日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

「マルコの福音書」

2016年04月17日 | Weblog


新約聖書:マルコの福音書
はじめに
またまた旧約聖書を離れて新約聖書のうち共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書、ヨハネの福音書を除外するものもあり)の一書、「マルコの福音書」を読むことにしました。この4つの福音書は、その内容、叙述において共通点(イエスの生誕、布教、受難、磔刑、復活において)が多く、比較研究(共観)の対象とされることから、この名がついています。
マルコの福音書」を読む前に
旧約聖書と新約聖書との間は直接には繋がっていません。断絶しています。長い空白の期間があります。歴史としての旧約聖書は、ネヘミヤ記で終わっています。当時、ユダヤはペルシャ帝国の支配下にありました。新約聖書はキリストの生誕から始まります。この時、ユダヤはローマの属領としてヘロデ王が治めていました。この間ギリシャ、エジプト、シリヤ、パルチヤ、そしてローマと支配者は変わります。この間五百数十年がたっています。この間の記述は旧約聖書にも新約聖書にもありません。空白です。その原因を探ることは重要ではあっても、本レポートの目的では無いので省略します。興味のある方は他の資料に当たってください。
聖書を読むなら「マルコの福音書」から
日野キリスト教会の岩崎義幸牧師は、聖書を読むなら「マルコの福音書」から読めと言います。何故でしょうか?それを探ってみます。
1,「マルコの福音書」は、イエスの生涯を描いた、最古のものです。
2,他の福音書に比べもっとも短いものであり、イエスの行動の枝葉末節を省略し、簡潔に基本を 描いており、他の福音書の底本になっています。他の福音書は、この福音書を基にして、補 筆・加筆して成立していると言われています。
3,最も重要な事は、「マルコの福音書」16章のうち、最終の6章(11章~16章)において、イエスがガラリヤ湖周辺の福音宣教を終え、エルサレムに入場してから、磔刑にたるまでの、心の葛藤、パリサイ人、律法学者との戦い、ユダの裏切り、弟子たちの裏切り等々が克明に描かれている事です。「マルコの福音書」のほぼ3分の一弱を使っていることを考えると、マルコがこの時期のイエスを取り巻く状況をどんなに重要視していたかがわかります。
以上のことにより、「マルコの福音書」は、世界中の信者に読まれ、愛され、聖書の中で最も重要な一書と考えられています。そんなわけで聖書を読むなら「マルコの福音書」から読め、と岩崎牧師は云ったのだと思います。
「マルコの福音書」の特徴を探って見たいと思います
成立時期:いろいろと説は存在しますが、最も有力な説は、BC65年ごろ(グループ聖書研究「マルコの福音書」11ページより)であると云われています。第1次ユダヤ戦争(BC66年~74年)とダブります。BC57年から60年と云う説もあります。
書かれた場所:第一次ユダヤ戦争とダブるとなると、戦乱の中で書くことは不可能に近いので、ユダヤあるいはローマ以外が考えられます。ローマは戦争の相手国です。恐らくシリア当たりではないでしょうか。いずれにしても確定出来る資料は存在していません。
執筆者:この福音書にはマルコと云う枕詞が冠せられていますが、実際にはマルコによって書かれたと云う確実な資料は存在していないと言われています。有力な説は、マルコガペテロから聞き取った口述筆記だと云うものです。ペテロはイエスの12使徒の一人です。イエスと行動を共にしていますから、信頼に足るものと考えられます。マルコ(ヨセフ)は異邦伝道においてペテロに同行しています(「使徒の働き」参照)。
布教の対象:マタイの福音書が主にユダヤ人に対してであり、「マルコの福音書」はローマの特に異邦人のキリスト者に対して書かれています。
共観福音書(マルコの福音書を中心に)の概略
以上のことを前提にしてわたしは「マルコの福音書」を読み進めていくつもりですが、上に述べた、その故事来歴は一切無視します。なぜならそれらの仕事は歴史学者や、聖書学者の仕事だからです。更に確実の資料に基づいていると言えないからです。いずれにしても、わたしにとって必要な事は、事実の正否では無く、その内容にあるからです。マルコがどのようにして異邦の民ローマ人にイエスは神の子でありキリストであると云うことを教え導いたかを知ることにあるからです。わたしにとって必要な事は、歴史的な真理では無くて、宗教的な真理です。イエスがその短い生涯(32歳没)において、何を考え、何を実行したか、神との関係において探ることが、わたしの課題です。「マルコの福音書」を中心にして共観福音書を読んでいこうと思います。
イエスはユダヤの地ベツレヘムで、神の精霊と聖処女マリヤとの間に生まれた「神にして人」である存在として生まれました。イエスは生まれながらにして神の子だったのです。しかし、「マルコの福音書」にはこのイエスの生誕の秘密は描かれていません。ただ1章1節は「神の子イエスの福音の始め」と云う言葉から始まります。6章3節には「イエスはマリヤの子である」と述べられています。この二つのことより、後に書かれたマタイ福音書、ルカの福音書ではイエスの神性を現すものとして出生の秘密をより具体的に表現したものと思われます。イエスは幼くして身の危険の中にいました。時の権力者ヘロデ王がイエス殺害を図ったからです。ヨハネに導かれイエス母子はエジプトに逃れます。ここで成人するまで過ごします。ヘロデ王の死後、ユダヤの地に戻ります。この間の事実は「マルコの福音書」には述べられていません。
イエスは、ガラリヤ湖の周辺より宣教を始めます。その前に、イスラエルの荒野でサタンの誘惑(試練)に会います。イエスはこれを斥けます(マルコ、1:12~13、マタイ福音書4:1~11、ルカの福音書4:1~13)。その後、バプテスマのヨハネの水の洗礼を受けます。天から声がします「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」と。イエスは神の子としてガリラヤに行き、神の福音を述べて云われた。「時は満ち神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」と。これよりイエスの公生活が始まります。
ガリラヤ湖のほとりで弟子を集め、12使徒を選びます。多くの奇跡を行い、弱き民を癒します。宣教の旅の結果、イエスは多くの信者を集めます。
イエスはガラリヤ湖周辺(地図参照)の宣教を終えて、パリサイ人や、律法学者の拠点であるエルサレムに入ります。イエスの受難が始まります。パリサイ人や律法学者はイエスの教え、その人気に怖れをなし、彼を殺害しようと陰謀をめぐらします。
 イエスは孤独でした。ユダヤの民はその奇跡は信じても、その背後にある神の愛の力を信じませんでした。イエスはメシアとして崇められました。しかし、民の考えるメシア思想と、イエスの考えるメシア思想は根本的に異なっていました。ローマの圧政下にあって民はその圧政から逃れようとしました。イエスの行う奇跡とメシア思想を結びつけローマからの解放への夢をイエスに抱いたのです。しかし、イエスの考えは違っていました。彼の考えたメシア思想は心の解放であり、神を心に受け入れる事だったのです。両者の間には断絶がありました。民の心はイエスから離れていきます。イエスの弟子たちもイエスに従っていたとはいえ、イエスに対しては無知であり無理解でした。8章の7節ではイエスは「まだ悟らないのですか」と嘆いています。弟子たちは最終的にはイエスを裏切ります。このように、パリサイ人、律法学者からの攻撃、民の無知蒙昧、弟子たちの無信仰の中で彼は苦しみ嘆きます。3度にわたって自分の死を予告し、3日後に復活することを予告します。イエスは死と復活について語っていたのです。イエスは人の全ての罪を背負って死ぬが故に、罪びとである人は救われるのです。そこにイエスの人に対する愛が語られているのです。しかし、人はそんなイエスの人に対する愛を理解することは出来ませんでした。ユダはイエスを裏切り、ペトロは3度イエスを知らないと云います。民は重罪人のバラバを救い、イエスを十字架にかけます。弟子たちは逃げて行きます。しかしイエスは十字架上で叫びます「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているか自分で分からないのですから(ルカの福音書23:34)」。「わが神、わが神どうして私をお見捨てになったのですか(マルコ福音書15:33~34)」、「イエスは酸いぶどう酒を受けられると「完了した」と云われた。そして頭をたれて、霊をお渡しになった(ヨハネの福音書19:30)」「父よ、我が霊を御手にゆだねます」こう言って(イエスは)息を引き取られた(ルカの福音書23:46)」「イエスは大声をあげて息を引き取られた。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたの見て、「この方は真の神の子であった(マルコの福音書15章39節)」と云ったのです。
 敢えてこの引用文には説明をつけません。イエスは神のなさることの全てを受け入れたのです。イエスの神への愛、信仰を味わって下さい。
イエスは誰からも理解されず、孤独の内に32歳という若さで十字架にかかり刑死します。しかし3日後に復活し、弟子たちに後のことを託し、45日間この地に滞在し、天に上り、神の右に座し、地上を見つめています。
この後、逃げ回っていた弱き弟子たちは急に強くなります。この書の著者マルコはヨハネと云う名でペテロと共に第1次の異邦伝道の旅に出ます。それについては共観福音書の後に続く「使徒の働き」を読んでください。
メシア待望論
メシア論を語る場合、神と人との契約を思い出さねばなりません。神は云う「わたしの前に全きものであれ」と、そうすれば、子々孫々の増大繁栄を保証し、約束の地=カナンを与えよう(創世記17章1~9節)と。
ユダヤの民は国を失い長期にわたって外国人の支配下にあり、時の権力者(ローマ帝国)による迫害、圧迫、制約は強く、ユダヤの民にとって耐えがたく忍び難いものでした。この権力者からの解放を願って出現したものがメシア(キリスト)待望論でした。圧政者を倒し、ダビデやソロモンの偉大な時代を再現する人を望んだのです。
こんな時、ベツレヘムの片田舎で、神の精霊と聖処女マリアとの間に生まれたのが「神にして人でもある」イエスだったのです。イエスはその生誕の始めから神によって選ばれていたのです。イエスは長じて布教活動に入ります。「イエスはキリスト(メシア)なり」を教え広めるためでした。その前に荒野においてサタンによる試練を受けます。サタンはイエスに石ころを見せ「これをパンに替えよ」と命じます。イエスはこれに対して「人はパンのみに生きるに非ず」と応えます。さらに崖の上に立たせ「ここより飛び降りろ」と命じます。「おまえが神の子なら怪我も無く死ぬこともないであろう」と、云います。イエスは「神を試すな」と応えます。更に山上につれて行き「わたしを信じるならこの下に広がる世界の全てをあなたに与えよう」と云います。イエスは応えます「わたしの信じるものは唯一の主・神のみだ、サタンよ去れ」と。サタンをユダヤの民と置き換えると、まさにユダヤの民のメシア論とイエスのメシア論の対比を見ることが出来ます。ユダヤの民は、パンを望んでいたのです。ユダヤ人はイエスがユダヤの民のため現実のメシアになってほしいと望んでいたのです。その決心を迫ったのです。サタンの示した眼下の世界はまさにユダヤの民が望んでいた世界だったのです。イエスはこれをことごとく拒否します。しかし、イエスはユダヤの民の願望を、現実のメシアになることを決して拒否していたのではありません。ここで神との契約を思い出して下さい。神は「わたしの前で全きものであれ」と命じているのです。そうすれば「約束の地を与え、子々孫々の増大繁栄を保証しよう」と言っているのです。イエスは民の前に多くの奇跡を示します。奇跡を起こし多くの民に癒しを、恵みを与えました。イエスはその奇跡の背後にある神の愛を、慈しみの心を知って欲しかったのです。信仰の生活に入って欲しかったのです。神の前で全きものであって欲しかったのです。その後にあなた方の望む世界が実現しますよ、と云いたかったのです。奇跡は神の存在証明だったのです。旧約聖書に出てくるイスラエルの民が、神に従順では無かったように、ユダヤの民もイエスの真の意図を誤解していたのです。従順では無かったのです。イエスは「民は、奇跡は信じても、神を信じない」と嘆きます。民はイエスの真の意図を知った時、次第にイエスから離れて行きます。心の解放(神を心に受け入れること)か圧政者からの解放か、ここに2つのメシア論があります。それを典型的に表したものに極悪人バラバの釈放があります。イエスはパリサイ人、や律法学者たちの陰謀に会い逮捕されます。過越しの祭りの時、一人の罪人を釈放すると云う慣例がありました。総督ピラトは、ユダヤの民に問います。「釈放するのはイエスかバラバか」と。民は「バラバを釈放せよ」といいます。「それではユダヤの王を名乗るイエスをどうすべきか」とピラトは問います。ピラトはイエスを救いたかったのです。イエスの無罪を信じていたからです。しかし民は云います「十字架につけよ」と。バラバは、ローマに反逆する重罪人だったのです。しかし、ユダヤの民にとっては、その目的は失敗し、牢に繫がれはしたものの、救国の英雄だったのです。メシアだったのです。それに対してイエスは魂の救済を叫んでいただけだったのです。衣食足って礼節を知る。民の目は現実に向けられていたのです。イエスは十字架に架り、志なかばにして死んでいきます。ローマにとって2人の王は必要なかったのです。
言葉の説明
ユダヤ戦争:「マルコの福音書」にはユダヤ戦争と云う言葉は出てきません。しかし、歴史的にはBC66~74年にかけて起こったとされています。「マルコの福音書」の成立を65年~70年ごろと考えると、当然、ダブります。 ユダヤ戦争はローマ支配に抗して起こったユダヤ人の対ローマ戦争です。宗教的には、多神教(ローマ)と一神教(ユダヤ)との戦いでした。第一次ユダヤ戦争は66年から70年にかけて起こりました。発端は総督フロルスの反ユダヤ政策に対する民衆蜂起です。ローマはウエルパシャヌス、次いでティトゥスを最高指揮官とする軍団を派遣して反乱軍を壊滅させました。残党が立てこもった要塞マサダの陥落は73年です。「マルコの福音書」では具体的には述べられていませんが13章14節~24節にかけて述べられています。「ローマを『荒らす憎むべきもの』」と怒り、次の言葉を続けて行きます。「マルコの福音書」は終末論とダブらせます。
人の子:福音書においてイエスが自らをさす言葉として用いた。
奇 跡:福音書には多くの奇跡が語られています。足萎え人を立たせたり、死者を蘇らせたり、わずかなパンと魚で数千人の飢えをいやしたり、水の上を歩いたり、嵐を鎮めたり、悪霊に取りつかれた女を癒したり、と、多くの人の苦境を救ったのです。そこには愛がありました。しかし、これはイエス自身の行為では無かったのです。イエスを通じて神が行ったものだったのです。その証拠に、十字架上で叫んだイエスの言葉「あなたは何故私を見捨てるのですか」に如実に表れています。イエスは自らに奇跡を起こして自分を救うことが出来なかったのです。十字架を見上げて民は云います。「自分を救ってみろ」と。奇跡はイエスを通じて神が行った民に対する恵みだったのです。
 例え話:「イエスはこのように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。たとえによらないで話されることは無かった。ただ、自分の弟子たちにだけは、全てのことを解き明かされた(「マルコの福音書」4章33節」)。「あなた方には、神の国の奥義が知らされているが、他の人たちには、全てがたとえで云われるのです。それは『彼らは確かにみるにはみるが分からず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため』です」。「マルコの福音書」には多くの例え話が乗っています。「種がまかれた地面のたとえ(4章1節~9節)」。「生長する種のたとえ(4章26節~29節)」、「からし種のたとえ(4章31節~32節)」『放蕩息子の話』(ルカの福音書15章12~32節)等々多く有ります。
 あなたはキリストです:イエスは弟子に云う「わたしは誰か」と。「あなたはキリストです」と弟子は応える。エリヤでもなければヨハネでも預言者でもないのです。(8章27節~30節) )」8章は一つの転換点でありこれ以後の章で弟子たちに対するイエスの教えには新しい要素と強調点が見られるようになります。

               平成28年4月12日(火)報告者 守武 戢  楽庵会