自らが犯したのである。聖職者には許されざる自殺を彼は選ぶ。罪は罰を伴う。2つの戒律を犯した男は地獄に落ちる。商売女は聖職者に勝ったのである。性は聖に勝ったのである。
そこには人間の業の深さ、人間の性(さが)の悲しさ、恐ろしさがある。