日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

『歴代誌』(第2)

2015年07月14日 | Weblog


  歴代誌』第2  
はじめに

 『歴代誌』には、1、ソロモンの治政、2、ソロモン亡き後の南ユダ王たちの治世が語られている。ソロモンの死後イスラエルは北イスラエルと南ユダに分裂するが、イスラエルと言う呼び名は両者を含む民族理念として存続している。北イスラエルの王の叙述は南ユダとの関係のある場合のみ記述されており、列王記にみられるような記述はない。恐らく北イスラエルは神にそむき、滅ぼされ、失われた10部族として歴史の舞台から消え去ったからであろう。

  ソロモンの治世
 ダビデの後を継いだソロモンは神と共にいた。彼は主からイスラエル王国を統治するに必要な知恵と知識が授けられ、その力を発揮した。
 ソロモンの業績をまとめてみると以下のようになる。
1.政治的にはエジプトに範をとった官僚制を敷いた。
2.経済的には、ダビデの後を継ぎ、各種のインフラを整備し、経済発展の基礎作りをした。
3.軍事力を強化し、外敵に備えた。この時代ソロモンに敵対する国はなかった。
4.他方、諸外国と交易を行い平和的関係を維持した。
5.ダビデ以来の懸案事項であった神殿建設を果たした。
 このようにしてソロモンの国家は「ソロモンの栄華」と言われているように、繁栄を極めた。ダビデ、ソロモンの時代はイスラエルの歴史上最も栄えた時代と言われている。しかし、このような繁栄の陰には過酷な労働と重税があり、イスラエルの民は苦しめられた。インフラの整備、軍事力の強化、豪華な神殿建設等々、多くの資金を必要とし、その為にイスラエルの民にソロモンは負担を強いたのである(『歴代誌』2、10章4~15節)。これは、イスラエルの南北分裂の一因になっている(『歴代誌』2、10章16~19節)。
『歴代誌』はソロモンの神殿建設に多くのページを割いている。

  殿とは何であろうか 
 神殿とは神の宿る場所である。今日の教会と考えて良いであろう。
 ソロモンは神の命によって神殿を建設するが、イスラエルの民がカナンの地に定住するまでは、問題にならなかった。長い放浪生活は、それを許さなかったのである。カナンの地にあっても戦乱に明け暮れていた。サウル、ダビデ、ソロモンと国は安定に向かい、平和が訪れ、やっと神殿建設という課題に取りかかることが許されたのである。しかし、それまで、神殿に代わるものが無かったわけではない。それは「幕屋」である。幕屋はあくまでも移動式であり、神殿のように固定式ではない。放浪の民にとって生活の基盤は遊牧であって、幕屋(天幕)と共に移動した。神と出会える場所も「出会いの幕屋」であった。天幕と幕屋という言葉は日本語では同義語であるが、聖書では異なる言葉が使われている。当然、意味も異なっていると思うが、翻訳でしか判断できない私には、理解を超えている。幕屋を聖域、天幕を住居一般と考えて良いのであろうか?放浪生活から定着へと移動したイスラエルの民は、生活の基盤も、牧畜から農耕へと変わって行き、神の住まわれる場所も移動式の幕屋から、固定式の神殿へと変わっていった。祭司一族レビ人は幕屋時代には、その移動、及び、設置、祭司の補助を担当していたが、神殿時代には、その移動の仕事は無くなり、祭司の補助的な仕事のみが残った。だから、幕屋という言葉は旧約聖書に特有であり、新約聖書にはほとんど出てこない。しかし、神の命によって造られた「モーセの幕屋」は、神殿建設の基本となっている。ソロモンによって造られた第一神殿は、金・銀・青銅と、贅の限りを尽くした建物であるが、その詳細については、残念だが、省略する。それが王国の財政圧迫の一因となったことも知る必要があろう。

  王国の分裂と滅亡
 ソロモンの後を継いだのは、その子レハブアムであった。この時、ダビデの怒りを買ってエジプトに逃れていたアブサロム(レハブアムの異母兄弟)はレハブアムに使者を送り「あなたの父親(ソロモン)は、私たちの軛を重くしました。今、あなたの父親がわれわれに課した過酷な労働と、重い軛を軽くしてください、そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう」と云わした。しかし、レハブアムは、これを拒否して、より一層重い軛を課した。アブサロムはレハブアムから離れ、北イスラエル王国を樹立する。こうして、イスラエルは南ユダ(ユダ族、ベニヤミン族)と北イスラエル(残りの10部族)の2国に分裂した。アブサロムは北イスラエルの初代の王となり、イスラエルの神を捨て、異教を信じた。これは当然神の怒りを買った。『歴代誌』に北イスラエルの王と民の記載がほとんど無いのは、それが原因であろう。無視されている。その後北イスラエルは20代目の王ホシェアの時代にアッシリアに滅ぼされ、その後再興されること無く、失われた10部族として、その民族のアイデンティティーを失い、歴史のかなたに消えて行く。それが南ユダと違うところである。滅亡をまぬかれた南のイスラエルは、実質的にはユダ王国となり、現在のユダヤ人と言う名前が生まれた。このユダ王国も20代目の王ゼデキヤの時代(BC586年)にバビロニアのネブカドネザル王によって滅ぼされる。ソロモンの建てた第一神殿は破壊され、住民はバビロニアに強制移住させられた(バビロンの捕囚)。その後、バビロニアはペルシャに滅ぼされ、ユダヤ人はエルサレムへの帰還を許可された。そして、その地に第2神殿を築いた。
 バビロン捕囚から帰還までは、長い荒廃の期間であった。しかし、ユダの大地は、それまで与えられることの無かった長い安息年を与えられた。大地は自らの安息を享受しながらイスラエル人の帰還を待っていた。人と同様に、大地も安息を必要としている。安息によって地味は回復し新たな収穫を準備する。
  南ユダの王たち

在位は年数、1/4は3カ月
  マナセ王の話(悔い改め
 マナセは南ユダの14代目の王である。彼の生涯の中に、わたしはイスラエルの王たちの典型を見る。その為、他の王たちの記述は省略して、代表として、彼を挙げる。列王記ではマナセは、悪王中の悪王として描かれている。主がユダ王国を滅ぼすのは、彼の行った悪ゆえだとまでいっている。しかし『歴代誌』においては、自分の悪を贖い、悔い改めた義なる王とし描かれている。アッシリア王によってバビロニアに連行され、様々な試練を受けたマナセ王は、前非を悔い改め、神を求めるようになる。神はこれに応えて彼をエルサレムに戻す。以後、彼は神の前で義なる王として仕え、善政を行ったという。マナセは、旧約聖書の放蕩息子(ルカの福音書15章)と言われている。共に悔い改めた人間に対する神の憐れみと愛が示されている。神は自分の罪を悔い改め、自分(神)に立ち帰ったものには、その罪を許し、恵みを与えるのである。
 神はイスラエルの民に期待する「自分の罪を購い、悔い改めよ」と。この時、神は人との契約を思い出し、これを成就されるのである。

  最後に

  山のあなた
    カールブッセ作
       上田敏訳

  山のあなたの空遠く
  幸い住むと人のいふ。
  ああ、われひととと尋めゆきて
  涙さしぐみ、かへりきぬ。
  山のあなたになほ遠く
  幸い住むと人のいふ

    ずっと幸せを探し求め続けてきた
    でも幸せは見つからなかった
    それはとても悲しい事だったけれど
    でも幸せが無いというわけではない
    どこかに――、どこかに、きっとあるんだよ。

 切なく優しい詩である。
 まさにイスラエルの民の心情を歌っている。イスラエルの民は常に外敵に脅かされていた。町や神殿は破壊され、更に人々は苛酷な労働と重税に苦しめられていた。こんな中、幸せを求めるのは誰でも同じである。しかし、目の前には幸せは無い。遠くに幸せを求めたとしてもそれは当然であろう。求めに求めたが見つからなかった。しかし、幸せが無いわけではない。山のあなたのなお遠くに幸せはあるという。なお遠くとはどこだろう。きっとそれは神の国に違いない。しかし、神は遠い存在ではない。遠くから我々を見つめ、見守っている。天使を遣わして、あなたの傍らにいる。神は人には見ることは出来ない。しかし神は人を見ることが出来る。神は人と共にある。何故あなたはそれに気付かないのか。神を信じて求め続けよ。神は人との恵みの約束を思い出す。人間は神の前では無力である。神に目を向け、求め続ければ神は必ず応えてくれる。これは自分の傍にいる神をないがしろにして異教の神を信じるイスラエルの民に対する神からのラブレターである。
平成27年7月14日(火)報告者 守武 戢 楽庵会